『 私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、
まったく安全でしかも心配もなかった。
世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、
まったく安全に旅行できる国はないと信じている 』
上記文面は
明治時代にイギリスの女性旅行家イザベラ・バードが
『日本奥地紀行』普及版の翻訳に記された文章である。
これは明治期の外来人の視点を通した日本を知る貴重な文献であり、
現在の危険の多い日本との違いが鮮明にこれで理解出来る。
今日はそのイザベラバードの言葉をもう一つ皆様にご紹介します。
下記をご覧下さい。
『 日本人は、
不思議と美しさやかわいらしさを見極める目と、
それを愛する心を持ってきたように思われる。 』
…… イザベラ・バード ……
<イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird、1831年10月31日 - 1904年10月7日)>
イギリスの女性旅行家。
日本では明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行し、『日本奥地紀行』『バード 日本紀行』(Unbeaten Tracks in Japan)を書いた。
イザベラ・バードは1831年イギリス・ヨークシャーの牧師の長女として生まれる。妹の名はヘニー。幼少時に病弱で、時には北米まで転地療養したことがきっかけとなり、長じて旅に憧れるようになる。アメリカやカナダを旅し、1856年『The Englishwoman in America』を書いた。その後、当時の女性としては珍しい旅行家として、世界中を旅した。1893年英国地理学会特別会員となる。
1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した(連れは通訳の日本人男性1名のみ)。山形県の赤湯温泉の湯治風景に強い関心を示し、置賜地方の風景を「東洋のアルカディア」と評した。また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ねている。これらの体験を1880年"Unbeaten Tracks in Japan"2巻にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻は関西方面の記録である。その後、1885年に関西旅行の記述、その他を省略した普及版が出版される。『日本奥地紀行』は、この普及版の翻訳である。明治期の外来人の視点を通した日本を知る貴重な文献である。特に、アイヌの生活ぶりや風俗については、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況をつまびらかに紹介したほぼ唯一の文献である。
1885年版で省略された部分は『バード 日本紀行』として翻訳されている。
参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』