TAZUKO多鶴子

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『聖徳太子』の言葉

2011-05-18 | TAZUKO多鶴子からの伝言


   財物は亡び易くして

      永く保つべからず。

   ただ

   三宝の法は

   絶えずして永く伝うべし


    …… 聖徳太子 ……



<三宝>
仏教における3つの宝物を指し、具体的には仏・法・僧(僧伽)のこと。この三宝に帰依することで仏教徒とされる。
3つという数については、3を聖数とする習俗や信仰とのかかわりも指摘されている。

<聖徳太子>
(敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日)(同29年2月5日説あり-『日本書紀』))は、飛鳥時代の皇族。政治家。用明天皇の第二皇子。母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。
推古天皇のもと、摂政として蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。また、仏教を厚く信仰し興隆につとめた。
なお、日本書紀等の聖徳太子像を虚構とする説については虚構説の節を参照。


参考資料:ウィキペディア


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