TAZUKO多鶴子

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『旅』の言葉

2010-08-24 | TAZUKO多鶴子からの伝言


  『 発見の旅とは
    新しい景色を探すことではない。
    新しい目で見ることなのだ。 』


  …… マルセル・プルースト ……
   (19~20世紀フランスの作家)




  『 旅は人間を謙虚にします。
    世の中で人間の占める立場がいかにささやかなものであるかを
    つくづく悟らされるからです。 』


   …… ギュスターヴ・フローベール ……
      (19世紀フランスの小説家)




  『 旅は利口な者をいっそう利口にし
    愚か者をいっそう愚かにする。 』


     …… イギリスの言葉 ……


今日は京都『地蔵盆』の日

2010-08-22 | TAZUKO多鶴子からの伝言

 毎年この時期になると
京都のあちらこちらで提灯が飾られ
その周りで子どもたちが集まって
何やら楽しそうにしている様子が見られます。
以前から「何だろ~?」と思っていました…。

実はこの地方独特のお祭り『地蔵盆』と呼ばれる
昔からのお祭りだそうです。

こんな様子を見ていると
やはり「京都はいいな~」とつくずく感じます。
京都に住んでいて良かった!
本当に今更ながら思います!

昔から続く良き物は
いつまでも大切にして欲しいと…。


<京都の地蔵盆>
 8月23、24日は地蔵盆である。しかし最近ではこの日の前後の土・日曜日に振り替えて行う町内が増えている。気がつくと路地ごとに赤い提灯がぶらさがり、子供たちのにぎやかな声が聞こえてきた。町内に行事の始まりを知らせる鉦を叩くのも子供たちの役。地蔵盆は子供たちのお祭りだ。

 京都では、8月23・24日を「地蔵盆」と呼ぶ。各町内ごと地蔵尊の前に屋台を組んで花や餅などの供物をそなえ、「百万遍大数珠繰り」を行う。子供主体のまつりで、お菓子を食べながらゲームなどの遊びに興じ、福引きなどが行われる。地蔵尊の設えは各町内でさまざまである。上下の写真は、上京区の町内を回って撮ったものである。町家の格子をはずして開放したもの、寺院の境内、マンションの集会所、個人のガレージ、町内で守る小堂など各町内ごと一様ではなく個性的である。
 民俗学的には、「地蔵盆」は、盆祭の最後の日が取り残されたと考えられ、また塞の神信仰と結びついて子供との関連が強くなったのだと考えられている。
 最近では子供が少なくなり、2日を1日だけに短縮したり、23・34日の前後の土・日に振り替えたりすることが多くなっているようだ。
参考資料:平安京探偵団より


『インディアン』の最後の再生への感動的言葉

2010-08-21 | TAZUKO多鶴子からの伝言

<アメリカインディアンが信じつづけてきた、最後の再生への物語>
「虹の戦士」  北山耕平 翻案 太田書店 より

今日、感動的な言葉を知りました。
インディアンの純粋な魂を現代の日本人は忘れています。

        …… 本書より ……

「 虹は、すべてのもののなかにおられるあのおかたからの

  メッセージなのだ。

  すべての人間がひとつの家族のようにつながることとを、

  虹は教えている。

  さあ、

  あの山の頂にお行き、わたしにつながる愛しい者よ。

  どうやったら虹の戦士になれるか、

  行け、

  行って学ぶがよい。

  愛と喜びをみんなの間にひろげることだけが、

  この世界の憎しみを理解と優しさに変えることができる。

  この世からいっさいの戦争と破壊をなくすために、

  残された道はもはやそれひとつしかない! 」




「トム・ホワイトクラウド」という名前のネイティブの墓に刻まれている祈りの言葉(本文より)

  おお父よ、わたしはあなたの声を風のなかに聞き、

  あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。

  お聞きください。

  わたしはあなたの前に、あなたのたくさんいる子供たちのひとりとして、

  今、立っています。

  わたしは小さくて弱く、

  あなたの力と智恵とを必要としています。


  どうかわたしを、美のなかに歩ませ、

  なにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。

  この両手が、

  あなたの創られたものを、尊敬させるようにしてください。

  この耳を、

  あなたの声が聞こえるように、鋭くしてください。

  そうすればきっと、あなたがわたしの一族に与えられた教えを、

  一枚一枚の木の葉や、

  ひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を、

  このわたしも、理解するかもしれません。


  父よ、わたしは力を求めています。

  偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく、

  その力で、汚れのない手と、濁りのない眼をもって、

  わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。

  もしそれがかなうのなら、

  日没の太陽が姿を消すように、わたしの生命が終わりを迎えたとき、

  いささかも恥いることなく、

  わたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。