見るだけで運気アップパワースポット巡り

科学オタクです。
今は、原付で旅したパワースポットをめぐりを書いてます

原付旅 オー!NO!信長!本能寺の後の清洲城と城下町の巻

2023-09-08 18:54:00 | 旅行

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名古屋編


オー!NO!信長!本能寺の後の清洲城と城下町の巻


さて、前回は尾張守護にして戦国スーパースター織田信長の初期の居城!真っ二つの清洲城跡と現在の清洲城パンチの効いた展示物、ジブリ作品の神隠しのお話でした。


オー!NO!信長!本能寺の後の清洲城と城下町の巻

さてさて、この清洲城と城下町!戦国時代の遙2000年以上前から、とても豊かな人々の暮らしがいとなわれていた様です。弥生時代の稲作跡や竪穴式住居、高床式穀物庫、貝塚、古墳群などがすぐ近くの朝日町で発掘されています。興味のある方はぜひ「あいち朝日遺跡ミュージアム」へも足を運んでみてください!

広大な濃尾平野の真ん中を流れる五条川は豊かな水と肥沃な大地で生きる糧の米や魚介類を与えてくれた事でしょう!それにより人口が増加!やがてその生きる糧とそれを生み出す土地と水を巡って、本来獣に向けられていた弓矢の先が人間に向けられる時代の到来でもあります。



時代は本能寺の変!織田信長の死後、清洲城は信長公の後継人を決める「清洲会議」弟の織田信雄が城主に、大天守、小天守、書院などを増設!小田原征伐の後、国替えで豊臣秀吉の所領となり、関ヶ原の戦いの時には東軍の拠点となりました。その後徳川家康により、「清洲越し」城下町ごと、名古屋に移動!お城は取り壊され、3つくらい前の記事に書いた名古屋城の北西角の櫓!清洲櫓として、その美しい姿を現在にも留めています!

信長も清洲城も本能寺の変以降も二転三転して大忙しですね!オー!NO信長!

大河ドラマに映画に小説に漫画に!戦国シュミレーションゲーム光栄の信長の野望は超ロングヒットの老舗ゲームの金字塔ですね。



知ってましたか?金字塔って元々「ピラミッド」の事なんです!色もそうですが、形が「金」の字の塔?現在では「歴史に残る功績」という意味で使われております!まさに信長公の残した功績はすごかったです!戦国時代終わらせた大功労者ともいえます!信長公が壊して、秀吉公が組立、家康公が二百年以上平和な時代を!日本を守ることに成功したのですね!もしかしたらこの三人がいなければ、大航海時代!アステカやアメリカをはじめとする各地の植民地と同様時代に飲み込まれ、現在のクールジャパンと呼ばれる平和な日本はなかった事でしょう!この世界から争いを無くすには、信長の様な大量の破壊が必要なのでしょうか?かつての家康に様に長い平和を作るにはどうすれば良いのでしょうか?



世界の偉い人たち〜!力のある人たち〜!そして、未来を背負う人達!いつか国境など気にしない、地球人!太陽系人として我々が平和に暮らす時代の到来を強く願います!


次回 ヘイ!信長!熱田神宮の信長塀の巻


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原付旅 オー!NO!信長!清洲城と千と千尋の神隠しの巻

2023-09-04 20:55:00 | 旅行

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名古屋編


オー!NO!信長!清洲城と千と千尋の神隠しの巻

さて、前回は家康の名古屋城と秀吉の名護屋城!両方に関わった加藤清正と過去と今のお話でした。名古屋駅の西側に「太閤通り」秀吉にちなんだ通りがあります。それと並行して「清正通り」ってのがあるそうです。でも読み方がキヨマサじょないみたいです。何て読むんだっけ?


オー!NO!信長!清洲城と千と千尋の神隠しの巻

さてさて、いよいよ今回は清洲城のお話です。現在清洲城の建っているのは国道302号の南側!五条川の東側!平成元年に清洲コミュニティ広場に建てられた。安土城をモデルとした鉄筋コンクリート製の模擬天守!当時の絵図や設計図はなく、本当の姿は不明!近代城郭の初号機が「安土城」なので当時の城が1階建か2階建かと考えられています。

そして、問題は本当の清洲城跡です!本当の城跡は現在の天守閣とは五条川を挟んで対岸のの西側!しかもJR東海の新幹線の線路に分断され真っ二つ!おのれ!JR東海!なんて事すんだよー!

信長の正室濃姫がバトルアックスを振り回しているようだ!おー濃!大斧!オー!NO





清洲城!なんで某ジブリ作品の某千と千尋の神隠しなのかと言うと、見ての通りです!湯屋の舞台にそっくり!清洲城にインスピレーションを受けたとか!もしかしたら!湯バーバのモデルって某織田信長?()





五条川は桜の名所で、もっと上流までずっと桜並木!特に岩倉市の桜が有名!また別の機会に記事にしますね。で、清洲城の桜ですがちょうど散る間際の満開の日に行ってきました♪天守閣の展望は最高!満開の桜の花びらが新幹線の通過による風で一斉に舞い上がり、とても幻想的で優雅で尚且つダイナミックな光景でした!やるねJR東海!さっきはごめん!てへっ!

中の展示も最高に楽しかったです。歴代の大河ドラマの信長や濃姫の衣装の展示や清洲城城下町のジオラマ!特に気に入ったのは、「戦国中スポ」!当時の出来事が現在?昭和初期かな?の新聞風に記事になって展示してあり、本文よりも広告がパンチが効いてて最高でしたよ。「週間 下剋上」とか「高価買取 中古武具 追剝屋本店」とか「50貫までスピードキャッシング」とか「豪華!南蛮船で行く台湾ツアー」中々面白いです!



実は建設直後に、ママに内緒で若い女性を二人連れてここに来たことがあります。と言っても実の娘二人ですが!()その時は現在の様に展示品も豪華では無く、館内はガランガランでほとんど貸切状態でした。しかも展示品として飾られていたものの一つにお祭りで実際使用する鎧兜がいくつも、展示してありました。よくみるとアルミ缶を使用しており、某コカコーラの赤揃え!某ポカリスエットの青い伊達正峯風の甲冑!某キリン一番搾りの金色の甲冑!などこの頃からクスッと笑えるパンチの効いた展示物だったな〜。甲冑いい!かちゅいい!()





科学館も名古屋城も外のお話ばかりで中の紹介しなかったのに、清洲城はどうしてもこのパンチの効いたクスッと笑える展示のこと描きたくて、中の記事書いちゃいました。是非、ご来場の際は中に入って楽しんでください!勿論!科学館も名古屋城も!


次回 オー!NO!信長!本能寺の後の清洲城と城下町の巻

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原付旅 イエス!加藤清正と九州の名護屋城の巻

2023-09-02 15:35:00 | 旅行

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 名古屋編


イエス!加藤清正と九州の名護屋城の巻


さて、前回は名護屋城の外からの見どころを、ツラツラと左回りで連ねていきました。清洲櫓が出たので次はそのまま清洲城かと思いましたが、もう一回!名古屋城!いえいえ!家康!今度は秀吉公の名護屋城の話!


イエス!加藤清正と九州の名護屋城の巻




さてさて、名古屋城の正面入り口の南側!前回でも後半に名前だけ出た「名古屋能楽堂」!その南側に銅像が立っています!家康公?いえいえ!加藤清正公です!なんでって人も多いですよね!私もその一人でした!

名古屋城建設当時は外様大名(とざまだいみょ)つまり豊臣家の家臣20家に石垣工事が言い渡され、その中でも加藤清正は城造りの名人として名高く、わざわざ呼ばれたんですって、色々な大名が建設に携わっているのですが!加藤清正は名古屋城天守閣の石垣を任される重要な任務を担いました。しかも九州から2万人を連れてきてわずか、3ヶ月で作ったって話!さらに名古屋城で最も大きい石!「清正石」畳8畳分重さ推定11トン!これも清正の仕業!?でもここの担当は黒田長政なんだけどな〜?



で、実はこの加藤清正が携わったお城で、その名も「名護屋城」がかつて九州にありました。かの有名な秀吉の朝鮮出兵の拠点として築城されたお城です。

築城に際し、加藤清正、黒田長政、小西行長、寺沢広高らが九州の大名を中心に動員し、突貫工事で8か月後の15923月に完成!規模は当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮なものであった。

京都御所、大坂城などで使用した「黄金の茶室」を持ち込み、異国の使者や商人達をもてなすのに使用したとか!なかなかの距離!そして重量!また持って帰らなければって、家臣たちの気苦労が伝わってきます。



秀吉の死後、朝鮮半島への侵攻が中止!城は唐津城に移築!現在は廃城ですが日本の名城100選の87番目として今も城跡が残っているそうです。そして、解体移築の際、2度と城として機能しないように石垣の四隅を切り崩されたようです。その理由と時期は不明のまま!色々、考えさせられますね!

またいつか原付旅九州編でおとづれたい物です!場所は九州!佐賀県唐津市にあります。石垣、空堀、井戸などが現存するそうです。


次回 オー!ノー!信長!清洲城と千と千尋の神隠しの巻


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