ハーバード大学に於ける日本史研究の授業は多くの学生を集めるという。そうした日本史教室で教える立場の先生たちに、様々な観点からインタビューしている。ハーバードにおける大学教授という客観的な立場と視点は、非常に参考になる。二ー三事例を紹介してみる。
アンドルー・ゴードン教授「アジアの中の日本、世界の中の日本」
源氏物語は女子学生に不人気、若き紫の上と光源氏の関係が気持ち悪い。9歳の女の子を自分の妻にするために自分好みに育て上げるなんて、信じられない、という。日本史を支配階級、庶民、外国人という複数視点で教える。戦争中の日本のプロパガンダ映画に「チョコレートと兵隊」という作品がある。招集された慰問袋に入っていた大量のチョコレートを家に残してきた息子に送る。チョコには点数がついた包装紙があり、集めるともう一つチョコが貰える。息子は一生懸命集めるが、ようやくチョコをもう一つもらえる点数を集めたところで、父の戦死通知が届く。国策映画なのに、戦争を礼賛せずに、一致団結して戦い抜こう、というプロパガンダになっているところが秀逸だと。今の日本は少子高齢化、人口減少、経済停滞という世界に共通する課題を抱えている。品格ある国家である姿を示しながら、課題解決方法を見つけ出すことが日本が目指すべき道だと。1-2%の低成長でいながら政治リーダーは国民に正直に現状を説明し、過去の失敗を認めた上で国家を他国民にも開放すること、これが処方箋。
デビッド・ハウエル教授「倭寇と宣教師」
十三湊は14-15世紀にかけて東日本の貿易センターだった。安東氏は北条氏に蝦夷沙汰代官に任命され、「日之本将軍」と名乗り独自にアジア諸国と交易をして栄えていた。室町時代には日明貿易である勘合貿易があり、安東氏は15世紀には南部氏との戦いで破れ、十三湊は一気に衰退した。日本の漆器は相手国からその技術を高く評価されていた。世界とつながることで日本は繁栄できる。
アルバート・クレイグ教授「明治維新」
明治維新は幕府主導の天保の改革を端緒とした下級武士による階級闘争による政権転覆などではなかった。長州は村田清風による藩政改革で米、紙、塩、蝋の生産強化に成功し、非常時のための特別会計で倒幕に使う最新武器を手に入れた。薩摩は調所広郷による財政改革で借金を棒引きにして、黒砂糖専売で経済改革に成功した。貿易と技術開発で豊かになった薩摩と長州による体制一新だった。主人公は木戸孝允と大久保利通で、坂本龍馬や西郷隆盛は脇役。薩長協力が可能となったのは竜馬の仲立ちと言われるが、木戸と大久保がいなければ維持できなかった。竜馬には背景となる強い藩の後押しはなかったので、限定的な影響力しか行使できなかった。現在の日本には明確なゴールが設定されていないことが問題。ビジョンを語れるリーダーが必要である。
「昭和天皇のモラルリーダーシップ」サンドラ・サッチャー教授。
サンドラ・サッチャー教授のクラスでは次のような議論を学生たちにしてもらうという。日本人の多くが犠牲になったので、自分たちは被害者であると思い込みがちな太平洋戦争では、日本はアジア諸国に対して悪辣な加害者だった、という事実をまずは噛みしめる必要がある。そのうえで、日本への原爆投下や無差別大都市爆撃は正当化できるのか、という問い。「早く日本を降伏に追い込み、結果としての戦死者を減らすには避けられない選択肢だった」とアメリカの中学高校では教えられる。議論すべきポイントはいくつかある。民間人を巻き込むことが避けられない高性能爆弾や住宅地への焼夷弾攻撃を、事前通告もなしに市民が避難する暇を与えなかったことは反省すべきではないか。広島に続き連続して長崎にも落とす必要はあったのか、日本政府への警告効果は十分にあったのではなかったのか。ルーズベルト大統領は本当に原爆の威力と結果的にもたらされる被害を認識・理解して決断したのだろうか。日本人は未開で野蛮な国民だから、このまま戦争を長引かせれば、中国や東南アジア諸国での犠牲者は増え続けてしまう、という考え方も多くの米国人が抱いていたのではないか。米国兵士の死者をできるだけ減らすためには、日本の市民の犠牲は、戦争を引き起こした側の責任として致し方なかった、と大都市無差別爆撃を決め、人種差別的思想を持つルメイ将軍は考えたのではないか。
その他には、「被災地の物語に涙する」イアン・ジャレッド・ミラー教授。「格差を広げないサムライ資本主義」エズラ・ヴォーゲル教授。
「渋沢栄一ならトランプにこう忠告する」ジェフリー・ジョーンズ教授。
「築地市場から見えてくる日本の強味と弱味」と踊る・ベスター教授。
「日本は核武装すべきか」ジョセフ・ナイ教授。
「世界に日本という国があってよかった」アマルティア・セン教授。
本書内容は以上。
緊迫するウクライナ情勢で、世界の人々が考えるべきポイントが多い。