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意思による楽観のための読書日記

中世の貧民 説教師と廻国芸人 塩見鮮一郎 ***

浄瑠璃や歌舞伎の演目としても有名な「小栗判官」、中世には説教師により街々の路上や小屋で語られた悲劇と愛憎、復讐の物語。本書ではその物語に沿って、中世の登場人物やその出自、背景として語られる差別、貧困、病気、飢饉、仕事など各地に伝わるエピソードを紹介する。「安寿と厨子王」も貴種の二人が漂白の末、助けられて復讐を果たすという同様のストーリーを持つ。当時の荘園農民のなかには、貧困と酷使に耐えかねて逃げ出す人々も多く、地方には多くの浮浪の民がいた。こうした人々は散所の民とも呼ばれ、散所の民を狩り集めて、再び奴隷として売り飛ばし働かせるという奴隷商人もはびこった。「山椒大夫」は「散所の大夫」であるとも言われる。

「小栗判官」の主人公は、常陸国国司の小栗満重、その満重と夫婦の契りを交わした照手姫。物語には数多くのバリエーションがあり、照手姫は遊女だったり、小栗満重が都の貴族の一人息子だったりする。常陸国、小栗満重は謀反の疑いをかけられ鎌倉勢に攻め落とされた。子の助重と三河へ脱出を図った親子はおわれるうちに離ればなれとなり、満重は家来とともに東海道を下る。満重が相模の藤沢に差し掛かったところで、横山太郎と名乗る者が一行を呼び止め、宿を提供しようという。横山は盗賊、満重を毒殺しようとする。この屋敷には照手という姫がいて、照手姫は満重と恋に落ち、永遠の契りを交わす。しかし、横山は満重とその家来10人を毒殺して、裏山に捨ててしまう。かすかな息があった満重は僧侶に助けられるが、目は見えず、手足は動かず、口も利けない状態になっていた。僧侶は「この者は熊野本宮の湯の峰に向かう病人で、ひと引きしたものには一つの功徳、二つ引いてくれれば千の供養にも勝る功徳が与えられる」という札を付け、土車に満重を乗せる。土車とは、車輪が4つで人を乗せられる手引車。照手姫は満重を助けようとするが、太郎に見つかり、人商人に売り払われ、各地を転売されて行く。物語はここからはじまる。

説教師による語りは延々と続く。早く熊野について結論を得る、ということを観客は期待していない。見たこともないような途中の地名の列挙、道中の見知らぬ人々による援助、山川の難所を切り抜ける様を固唾を呑んで聞き入る、これを期待している。説教師の語りも洗練されていき、五七調、韻を踏む、軽口や数字遊びなど、油売りの口上にもつながる。

小栗判官の来歴バリエーションには、二条の大納言の一人息子がある。京都八幡で子が授かるよう祈り、授かった子に常陸小栗と烏帽子名をつけたという。小栗は親がすすめた妻を次々と離縁、父から勘当され母の哀願で常陸の知行地に送られた。判官は検非違使の尉、鎌倉幕府からも一目置かれる地方豪族となる。室町時代には京の幕府と鎌倉幕府は東西の微妙なバランスの上に成り立っていた。頼朝が平氏に向けて立ち上がった東国武士の流れを汲む、その東国から貴種としての満重が東海道を登り、紀伊半島を巡って熊野本宮で復活・再生・蘇るというのが話しの筋。公方と管領、地方豪族たちの勢力争いが応仁の乱などで表面化していく世情も背景にある。

もう一つの背景は、多くの貧民、賤民、病人、逃散民がいたことにある。小栗判官や安寿と厨子王にも登場するのが、瞽女、盲人、乞食、癩病患者、奴隷、穢多と呼ばれる被差別民、逃亡中の罪人、敵討ち相手を追う兄弟、人買い・人売り、雇われた追っ手、俗世を捨てて念仏三昧で來世の安寧を祈る時衆の鉦叩きなどなど。賤民として語られる人たちの職業は演芸者、街娼、山伏、座頭、駕籠舁きなどではあるが、彼らには移動の自由があった。しかし穢多と呼ばれる賤民には移動の自由はない。財産を受け継ぎ、皮造り、死牛馬処理、処刑手伝い、牢番、兵站用意などの仕事が与えられ、無税の土地が与えられた。奴隷にも移動の自由はなく、遊女として利用されたり、病気や怪我をすると捨てられた。こうした人達が土車で引かれる小栗と照手姫の周りに現れる。

大津と山科の間の逢坂の関には蝉丸神社があるが、蝉丸は醍醐天皇の子とする説とは別に、宇多天皇に仕えていた身分の低い雑用係である雑色だとする話が今昔物語にある。逢坂の関に住み、歌舞音曲を道とするもので、琵琶、和歌を詠んだという。この話が伝説化し百人一首にも採られたという。蝉丸も説教師であり琵琶法師だったという説である。旅をするのも命がけで、行きはあっても帰りは分からない、というのが逢う坂の関。京の街に入ると、清水に参る。清水の坂の途中には墓があり、その先には鳥葬が行われていた鳥辺野の場があった。そこに通じる道は五条大橋(今の松原)から六波羅、六道珍皇寺があり、冥土へとつながる場所でもある。道の周りには死体を扱う犬神人たちが群がるように住んでいた。京から四天王寺を経由して、紀伊半島をめぐり、熊野本宮にまでようやく辿り着く。説教師の語りには、こうした逸話が散りばめられる。

本書では、説教師の語りを縦糸にして、果てしない寄り道をしながら、地図を示し、写真を参照しながら、歴史をさまようように逍遥する。中世日本の現実を、想像上の語り、説教師の口上から辿るという、今までにない歴史書である。本書内容は以上。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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