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意思による楽観のための読書日記

シリーズ日本古代史① 農耕社会の成立 石川日出志 ***

本書は古代史シリーズの第一巻で、縄文から弥生に至る日本列島の農耕社会成立、そして古墳時代を迎えるまでをまとめている。論点としては、縄文から弥生への移行が、日本列島内で数百年の時間的幅と西日本から近畿、東海と東北、関東という列島の中での地理的差異があったこと。そして、その移行は縄文人から渡来系を中心とした弥生人への入れ替わりがあったわけではなく、列島に従来から住み続けている人たちが中心となり、渡来人がもたらした灌漑稲作を生活の一部として取り入れながら従来からの狩猟採取生活も続けていたということ。つまり「弥生時代」とは、紀元前1000年ほども前から北九州で灌漑稲作が始められてから、瀬戸内海沿いに何百年をかけながら東に向けて広がり、日本海側からも北陸、東北地方、そして関東にも伝わっていく幅広い時代を指しているので、列島内でも、灌漑稲作が始められる時期は大きく異なり、列島内を一律に時代区分として区切れるものではないということ。

興味深い調査結果として本書に紹介されたのが1981年に報告された弥生時代遺跡出土の植物遺存体の分析。件数で最多はドングリの168、二位がイネで128、続いてモモが95、マメ類が51、ひょうたん類が42、クルミ39、クリ35と続く。弥生時代と呼ばれる遺跡から多くの採取によると思われるドングリやクルミが多数見つかっていること。この調査では季節分析も行われ、夏はモモ、ひょうたん類など、秋はドングリ、クルミ、クリ、トチノキなど、それに畑作によると思われるマメ類やマクワウリなどが組み合わされていること。夏場に台風が到来すると米の収穫が見込めないこと、夏場は貯蔵量が低下すること、こうした稲作の弱点を補うリスク回避策がとられていることである。漁労も続けられており、貝塚の規模は小規模となっているが継続されていたこと、川筋と海岸沿いでは残されている貝殻や骨の種類と量がかなり異なることが見られている。漁労を専門とするグループの存在が集落内に存在していたことを示すという。

弥生時代の特徴と広がりを示す。1.灌漑稲作が弥生時代の始まりを示し、九州から東北北部への広がる。2.環濠集落も同様。3.集団間の争い 4.金属器(青銅と鉄器)、5.社会的階層の顕在化 6.政治的社会への傾斜
かつては弥生式土器の使用をもって時代区分としたが、土器だけでは区分できないとして、本書では灌漑稲作の開始を弥生時代の始まりとし、定型的前方後円墳の出現をもって終わりと定義する。

本州以外では、時代の進み方が異なるのは、北海道、琉球での地方的特性を生活手段として優先させた結果だとして、灌漑稲作のみが時代を区分するものではないとも主張。北海道と沖縄地方における独自の時代区分を本州地方の弥生時代と並立する時代区分とする。

考古学的な諸事実より、西日本一帯の有力首長と連携したヤマト王権の成立は纏向遺跡の存続期間の箸墓古墳形成期とみるのが妥当とする。一方、文献資料を主とする歴史学者の中には、初代天皇を崇神天皇と考え、大和古墳群の行燈山古墳の段階をヤマト王権の成立とみる見方も紹介。今後の議論と検討が必要とする。本書内容は以上。

 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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