学校でのお勉強が嫌だった時代、面白く感じたとき、それぞれあるのではないだろうか。実際に日常生活で必要になったことが、たまたま学校で教えられたこととつながると、一気にお役立ち感が増して、もっと知りたくなるもの。しかし、一般に学校教育では、易しいものから順に、クラス大多数が理解しやすいように工夫しながらも、しかし教える手間を最適化するために手順を考え、そして徐々に進むのである。個々の生徒にとっては関心がなくとも、順序よく効率的に教え込まれるため、生徒側は受動的になってしまうことが多い。
伝統的な教育方法論では、人間は意図的、意識的に外部から知識を伝達されない限り学ぶことはできないとされてきたが、生活の必要上、環境に働きかけ効果的な手続きを学ぼうとする存在である。さらに言えば、本来的に好奇心が強く、そうした手続きの意味を積極的に求める存在でさえある。
また、生得的に持っている規則や膨大な構造化された知識、制約、道具、他者による介入などで比較的容易に適切な解釈や仮説に導かれるようになっているとも言える。もちろん日常的な生活の中での学びには限界はある。しかし高度な科学的探求を除けばそうした限界は致命的ではなく、能動性、積極性を発揮して有能さを見せるのが人間の子どもたちの本来の姿である。
問題は教える側の既成概念の方であり、最新の教育方法論における認知研究を学び、子どもたちの存在を能動的な存在であり積極的に学者と捉えられるように姿勢を変化させるだけで、学習効果は飛躍的に向上する。子どもたちの間違いからでさえ学べることがある。そうしたことを引き出せるのも教育者の役割であり、効率性や一斉性などにこだわらず、子どもたちが自らの好奇心で新たな課題を見つけて探索することを奨励することこそ、教育者の役割である。本書内容は以上。