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意思による楽観のための読書日記

椿井文書ー日本最大級の偽文書 馬部隆弘 ****

江戸時代後期の南山城在住の人物、椿井政隆による大量の偽文書についての一冊。椿井流兵学、国学、有職故実に通じ、弓術師範をしていたという。椿井文書と呼ばれるその数百種類も確認されている文書には中世絵地図、城郭や失われたはずの大伽藍の絵図、家系図などが含まれ、お互いにその存在を示すような関連性があり、既存の他文書との補完関係もあり、その存在が補強されてきたため、信用する歴史学者が後をたたないという。文書は南山城、現在の京田辺を中心とし、自らの椿井一族の歴史的由来を誇張し、明治維新前後には、椿井一族とともに、南山城地方の富農の士族昇格にも利用された。また、その文書記述は近畿一円に及び、歴史や地方自治体が編纂する地誌、市史、自治体にまつわる歴史物語などにも影響を与えている。椿井文書の全貌になんとか迫ろうとする筆者の執念が感じられる。

椿井文書の存在に気づいている歴史学者は多いが、研究の意味は薄いと感じ無視するのが一般的。そのため、気づいていない研究者はその存在を知らないケースが有り、古代・中世・近世・近現代という歴史学上の専攻分野の壁がその情報共有を阻害する。また、椿井政隆は偽文書の作成を依頼されると、対象となる地域で系図を作り上げ、合戦などに着到した人名を連ねた着到状を作成、その際、系図と着到状の人名を年代的に符合させ、相互に関連させて信憑性を高めるという手法を用いている。さらに、寺社縁起や史蹟の由緒書を作成した上で、系図や寺社に関連を持つ家系図、そして寺社絵図も作成して表現する。それらでまとめられた各地域の歴史は、興福寺末寺リストとされる「興福寺官務牃疏」で改めて総括されている。椿井政隆は、村同士が対立している場面に登場し、互いの村が主張する論争が有利に導けるような内容の偽文書の作成を行うため、村人達による信頼を勝ち取る。

椿井政隆による絵図や文書では、その時代の紙や絵の具では疑われるため、中世以降の模写の結果として表現される。近代に入ったときに、椿井家文書は質流れし第三者の今井家の古文書とされてしまう。結果的にそれが第三者による客観性を帯びた権威付けに利用されてしまう。また、対象となる文書地域は意識的に知識層が多い都会部を避けており、偽文書の露呈可能性を下げている。また、文書作成時に、各地域の地誌や記紀内容と基本的内容の合致を図っており信憑性を高める努力をしている。

明治維新後に政府は天皇の地位向上を図り、国家神道推進の立場から、式内社確定と南朝の正当性の確認努力を始めた。国学者であった椿井政隆の偽文書もたまたま南朝を重視し、実在神社と式内社の関連性を示す内容だったため、椿井文書の存在が政府の力で浮かび上がる結果となる。当時の政府の動きは、伊藤仁斎門下の儒学者だった並河誠所による「五畿内志」を参照しており、椿井政隆も同様だったため、明治以降の動きも文書の信憑性を高める影響があった。

しかし明治後期から昭和にかけては、椿井文書の偽文書としての存在は歴史学者の間では周知が進んだ。しかし、戦後の皇国史観否定の動きの中で、戦前研究の否定と同時に歴史学の断絶が生じ、椿井文書の存在までもが薄まってしまう。さまざまな偶然から、椿井文書の参照が今でも継続しているのが現状である。本書内容は以上。

筆者の大変な研究の成果だと思う。椿井政隆は「愉快犯」だった、というのが筆者の指摘。それにしても、これだけの影響を与えている現状に驚くと同時に、偽文書だとしても、その上でもその文書の存在価値を認めている筆者に敬意を評したい。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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