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意思による楽観のための読書日記

「人それぞれ」がさみしい 石田光規 ***

10-20歳代と50-60歳代では、意見や考え方が大きく違うことはよくあること。同世代であっても、会社組織で働く人と個人経営者とでは意見表明の方法が違うだろうことも想像できる。会社や職場の組織では、そうしたことがある前提で、面と向かって複数の人とどのように過ごせるのか、が問われてきた。会社でも小さな組織でも同じ目的を共有していれば、異なる意見を集約、ある人は我慢、ある人の意見を尊重して、しぶしぶでも合意して前に進むことは可能である。

戦後の経済成長時代には、今は貧しくても、今はできなくても将来はもっとましな社会になる可能性が感じられたので我慢できたことが、国としての経済的な成長が大きくは見込めない現在では、先の希望を持ちにくい若者が増えたように感じる。低成長ではあっても、みんなで共同生活しなくても、個人が自立して生活するくらいはできるようになったのが現代の日本。そうなることで、「ここはみんなのために我慢しておこう」「人様に迷惑がかかるからやめておきなさい」というような考え方ばかりでは収まりがつかない、多様な考え方を持つ人たちが増えてきた。

SNSでの意見発信や個人の情報を見る機会がある現代では、そうした意見と自分の意見をどのように相対化するのか、その方法論が一昔前のSNSがなかった時代、携帯電話が一人一台ではない時代とは全く異なっていることに気づかされる。特に、同じ社会、日本という国に住んではいても、同じ目的を共有しているとは感じにくい他人同士で面と向かっては、本音で意見を交わすことも、ぶつかり合うことも、とても難しい。本書は、そうした現代社会で、多様性、個の尊重、格差社会、同調圧力、ヘイトスピーチ、カスハラなどについて考えてみる機会を与えてくれる。

キーワードは「人それぞれ」という言葉。個人の違いを尊重する一方で、考え方の異なる者同士が互いに本音で語り合わず、内面に深く踏みこむのを避けようとする側面がある言葉である。密な人づきあいをしなくても、それなりに生きていける社会ができあがってきた今の日本社会で、それでも人とのつながりは最低限維持していきたいとSNSなどのコミュニケーション手段に依存するが、「人それぞれ」というだけでは片付けられない問題がありそうである。

「人それぞれ」が成立する社会、というのは経済的な環境が、雇用や社会福祉などで一定の大きな範囲でカバーできている、という前提が必要であろう。現代の10-20歳代の若者の人間関係では、気を遣いあい、対立を回避しながら、本音で語ることを、瀬踏みしながら躊躇するような場面に出会う。気楽な関係のはずなのに、関係破壊は不安なので、徹底的な対立からは距離を置く。自分の主張は多少抑えてでも友人関係を維持する。結婚願望の度合いは一昔と変わらないのに、生涯未婚率は下がってしまっているのが現状。余計なお世話をする第三者の存在が減ってしまったからなのか。

こうした「萎縮」ともいえる「人それぞれ」を生み出す原因は、今問題になって生きている「ハラスメント」「炎上」「謝罪会見」「SNSのための迷惑行為」「自粛警察」「ヘイトスピーチ」などと関係があるのだろうか。同調圧力が強すぎる日本社会だけの問題なのだろうか。これらは萎縮が生んできた自己の抑制が、他者への圧力として噴出している結果なのではないか。意見の合う人同士ばかりが集まってしまうSNSの特性が、異なる意見を持つ集団や個人をあげつらう現象として表れているのではないか。社会的特権を持っている集団へのセンサーが強く働きすぎて、自分は多数派だと思っている集団が過激な主張を繰り返す行動に出てはいないか。こうした問題は「人それぞれ」では片付けられない。またこうした過激な行動は、社会の分断を加速する「負の意見」なのではないだろうか。

ここで日本社会がもう一段成熟した存在になるためには、「異質な他者」との関係をとりもどす努力が必要である。身近にいる気の合わない「異質な他者」を攻撃するだけではなく、対話を通して理解できる部分を発見することが出発点である。対話が継続できれば関係性も築ける。コスパだけではない人間関係の構築が成熟社会への第一歩である。本書内容は以上。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

コメント一覧

tokinosekimori-kitaiwahara
本を読んでいませんので、コメントは避けるべきなのでしょうが、ブログの文章からインスピレーションがわいてきてしまいました。
「(人)それぞれ」を私なりに解釈させてもらいました。
それぞれという言い方は、確かに心の分断や、さみしさにつながるというのは、よくわかります。
ただ、このことを、とても霊的なこととして(私は)とらえてみました。
「それ」とは、霊的にとらえると、とても深い意味があると思うのです。「それ」という言葉は、実はこの世界全てを現しています。
それという言葉は、それによって、全ての物質、生物、人間さえも表現することが可能な言葉でもあります。

つまり、それぞれと表現したことには、表面的には、人それぞれというように、分断しているような表現にも聞こえますが、その奥には、全てを飲み込んでいくような響きがあると考えるのは、わたしの考えすぎなのでしょうね。
突然、突拍子もない発言をしてしまいました。
インスピレーションのわくままのコメント、お許しください。
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