平成の大合併で、全国の自治体合併が相次いだ際に、新たな市の名前が多数登場した。目についたのがひらかな・カタカナ名とXX中央、そして政令指定都市となった区名の特徴のなさ。地名には長い歴史があって、地元の人には馴染みがあったり、地名に意味を込めたりしていたはず。地名を変えるのは歴史を忘れることにも繋がると感じる。地名公募や合併に伴う合成地名も、妥協の産物のような名称が多くて民主的手続きに拘泥しすぎていることが見え見えである。
大きく曲がる川に沿った大曲、赤土の坂道にある街なので赤坂、赤茶色の粘土土を示す埴(はに)が転じた赤羽、崖地を示すママ、ハバ、ハケは間々田、大間々、羽場、峡、八景、羽毛などは地形によって命名されている例。
山の名前では、75%がXX山だが、13.5%は岳・嶽、5.3%が森、2.8%が峰・峯という順。この他には丘・岡、塚、台、平、富士、丸、鼻、倉、石、尾、烏帽子、岩、室、法師、俣などもある。
谷が付く地名では、西日本ではタニ、東日本ではヤが多い。名字でも同様の傾向。小谷の呼び方は様々で、長野県千曲市ではオウナ、滋賀県ではオオタニ、沖縄県南城市ではオコク、富山市ではオタニ、コダニ、新潟県ではオダニ、コタニ、長野家の小谷村はオタリ、岐阜県揖斐川ではコダテ、埼玉県鴻巣市ではコヤ、神奈川県寒川町ではコヤトと11種類もある。港がある地名ではXX湊が多く、津、泊と続く。漁村を意味するのが浦、竈。
2018年に登場した高輪ゲートウェイ駅。公募して一番多かった名称は「高輪」二位が「芝浦」以下芝浜、新品川、泉岳寺、新高輪、港南と続いたが、JRは130位の名称を選んだ。これは公募というよりも、公募の形をとっただけと言われても致し方ない。選定理由は「今後も世界からの人材交流拠点としての機能を担う」というもので、他の山手線駅名との違和感が際立っている。
私鉄の駅名は不動産開発を鉄道会社が行うに際して、土地イメージの向上を図ったものが多い。五島昇が自身で命名したという「たまプラーザ駅」がその嚆矢。田園都市線はその他にも、青葉台、藤が丘、あざみ野などの素敵な駅名がつけられ、町名としてもしらとり台、さつきが丘、もえぎ野、美しが丘などが旧来の大字・小字名を排除して命名された。
銀行合併の際にもみずほ、りそなが誕生したが、公共施設でもきゅりあんホール、北とぴあなどが誕生。既存地名もかみのやま温泉駅、あつみ温泉駅、ゆだ高原、千葉みなと駅などが誕生した。町村合併では龍野市など3町村が合併してたつの市、霞ヶ浦町と千代田町が合併してかすみがうら市、高知では中村市と西土佐市が合併して四万十市となった。
つくばエクスプレス沿線ではこうした状況を集大成した、とも言える命名が連続した。流山セントラルパーク駅(前平井)、流山おおたかの森駅(西初石)、柏の森キャンパス(若葉)、柏たなか駅(小青田・こうだ)、みらい平駅(東楢戸)、みどりの駅(萱丸)と江戸時代から連綿と続いてきた地名が新地名に変更された。
遡ると律令時代にも地名は好字二文字とすること、などとされて地名が変更された事例もある。現代の地名変更の傾向を見ると好かれる、忌避されやすい地名があるようだ。東京には多数あった下の付く地名、昭和7年の地名変更で捨てられた「下」地名は下板橋で、現在は東武東上線駅名に残る。下十条、下大崎、下鷺宮、下野毛などは上が残った事例。上下とも消えたのが赤塚、小岩、沼袋、荻窪。上下とも残ったのが高井戸、井草、石神井、目黒、上馬下馬。
好かれた代表例が銀座。現在は銀座1丁目から8丁目に組み入れられたのが尾張町、三十間堀、南紺屋町、元数寄屋、弓町、鎗屋町、南鍋町、出雲町、竹川町、新肴町、弥左衛門町、西紺屋町、滝山町、惣十郎町、南佐柄木町、加賀町、日吉町、八官町、丸屋町、山城町、山下町、木挽町、釆女町、南水谷町、金六町など。本家銀座以外にも戸越銀座をはじめXX銀座は全国的に誕生した。
忌避される代表例が悪地名、住居に向かない地形を表す地名。軟弱地盤を表わすとされるのが、窪、谷、沢、沼などのついた地名だが、地名は年月とともに拡大する、という傾向もあり、代表的な窪地名の荻窪は善福寺川が形成する浅い谷を囲むエリアの名称で、現在の上荻、南荻窪、西荻などを合わせると広大なエリアが窪地となってしまう。平成26年8月豪雨で有名になった広島県の地名が蛇落地悪谷だったため注目された地形名称。蛇抜けなどという地名を隠して無理に造成したのではないかという指摘だった。
アズ、アバ、カキ、カケ、カジ、クエ、クヌギなどちう崩落地名が具体的な災害に遭遇する事例があるが、そういう地名では崩落が起きやすい、というには科学的な証明が不足している。理由としては地名の拡大、変更、意味の変遷である。東京の地名で言えば、維新、震災、戦災で激変した歴史を持つ。維新では町名のついていなかった武家地に新たに町名が割り当てられた。震災後は復興のための区画整理で銀座地区をはじめ多くの旧町名が町名XX丁目XX番地に変更された。都市的ではないとしてXX新田が消去された。政令都市での新区名命名では中東西南北と命名された事例が多数見られるが、旧来名称を採用すると少数意見が葬り去られて不公平、という「民主的プロセス」が重視されたあまりに多くの歴史的地名が消えた。
町村合併に伴う新地名命名ではいくつかのパターンがある。村数を名乗る事例では、7つの村が合併したので茨城県七会村、東京都七生村、6つでは神奈川県六会村、青森県六ケ所村、13の村合併で富里(十三里)村。11村合併で十一を縦に読ませて土合村、新しい御代に4つの田がつく村(小田井、前田原、児玉新田、池田新田)が合併したので長野県御代田町。
合成文字では、谷津、久々田、鷺沼が合併して津田沼、大森と蒲田で大田区、比井野村と薄井村で二ツ井村、長野県では鳥羽、吉野、新田、成相が合併したので4つの頭文字を合成して豊科(とよしな)。縁起をかついだ事例では、漁業安かれ、と浦安。下鶴間、深見、上草柳、下草柳を合わせて大きく和することを祈念して大和。千歳、瑞穂、敷島、東雲などは瑞祥地名の代表例である。
こうした地名消失に懸念をもった有志により旧地名復活の動きも多く見られてきた。金沢市の城下町の旧地名、富山県高岡市、長崎市、大分県豊後高田市、東京都青梅市などがある。東西南北中央X丁目などというのっぺらぼうな名称よりも、その地における歴史を感じられる個性ある地名復活を願いたい。本書内容は以上。
永井荷風や夏目漱石の小説を読んでいて出てくる地名が見当たらない、と感じた読者は多いのではないだろうか。東京でも震災、戦災に遭わなかった地域では地名が比較的残っているし、旧地名にこだわりを持った役人がいた京都では、日常生活では少々不便かもしれない長い地名を、住民は大切に守り続けている。地名は歴史、と考えれば理不尽な命名に反対する意見も少しは大切に扱われるはずだが、これからどうなるのか、他人事ではない。