「竹林はるか遠く」の続編、太平洋戦争敗戦後の朝鮮半島からの引き揚げ実体験者によるドキュメント、感動的な2冊の本である。朝鮮半島での引き揚げ時に共産軍化した朝鮮人や、日本人を賞金稼ぎの対象とする現地の人たちに命を狙われたり、性暴力を受けたりした経験を綴っているため、コリアンの反感を買って韓国では販売停止に追い込まれたといういわくつきの一冊で、それがかえって日本でのブームになるという何とも皮肉な顛末付き。
主人公の川嶋擁子は引き揚げ時には13歳、その兄が朝鮮半島から一人で遅れて引き揚げるときには親切な朝鮮人家族に助けてもらったり、一方で母と姉、そして擁子の3人が、同胞であり同じ引き揚げ者から意地悪されたり暴力を振るわれたりもする。読み手からすれば13歳の少女の視点によるフラットな実体験であったと思われるが、日本に35年以上も植民地支配されてきた恨み深い朝鮮人読者からは、ことさら被害者面をするのではない、と言った読み方もできるのかということ。
続編の本書は、1946年3月に遅れて帰国してきた擁子の兄と再会できたところからで、死んだかもしれないと思っていた父は、ソ連に抑留されたのちに1951年になって帰国を果たし、家族と再会できる、というところまで。
母が死んでしまってからは16歳の姉と二人っきりで駅で寝泊まりし、親切な増田さんに倉庫の一間を間借りして暮らしていた二人に21歳の兄が加わった。しかし、倉庫が放火され火事になって、親切な増田さん夫婦が焼死ならぬ変死、放火の疑いまでかけられた川嶋家の子供たち。さらに、火事の中から大切な荷物を助け出そうとして大けがをしてしまった姉の好は入院するほどの大けがを負ってしまった。
寝る場所を失った姉妹兄弟3人は姉の入院先で一緒に寝泊まりすることになる。倉庫の火事を調査している警察は増田夫婦の死因に不可思議な点を見つけ、擁子の目撃証言がヒントになり、被疑者二人にたどり着く。増田夫婦の姪だという女性は川嶋家の姉妹が放火犯だと名指しして、擁子の学校にまで嫌がらせをする有様。疑いを晴らしたい擁子は、火災現場で見かけた後姿の男性を病院で見かけて後をつけて、住んでいる場所の見当を付けた。兄や姉の入院先の先生などの協力を得て、犯人にたどり着く。それは姪と近所の増田夫婦に恨みを持っていた男二人による共犯だった。
一方、擁子の学校では相変わらず同級生によるいじめが続いていたが、擁子は我慢を続けた。しかし校則に反して教室に持ってきた腕時計をなくした級友が、擁子を犯人扱いし、限界に達した擁子はその級友とつかみ合いのけんかになる。なくしたはずの腕時計は石炭置き場から出てきて、擁子の疑いは晴れるが、その後も別の級友からの意地悪は続く。そうした中でも擁子は勉学に励み、養蚕の観察で表彰され、また京都市内で35人選ばれる英語特別学校への奨学金を獲得し、脱落者が相次いで4人しか卒業できないという状況で見事、英会話を身に着けることに成功。学校も優秀な成績で卒業を果たした。
姉の入院先には多くの患者がいたが、その中で湊さんという女性がなにかと川嶋家の子供たちを気にかけてくれた。姉が退院するときになり、住む場所がない姉妹兄弟は川にかかる橋の下に掘っ立て小屋を建てて住むことにした。退院先が橋の下だと知った湊さんは、自宅の一室を川嶋家の子供たちに提供してくれることになる。月日は流れ、1949年になって父からの手紙が姉妹兄弟のもとに届く。父は生きている、そして必ず帰るから、というメッセージが書かれた手紙を受け取った。しかし実際に父が京都駅に帰ってきたのは1951年になってから、手紙を受け取ってからは20か月も後のことであった。本書はここまで。
引き揚げ者の大変な苦労がメインであるが、その中に、弱き人たちへの目線を忘れないこと、自分たちよりもさらに大変な状況の人たちがいることが書かれる。いじめられた経験は、自分たちの尊厳とは何かを少女が考えて我慢することを覚え、それを勉学や日々の暮らしに生かしていくことへと昇華する。京都にはいくつかある被差別部落にも言及、差別されてきた歴史を振り返り、ここでは差別される側の境遇と、する側の理不尽な言い分を少女の視点で解説する。その後の擁子の結婚相手は、働いていた米軍基地にいた米軍の兵士であり、広島長崎に原爆を落とした相手だが、市民や兵隊であっても、国同士の諍いに巻き込まれたある意味での犠牲者であると納得する。「戦争は決して起こしてしまってはいけないこと」というメッセージを、現代の読者なら素直に受け止められるはず。すべての世代の人たちに一読をお勧めしたい。