中世史が専門の網野善彦と民俗学を専攻する宮田登が対談形式で語る。対談は1982年から1998年にまで亘る。宮田登は2000年、網野善彦は2004年に逝去している。もともとは2001年発刊の同名新書を文庫として2020年再発刊したもの。
歴史書を読むと登場するのは壮年の男性が中心で、女性の登場は少なくて、老人や子供はほとんどいない。政治史を中心にして語られることが多い歴史だが、天皇、藤原貴族、武士、明治以降の登場人物も政治史となれば男性がほとんどとなる。歴史を語る学者にも男性が多いということもあるが、民俗に深い関心を持つこの二人の学者にしても男性である。
この背景には農業中心の百姓観があるというのが網野善彦の主張。百姓には農業従事者だけではなくて、漁業、林業、漁師、行商、牧畜、養蚕、織物など誠に様々で、それが当たり前だった。それを、歴史家が日本の庶民の殆どは米農家だったかのような前提で民俗を語り、百姓に関する資料を調べるので偏った歴史が出来上がっているのではないかという。
「もののけ姫」には蝦夷の世界、山の民、タタラ集団、牛飼い、巫女、エボシ御前など米農家ではない人たちが登場するが、従来の歴史小説には武士と農民しか出てこないものが多く、宮崎駿は意識的に従来型の登場人物をカットしたという。日本列島には狩猟民、縄文人たちが先住していたところに稲作をメインとする弥生人が大量に移住してきて、数百年をかけて西日本から東、北日本の本州に浸透してきた。そこに登場したのは大和政権で、徴税のため、米と土地をベースに課税すべく、神社や仏教をツールとした徴税体制を整えた。それをかいくぐってきたのが全国に散らばる百姓である。
九州北部の多島海で漁業で生計を立てる漁民、山で炭焼きや狩猟をする山の民、全国を行商して生きている商人たちなども含め、縄文人の子孫や流浪の民の課税基準やその捕捉、徴税手段は難しかったはず。それは大和政権から藤原貴族と荘園体制、武士の時代になっても同じだった。
栗柿などの果樹生産、桑と養蚕、麻や綿と織物、行商などで女性が果たしていた役割は重要で、銅や銀、鉄などの金属精錬などで山の民が活躍していたこともある。
歴史をこうした多様な庶民が紡いできた事実をもう一度見直して、歴史語るもの日本史を通史としてもう一度見直す必要がある、というのが網野善彦の主張。宮田登はその主張を対談を通して支持している。本書内容はここまで。
サブタイトルは「おんな・子供・老人からの日本史」である。歴史を動かしていたのは政治家や武士、というだけではなかったこと、あらためて考えてみるきっかけになる一冊。