☆♪☆ 鉄のみゅーじしゃん ☆♪☆

作編曲家・ギタリスト塩塚博のブログ。
近年は駅メロディの作曲で知られています。

「東寿司」と「小料理 東」

2021年11月15日 23時05分50秒 | グルメ情報
今日は超ローカルな話題ですいません(;^_^A
僕は1987年から2009年まで22年間、京王線幡ヶ谷と小田急・メトロ千代田線代々木上原の中間、渋谷区西原に住みました。この当時、月いちで通った地元のお寿司屋さんが「東寿司」(あずまずし)。
清潔で居心地のよい店内、いつも明るくて気さくなマスター(寺内正春さん)とママ、ネタもすごく美味しくて、特にしっかりと仕事を施した煮穴子としめ鯖は絶品でした。煮穴子はふっくらと炊き上がり、美しい照りをまとい、ちょっと甘めの味付けととろける食感がクセになる、ご馳走。あの穴子の有名店と全く引けを取らない逸品でした。
インドマグロのトロ、鯵、秋にはサンマもよくいただいたな。貝類はじめ、大将が「今日はこれがおいしいよ」と言って1貫ずつ握ってくれました。マスターやママとの会話も楽しくて、思い出は尽きません。
出前の注文が入ると「ちょっと留守番頼むね」と言ってマスターが出前に行っちゃって、その間ママと二人でよくお喋りしました。ホントに、仲良くしていただき、ありがとうございました。
この写真は最近2016年に伺った時に撮った、正春さんと僕の2ショットです。



2009年に世田谷に越してからは年間2-3度、神奈川県大船に越してからは2年に1度くらいしか行けなくなりましたが、お年賀でいただいた東寿司のお湯吞で毎日お茶や焼酎のお湯割りなどをいただき、気持ちはいつも東寿司と一緒でした。

 

8年ほど前にママが亡くなり、さびしくなりました。その頃から大将の次女の実枝子さんがお店を手伝うようになります。
僕はこの4年ほどお店には顔出してなかったのですが、コロナ禍がだいぶ落ち着いて、東寿司どうしてるかな、と思って検索したら、「東寿司」は「小料理 東」にチェンジしており、「父の想いを受け継ぎ、2代目の女店主が切り盛りをしています」と書かれています。びっくりして、お店に電話をかけ、「正春さんは引退されたのですか」とお尋ねしたら、「2年前に亡くなりました。今は次女の私が店を継ぎました」と。・・ええっ、しばらくごぶさたしている間にマスターは旅立ってしまったんだ(゚Д゚;)享年73歳。そりゃないよ、まだ死ぬ齢じゃないじゃん!?
聞けば、亡くなる数年前からガンを患い、除去→転移を3回ほど繰り返してついに力尽きたとのこと。
正春さん、不義理してしまって、ごめんなさい(>_<)亡くなる前に、もっと会いたかったよ。またお寿司いただきたかったよ。
合掌

正春さん亡き後、次女の実枝子さんが店を継ぎ、店名も「小料理 東」に変えて再スタート。ところがすぐにコロナ禍です。しばらくは夜の営業はストップしてランチとお弁当の販売だけしていたそうですが、緊急事態宣言が解除になり夜の営業も再開。昨日、久しぶりに行ってきました。



店は外装も内装も以前のままで、「我が家感」たっぷりです。女将の実枝子さんが笑顔で迎えてくれました。マスクしてるけど、目元はやっぱりお父さんとよく似ています。
お父さん直伝の煮穴子をはじめ、握りずしなどもいただきました。うん、美味しかったー(^O^)
彼女の目標であるお父さんの領域にはいま一歩及ばないかもしれないけど、お父さんと同じである必要はないので、受け継ぐべきところは受け継いで、あとはオリジナルな部分も出していってくれれば嬉しいな。
僕はもちろん、「小料理 東」を応援しますよ。皆さんもよかったらぜひ訪ねてみてくださいね。いい店です。ホームページはここ。
https://peraichi.com/landing_pages/view/nishiharaazuma1

帰り際に、5年前に正春さんと撮った写真と同じ角度で実枝子さんと2ショット。マスターとママも、きっとそこにいて、微笑んでくれてたと思います(^O^)



また来るからね♪
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