皆さんお待たせしました。
「あぁ涙と怒涛の駅メロディー、栄光と挫折の大歴史スペクタクル」
パートⅡをお届けします。
これこれ、そんなたいそうなもんやないっ、ちゅうに。
その前に、毎日多数のアクセスありがとうございます。
昨日は374ですか、嬉しいですねー。
コメント、トラックバックもありがとうです。
ひとつひとつレスできませんが、ご容赦下さい。
これからも自由に書いて下さいね。
26日に出ましたCD「鉄のバラード」の感想なども
コメントの所に書いてくれると嬉しいです。
さて、JR-SHシリーズです。この1~9には、ご存知の通り、
音色違いでそれぞれ3通りのバリエーションがあります。
シンセハープ系、キラキラ系など3つの音色で、
それぞれキーも変えています。
なので、駅で実際使っているものは正確には例えば
「JR発車メロディーSH-1-1」という枝番号がつきます。
そして、このSHシリーズで、僕の駅メロ作りの基礎と言いますか
塩塚カラーみたいなものが既に確立されています。
現在の、京急駅メロや「鉄のバラード」に至るまで、
その基本はいささかも変わっておりません。
まず、音色は、耳触りがよく飽きのこない、
シンセハープ系の音が基本になり、
それに奥深くてキラキラした余韻・残響を足したもの。
音の構成は基本的に主旋律も伴奏も同じ音色であり、
主旋律(1音、時々2音)に対して伴奏も基本は1音+ベース音。
つまり、音数の少ない、シンプルな音楽であり
私はこれを「ゴージャス(で、モダン)なオルゴール」、
と呼んでいます。
伴奏は、音楽理論で言う「対位法」的な編曲で、
主旋律と絡みあい、「やすきよ」の漫才のような絶妙の
コンビネーションを目指しています。
単純な分散和音などはあまり使わず、
伴奏トラックだけ聴いても、「いいメロディー」であり
充分歌っていること。
これが、塩塚カラーの真髄です。
僕の駅メロはシンプルなので、
即興でパパッと作っているのではないかと思われがちですが、
シンプルだからこそ、じっくり練りこんで、
熟成させたものです。
この辺はCM音楽の制作・作曲やラジオ番組のジングルの作曲
をやってきたことが生きた、と思います。
では何故シンプルに作るのか、と言いますと。
テレビの取材でも話しましたが、駅の中は騒音でいっぱいです。
あまりこまかーい音を入れたり、いろんな音色を使っても
しっかり伝わらないだろうと考えて、あえてそう作っているのです。
あと、他の作曲家さんの作品と差別化をはかり、
僕の作品らしい個性を出したいということもあります。
櫻井隆仁さんや福嶋尚哉さんの作品は
音色のバラエティーが豊富です。
それは彼らのステキな個性なので、いいと思います。
もしかしたら、彼らも僕の事を意識して
「塩塚というヤツとは違う個性を出そう」と考えた可能性もあるし。
いろんな個性の駅メロがあって楽しいじゃないですか。
さてさて、そろそろ「空白の13年間」、を語りましょうか。
僕の作品が多数使われて、発車メロディーのサイトもでき、
テレビ番組などでも時々取り上げられるようになったのに、
どーいうわけか、僕の所に発注依頼が、来ない。
テレビで、発車メロディーを取り扱った番組をやっても、
作者として登場するのは決まって櫻井さんで、
僕には取材の依頼も来ない。
なぜだろう!??
僕だって、ガンガン新作を作曲したいのに。
と、僕もかなり悶々としていたのであります。
でもこれには理由があります。
SHシリーズを制作したジーケイ。
この会社は、もともと「東洋BGM」~「東洋メディアリンクス」~
制作部門が独立して「ジーケイ」~「ジーケイ」をたたみ、
「東洋メディアリンクス」に統合。という歴史があります。
僕の駅メロを制作して2年くらい経った頃でしたか、
ジーケイは発展的に解消、東洋メディアに併合。
その中で、社内組織も変わり、人事異動もあり、
退社する人もいました。
僕に発注してくれた中原さんも、社内で異動し
制作畑から離れていきました。
そんな事情もあってこの会社は駅メロ制作をしなくなります。
悔しいけど、文句も言えませんよね。だって、
当時はまだ、駅メロが世間で市民権を得ておらず
いわば「おいしい」仕事ではなかった、のですから。
ところで、(株)スイッチ社長の小川さんは
当時から僕のことが気になっていたと言います。
しかし、当時は僕の曲には曲名すらなく、
作者である僕の名前もわからず、当然連絡先も不明。
二者はなかなか接点を持てぬまま、時は流れ、
僕と小川さんが初めて会ったのは、2005年。
このブログでも紹介した発車メロディーCDを制作するにあたり、
関東の駅で使われている「すべての」曲を収録したいと考えた
小川さんは各制作会社から原盤を集め、僕の作品も収録。
東洋メディアの会議室で初めてお会いしました。
僕は、せっかくこれだけ自分の作品が親しまれているのに
新作を発表していなくて悔しい。
ぜひ新作を世に向けて発表したいと小川さんに切々と訴えました。
その後何度か話し合いをし、
東洋メディアにも了解してもらい、ついにスイッチで新作駅メロを
制作するようになりました。
最初の仕事はJR大宮と浦和のサッカーチーム応援歌の駅メロ化。
これが2007年のことでした。
これで、やっと!!塩塚博は駅メロ界に帰ってくる事ができたのです。
ということで、パート2は、ここまで。
パート3では、スイッチの仕切りで駅メロを制作してきた
最近の作品を公開します。
お楽しみに。
「あぁ涙と怒涛の駅メロディー、栄光と挫折の大歴史スペクタクル」
パートⅡをお届けします。
これこれ、そんなたいそうなもんやないっ、ちゅうに。
その前に、毎日多数のアクセスありがとうございます。
昨日は374ですか、嬉しいですねー。
コメント、トラックバックもありがとうです。
ひとつひとつレスできませんが、ご容赦下さい。
これからも自由に書いて下さいね。
26日に出ましたCD「鉄のバラード」の感想なども
コメントの所に書いてくれると嬉しいです。
さて、JR-SHシリーズです。この1~9には、ご存知の通り、
音色違いでそれぞれ3通りのバリエーションがあります。
シンセハープ系、キラキラ系など3つの音色で、
それぞれキーも変えています。
なので、駅で実際使っているものは正確には例えば
「JR発車メロディーSH-1-1」という枝番号がつきます。
そして、このSHシリーズで、僕の駅メロ作りの基礎と言いますか
塩塚カラーみたいなものが既に確立されています。
現在の、京急駅メロや「鉄のバラード」に至るまで、
その基本はいささかも変わっておりません。
まず、音色は、耳触りがよく飽きのこない、
シンセハープ系の音が基本になり、
それに奥深くてキラキラした余韻・残響を足したもの。
音の構成は基本的に主旋律も伴奏も同じ音色であり、
主旋律(1音、時々2音)に対して伴奏も基本は1音+ベース音。
つまり、音数の少ない、シンプルな音楽であり
私はこれを「ゴージャス(で、モダン)なオルゴール」、
と呼んでいます。
伴奏は、音楽理論で言う「対位法」的な編曲で、
主旋律と絡みあい、「やすきよ」の漫才のような絶妙の
コンビネーションを目指しています。
単純な分散和音などはあまり使わず、
伴奏トラックだけ聴いても、「いいメロディー」であり
充分歌っていること。
これが、塩塚カラーの真髄です。
僕の駅メロはシンプルなので、
即興でパパッと作っているのではないかと思われがちですが、
シンプルだからこそ、じっくり練りこんで、
熟成させたものです。
この辺はCM音楽の制作・作曲やラジオ番組のジングルの作曲
をやってきたことが生きた、と思います。
では何故シンプルに作るのか、と言いますと。
テレビの取材でも話しましたが、駅の中は騒音でいっぱいです。
あまりこまかーい音を入れたり、いろんな音色を使っても
しっかり伝わらないだろうと考えて、あえてそう作っているのです。
あと、他の作曲家さんの作品と差別化をはかり、
僕の作品らしい個性を出したいということもあります。
櫻井隆仁さんや福嶋尚哉さんの作品は
音色のバラエティーが豊富です。
それは彼らのステキな個性なので、いいと思います。
もしかしたら、彼らも僕の事を意識して
「塩塚というヤツとは違う個性を出そう」と考えた可能性もあるし。
いろんな個性の駅メロがあって楽しいじゃないですか。
さてさて、そろそろ「空白の13年間」、を語りましょうか。
僕の作品が多数使われて、発車メロディーのサイトもでき、
テレビ番組などでも時々取り上げられるようになったのに、
どーいうわけか、僕の所に発注依頼が、来ない。
テレビで、発車メロディーを取り扱った番組をやっても、
作者として登場するのは決まって櫻井さんで、
僕には取材の依頼も来ない。
なぜだろう!??
僕だって、ガンガン新作を作曲したいのに。
と、僕もかなり悶々としていたのであります。
でもこれには理由があります。
SHシリーズを制作したジーケイ。
この会社は、もともと「東洋BGM」~「東洋メディアリンクス」~
制作部門が独立して「ジーケイ」~「ジーケイ」をたたみ、
「東洋メディアリンクス」に統合。という歴史があります。
僕の駅メロを制作して2年くらい経った頃でしたか、
ジーケイは発展的に解消、東洋メディアに併合。
その中で、社内組織も変わり、人事異動もあり、
退社する人もいました。
僕に発注してくれた中原さんも、社内で異動し
制作畑から離れていきました。
そんな事情もあってこの会社は駅メロ制作をしなくなります。
悔しいけど、文句も言えませんよね。だって、
当時はまだ、駅メロが世間で市民権を得ておらず
いわば「おいしい」仕事ではなかった、のですから。
ところで、(株)スイッチ社長の小川さんは
当時から僕のことが気になっていたと言います。
しかし、当時は僕の曲には曲名すらなく、
作者である僕の名前もわからず、当然連絡先も不明。
二者はなかなか接点を持てぬまま、時は流れ、
僕と小川さんが初めて会ったのは、2005年。
このブログでも紹介した発車メロディーCDを制作するにあたり、
関東の駅で使われている「すべての」曲を収録したいと考えた
小川さんは各制作会社から原盤を集め、僕の作品も収録。
東洋メディアの会議室で初めてお会いしました。
僕は、せっかくこれだけ自分の作品が親しまれているのに
新作を発表していなくて悔しい。
ぜひ新作を世に向けて発表したいと小川さんに切々と訴えました。
その後何度か話し合いをし、
東洋メディアにも了解してもらい、ついにスイッチで新作駅メロを
制作するようになりました。
最初の仕事はJR大宮と浦和のサッカーチーム応援歌の駅メロ化。
これが2007年のことでした。
これで、やっと!!塩塚博は駅メロ界に帰ってくる事ができたのです。
ということで、パート2は、ここまで。
パート3では、スイッチの仕切りで駅メロを制作してきた
最近の作品を公開します。
お楽しみに。