今日も長文になりますが、よろしかったらお付き合いください。
昨年11月と今年1月に、渋谷区西原の「東寿司」、現・「小料理 東」のことを書きました。僕がかつて住んでいた当時月いちで通い、2009年に西原から引っ越した後もたまに食べに行っていた、僕のホームすし屋です。
清潔で居心地のよい店内、明るくて気さくなマスター(寺内正春さん)とママ(喜美子さん)、しっかり仕事を施した煮穴子やしめ鯖などの絶品のネタ、そして何よりマスターの握るお寿司が大好きでした。
しかしマスターもママも今や故人。特にマスターの逝去(2019年)を僕はその2年後に初めて知り、悔しく申し訳ない思いでいっぱいです。正直、寂しいです。でも、現実を受け入れないとね。
現在は次女の実枝子さんが店を継ぎ、店名も「小料理 東」に変えて営業されています。お店にも何度か行って実枝子さんのお料理に舌鼓を打っています。実枝子さんとお寿司に関してトークもして、改めてお寿司に関していろいろ考えるようになりました。
握り寿司って、ホントに素敵な食べ物だと思いませんか?
いいネタとシャリが、すし職人の手の平で握られ成型されて、セクシーな流線形の美しいフォルムで提供され、それをお客も手でつまんでいただく。まさに職人の体温と「気」と「愛情」が乗り移った、掌から掌、ハートからハートに届けられた食べ物だと思うんです。特に、職人さんから馴染みのお客さんに目の前で提供される場合は、さらに愛情や気が乗ってきます。
僕も、たまには回転寿司も、テイクアウトの寿司もいただきます。おいしいですよ。だけど、すし職人の顔が分からないし、そもそもシャリも機械で自動的に握ったものもあります。職人さんからの愛や気はもちろんそこにはありません。すし屋で目の前で握ってもらった寿司には逆立ちしても敵いっこないんです。
ちょっと、おむすび・おにぎりにステージを移して考えてみます。よく言われるのは、子供は、自分のお母さんの握ったおむすびが一番好きで、他の人の握ったおむすびは「食べられない」という子もよくいます。僕も、思い起こせば、母か、ギリギリ祖母か叔母さんの握ったおむすびなら喜んで食べましたが、たとえばクラスメートのお母さんの握ったものはあまり食べたくなかったことを覚えています。
これを握りずしに置き換えると、同じことなら、大好きな、なじみのすし職人の握ったお寿司を食べたい、と思うのは自然なことです。僕にとっては、東寿司マスター寺内正春さんの握るお寿司がまさにそれでした。
マスターよりもおいしい寿司を握る職人さんは他にいるかもしれないけど、正春さんの手の平で握られ、彼の体温と「塩塚さん、どうぞ楽しんで食べてね」という愛情と気の込められた握りずしは、世界中どこにもない特別な価値のあるものでした。
だから、出された握り寿司は、なるべく早く食べないといけない。表面が乾いてしまうから、よりも、寿司に込められた体温や気が散ってしまうから、なんです。
マスターは僕に提供したお寿司を僕が食べてニッコリ満足する様子を時々ニコニコと見ていました。特に、必ず頼んでいた煮穴子やしめ鯖はマスターがしっかりと仕事を施した自分の子供みたいなものですから、僕がそれをおいしそうに食べるかどうかは気になっていたのかもしれません。
僕は今の家に引っ越してからもうすぐ10年になりますが、ここでは特に行きつけのすし屋はありません。
すし屋に常連さんと認められるには何度か行かないといけないし、ある程度お店側にも好感を持ってもらえないといけない。今からそれを一から積み上げるのはもう疲れるので、僕は東寿司が永代ホームなのです。
マスターとママは現実にはもう会えないので、これからは店を継いだ実枝子さんの握ってくれるお寿司を二代目ホーム寿司として楽しみにいただきたいと思います。
あっ、実枝子さんにはプレッシャーかけちゃったかな?ごめんなさいね。これからもよろしくお願いします。
「小料理 東」皆さんもよかったらぜひ訪ねてみてください。ホームページは
https://peraichi.com/landing_pages/view/nishiharaazuma1