松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

石橋更新

2007-11-22 01:53:40 | tv
高校時分の友達に石橋に呼び出され

呑んだその後帰れなくなったので
結局漫画喫茶に行ったので、このように更新しているのです。

『石橋』なんてこういう機会じゃないと本当に来ない町で
結果的には、いつものように梅田やらで飲むよりは、このような見知らぬ町に
「来たことがある」という経験が僕の中に残ったのだから、よかったのです。

『石橋』は、通っただけなら3回ある。
その最近は、梅田から宝塚まで歩いた事例だ。
ちなみに、最近はもはや自転車ではなく『歩く』という事の方に価値を置いている。
車では見聞できない事が自転車ではでき、自転車では見知り得ぬ事が歩いてやっと知見できるのである。

今年の9月以降に
東京、西宮~神戸、梅田~宝塚を歩いたが
歩いていて面白いのは絶対的に東京である。
東京は地形的に谷(→坂)が多いので疲労も少ない。
上ったり下りたりしている方が疲れないないので、梅田・宝塚よりは西宮・神戸間の方がまだマシか。

こう歩きまくって都市間の距離を実感していくと
不思議な感覚に襲われる。
その感覚とは、電車や車がトロく思えるのである。
「あの短い距離をこんだけ速かったら、もっと早く着くだろうに」と思う。
いい例が心斎橋~難波間だろう。あれくらい20秒くらいで着けそうな感じじゃないですか。
地下鉄は遅い。以上。

最近観たTVドラマ…
『14才の母』
『未成年』
『Good Luck』
『わたしたちの教科書』
『人間・失格~もしも僕が死んだら~』等々はどれも上質なドラマでした。

特に下の4作品など本当に唸るような秀作。
本当に唸るのです、僕は。
「これめっちゃ面白いやんか~」って部屋で一人で唸っているのです。
「よかったこの作品に出会えて~」って。
お分かりのように、僕は正直なのです。

でも純粋ではないと思う。
心がきれいじゃないのです、多分。
というのは、『人間・失格~』劇中で堂本剛演じるマコトの
正義感よりむしろ、それの土台となる『誠実』『純真無垢』という要素にあこがれる。

よういうものを感じる人間を好きになったり、憧れたりするのです、観てる最中。
人は自分にないものに憧れるって言うて
だから、そういうものに憧れる僕という人間には

そういうものが欠けているという訳ですね。
嗚呼・悲しいほど相当因果関係。

最近みつけたエエ台詞は

「私のことが好き?」
「付き合って…私とキスがしたい?」

「セックスがしたい?」
『未成年』の萌香役桜井幸子の台詞なのですが
どういう角度から分析しても

美しい台詞ですね。
死角がないというか…。

あぁ、ええ言葉。

子どもがこける

2007-11-15 21:06:42 | current affairs
何やら赤面してしまうほど書くのが久しぶりでして。

「子どもがこける」という光景を
特に僕の場合、アルバイト柄週末によく見かけるのですが

その時に泣く子と泣かない子に当然別れてくるのです。
そのそれぞれをリサーチし統計をとったのですが
結果としては

傾向とかそんなものは導き出されなかったのです。というのは…
まだ小さい子は泣いて、ある程度成長した大きい子は泣かない、という
生半可な原則(比例)のようなものはなく
まだ小さい子が我慢している傍で、年上の大きな子が号泣しているという

いわば『地獄絵図』と呼びましょうか
それらを悉く見守っているこちらとしては
実に忍び難い光景なのです。
その偲び難きを忍いだ僕は
顔を上げ、直面している次の問題に立ち向かって行ったのでした。

『転んで泣く原因は?』と疑問に思った
しかしその次の瞬間には、もう…
答えが出ていたのです。
『痛さ』を否定しつつ、出した僕の答えというのは 『ショック』 です。

衝撃、インパクトとでも訳せましょうか。
僕たち私たちが遠い昔、沈む陽のお陰でまだ何とか明るい校庭、いや、原っぱでもいい
駆けて駆けて、そして転んで、泣いたという懐かしい牧歌的な風景。

泣いてもいいんです。
泣かなきゃやってらんない衝撃が、そこで襲ってきたんですもの。

そう、あれは『痛さ』じゃなかったのです『ショック』だったんですね。

大人になって最近ではまったく『こける』だとか『転ぶ』といった経験は
無いに等しくなってしまったのですが

今だって自分がもし転んだら
恐怖に似たあまりのショック・衝撃できっと泣きたくなるんだろうなと想像できる。
たとえ、そこで泣いても、それは子どもって事じゃきっとないと思う。

大人だって泣いてもいいと思う。
もちろん子どもだって…。

だって、こけた時のショックって本当にキツいんだもの。