松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

2005-10-30 12:44:47 | outlook of life
男1人、犬一匹、猿一匹。どこかを目指し、そのどこかに向かって歩いている。

猿は離れてついている。
見失わない程度に後ろから、男と犬を、というよりはその関係を見ていた。

もう既に陽は落ち、あたりは真っ暗である。
男は大きな木を見つけた。とても気になったのだろう、ずっと見上げている。
猿にもその木は、とても気になる木であった。黒々と光り、風にざわめいているだけであった。

男は猿に、ここに野営することを告げた。猿は別に反対する理由もないので快く承諾した。
木の元で男と犬と猿は、焚き火をし、明日の備えも終えた。犬は既に寝ている。
男「さて、明日も早い、寝るか。」
猿(そういえば…お前は何処を目指しているのだ。まだ、それを聞いていなかった。)

男「ついて来れば分かる。気になるか?」
猿(気になる。が、ここで言わないのも何かの理由があっての事だろう。)
男「物分かりがいい猿だな。まぁ、それどころか喋る猿も、もっと驚くのだが。」
猿(ふふ…)
男「何がおかしい?」

猿(…人間の愚かさだよ。猿は喋らないものだと当たり前のように決め付けている。滑稽だ。)
男「…」
猿(しかしお前はまだマシな方だな。自分にとって受け入れがたいであろう私を受け入れている。
  大抵の人間どもは、そんな我々を恐れ、害と見做し、迫害する。迫害されるのは猿だけじゃない。
  この犬も、鳥も、猫も、木や花など植物でさえも。人間は、膨張しすぎたのではないか。
  もはや手遅れだ…今日、お前と、この犬をずっと見てきたが、やはりといったところだ。)

男「やはり…」
猿(相変わらずの一方的な愛なのだよ。いや、愛というのも間違いだ。お前は勘違いしている。
  人間の中でも、お前は違って進歩的だが、しかし結局はお前も同じ人間なのだよ。
  動物を飼い、その動物がなつく。いかにも理想的な関係で、家族の一員とさえ思う。しかし…
  何度も言うが、それはあくまで人間の理想に過ぎず、犬は以外と、そうでもない…らしい…)

猿は、答えを言わない。人間に自ずと気づかせるという、いかにも教育的であった。
猿が、人間に教育するなど人間にとっては異様で、理解不能、彼等は受け入れない。そんな時…
人間は必死にもがく。「愚かな猿などに…」と危害を加えたりさえする。それが愚かなのだ。
が、人間はこの男のように、説教じみた猿を許容、否、歓迎すべき段階に来ているのでは。

そのまま、男と猿は眠りに就いた。深い眠りであった。
石を落としてみる。
何をしても気づかない。

男は犬を見つめ、その男と犬を猿が見つめる。
その3者を私が見つめている。いや、見下ろす。

そう、私は雉である。この不思議な3者を、空から、木の上から見届けることにする。

2005-10-29 08:23:30 | outlook of life
男は無我夢中で探していた。犬が居ないのである。

犬が私を見失ったのか。私が、犬を見失ったのか。逸れてもう5日になる。
どちらにしても、探し出してやらねば。そして、きっと更に愛を注いでやるのだ。

それがあいつを「飼う」と決めた人間の責任という奴なのではないか。
そして、何より、純粋に可愛く思え、愛し始めていた。
もう探し続けて5日間、ずっと山中にある。

この日も、もう暮れかけている。本当にこの山に居るのか。
!!何か声がした。
目を閉じ。耳をすましてみる。
「ワンワン!!」何か生き物の吠えている声だ。あと…

「ホーホケッ!ホーホケッ!」此れも、初めて聞く声だが、何か動物の鳴き声だ。
男は、精神を研ぎ澄まし、声のする方向を探した。
(あっちか。)
その方向に急ぐ。
(あっ、あれか…えっ!?)

猿とそして、あいつが、あの犬が居たのである。喧嘩をしていた。
3つ驚いたことがある。
1つは、犬と猿は仲が悪いこと。「よし、犬猿の仲と呼ぼう。是非皆に教えてやらねば。」
2つ目は、(猿とはあの様に泣くのか)と猿が「ワンワン」と鳴くこと。
3つ目が一番衝撃であった。私の飼い犬があのような吠え方をすることである。「ホーホケッ」って…
ずっとただ見ている訳にもいかぬ、と仲裁に入る。

「これ!これ!!こーれ、こ、これ!!!」
何とか、彼等を引き離した。まず犬を落ち着かせる。
「落ち着け。落ち着きなさい…やっと、見つけたよ。どうだ、見捨てなかったであろう。
 探したよ。でも、まぁ当たり前か。何をしてるのだ、こんな山の中で。
 そうだ、しつけが足りないらしいな…」

後ろを振り向くと…猿がずっと男と猿を見ていた。
声がする。低い声だ。耳から聞こえてくるのではない。脳に語りかけてくる、そんな感じだ。
(ずっと、お前たちを見ていたが、実に面白い。)
信じがたいが、それは猿の声だと思われる。その真っ赤な顔は、変わらずこっちを向いている。

(お前は、その犬を愛しているが、果たしてその犬はそうでもないらしい。だからお前と逸れたのだ。
 ただの片思いだ。お前は、犬は飼い主の愛すると勝手な思い込みをしているのではないか。
 それで、飼い主の自分が犬を愛せばそれで、その関係が完成するのではないかと…

 犬と主の関係に、理想的な完成形などないのだよ。それは幻想でもない。お前の思い込みだよ。)
男は、抗わずに、ずっと黙って聞いていた。

(偶然にも、私は暇である。お前について行くことにしよう。ずっと見届ける価値がありそうだ。)

2005-10-28 08:45:07 | outlook of life
男が田舎道を勇ましく、堂々と歩いていた。

「田舎道を」というか何処を見ても田舎風景であった。
そんな時代、大昔の噺である。

悠然と、風を切って歩くその男に近づくモノがあった。
犬である。
種はミニチュアダックスフンド…見るからに胴は長いのに、足は極めて、短い。茶毛。

馴ついている様である、ずっと後をついて来る。
邪魔ではないが、気にならないでもない。
(別に急いでる訳でもないし…)
男は足を止め、道の傍らに佇む、丁度よい大きさの岩に、腰を下ろした。座る。

(休憩がてら、あの犬と戯れるのも良いか…)
犬は近づいて来、彼の足元にお座りした。
捨て犬らしい。首輪が付いているが、名前の文字は掠れて、見えなくなっている。
犬は下を垂らし「ハァハァ」言いながら、ずっと、こっちを見ていた。見つめてくる。
思わず、こっちも見とれてしまった。男は犬に話しかける。

「おお、よしよし。お前は何処からやって来たのだ。捨てられたのか。ヒドい奴が居るもんだ。
 自分から飼っておいて…人間なんて皆そうなのだよ。自分勝手で。そういう生き物なんだ。」
犬は、聞いていない様で聞いている、そんな表情で、ずっと座っていた。傍らで。離れないのである。
「これからどうするんだ?…って聞いても答えてくれないか…
 …『犬を飼う』か…どういう事なんだろうな『犬を飼う』って。ほんと人間のエゴだ。
 愛さなければならないだと思う。それも人への愛情とは別モノだと俺は思うんだ。

 つまり『飼う』というのは、その対象が死ぬ迄愛し続けなければならない。
 さらに、その愛は純粋であり、且つ責任でもある。そういうことなのだよ。
 …なんて偉そうなことを行ってみたりもしたが
 結局は俺も、その残酷で、自分勝手な人間の内の1人なんだよ。
 でも、お前のおかげで考える事が1つできたよ。ありがとな。」

「…そろそろ行くとするわ。お前もどこか落ち着ける場所を探すといい。じゃあな。」
男は立ち上がり、また歩き出した。犬はずっと私を見送っている。
どころか、ついて来るではないか。どこまでも。どこまでも。
「そうか。俺を試すというのか。なら、ついて来るがいい。

 俺も『飼う』という事が一体どういうことか向き合って、考えてみることにしよう。
 そうだ、俺の名前、云ってなかったな。教えておこう。桃太郎だ…桃から生まれたのだ。」

田舎道を男と犬が歩いていた。

無人島

2005-10-27 08:38:57 | current affairs
早速ですが、よくある質問。

「無人島に行くなら、何持って行く?」
このよくある質問に対してよく見受けられる、極めて馬鹿な回答がある。

それは、友達とか、携帯電話という答。
これ等は、本当に馬鹿な答えだと思う。それどころか、全く答えの体を為していない。
何故か。

まず、「無人島」とはどういうものかを考えなければいけない。
私は、「無人島」とは内面的な、そして、客観的なものである、と思う。
その島に行って自分ひとりしか居ないから、無人島なのである。
そう考えたときに、友達を連れて行ったら、その「無人島」は「無人島」でなくなるのである。

始めからその島に人が居なければ勿論そこは「無人島」だし
そこに、独りで乗り込んだらそこはまだ、「無人島」なのである。が…
そこに誰か、友達一人でも連れて行ってしまうと、その島はもはや「無人島」でなくなるのである。
「無人島」にとって、人は1人だけ。複数の人間の存在は、「無人島」を「無人島」でなくさせる。
あと、「携帯電話」という答え。

これは、人間的にも、十分疑う余地がある。頭がおかしいのか、と。
果たして、馬鹿である。
質問の意味を無視した、又は出題した人間その人を全否定している。
「携帯電話」といった外界のあらゆる処と連絡がとれる通信機器を持っていってどうするのだ。
寂しいから友達に慰めてもらうのか。又は、仲間を呼び寄せる。助けてもらう。
明らかに、問いの真意・目的から外れた、出題者を絶望させる程度の低い考えである。

この「無人島に行くなら、何を持って行く?」という質問に含まれる真意を考えなければならない。
さらに自分が持つ周りの全てのモノの中から持って行くものを選ぶ機会が与えられているというのに
そこで「携帯電話」を選ぶというのはどうかと思う。人間が浅いのでは。薄いのでは。
無人島に「携帯電話」を持ってくるような人は
普段から「携帯電話」に強く依存し、正しく「それが無いと生きられない」という人。

今の自分の全てを「携帯電話」に込めているギャールが多いのではないか。
また、そういう人は携帯電話の事をよく知っているであろうに…
電源はどうするのか。勿論「1つだけ」だから充電器は持っては行かせないし…
というか島に電源無いし。まぁ、(合っているであろうが)今回はそういう問題ではない。

また、選ぶもので、その人の「生きよう」という志が分かる。
「携帯電話」を持って行くような人は、「あぁ、ここで死に逝くのか…」と生きる欲望が足りない。
「生き抜いて、そしてきっと、無人島から脱出してやるんだ!」やはりこう思わなければいけない。

また、そう思える人は、きっと「携帯電話」や「友達」など選ばないのである、この場面で。
つまり、質問の奥に潜む意図を正確に掴まなければ駄目なのである。

「無人島」とは自分の問題である。「無人島」が「無人島」である意味・所以を。以上。

埋まることの無い決定的相違

2005-10-26 10:31:47 | current affairs
日本と東アジア(特に中国、韓国、北朝鮮)について述べるとしよう。

『述べる』だなんて、大それた言い方である。多分程度の低い話である。
「…と思いきや、レベルが高かった」というような良い意味の裏切りなど本当に微塵も無いだろう。

まず、双方の間に、決定的な歴史認識の違いがある。
あっちでは、日本が侵略したように書かれている。
確かにそうである。私も、そうであると思うし、完璧に日本が悪いと思う。

が、その表現の仕方。
あっちの教科書などは、過度に悪く、残酷に描かれているらしい。
(あぁ、この程度ではだめである。ちゃんと読まないと。実際に。)
しかも、一党独裁で、日本を最低最悪の悪の根源と教育されて…

それで育った次世代が国の指導者になって、日本と対峙する時に
先輩と同じように又は更に憎しみを以って我々の徹底的な、誠意ある償いを求めるのである。
当たり前だ。だから、きっと、我々にとっても彼等にとってもその道しかないのである。
だから日韓共同の歴史研究がなされているが、研究の段階は順調でも
資料を統一にする時に、絶対どちらかが譲らないとまとまらないのではないか。又は統一できず。

北朝鮮との交渉に於いても
むこうは植民地時代の償いを要求して来
我々は、拉致問題の解決を第1に考える。
日本と北朝鮮が、仲良く手を取り合うのがゴールだとすると
それに向かって行くには、双方が必ず必要である。
アメリカなど要らないのである。関係ない。

問題に対する取り組み方というか、入り方、入り口がまったく違うのである。
同じ目的地に向かうのに、一番早いやり方は
勿論、一緒のスタート地点に立ち、喧嘩しながらでも、一緒に歩んでいくことである。
ところが、今は『日本と北朝鮮の共生』がゴールであるという事さえあやふやなのではないか。
「北朝鮮など、どうにでもなってしまえ!」という声も少なくなく
私も、そう思うこともある。どうでもいいと。
立つべきスタート地点も離れているどころか、目指すべきゴールさえ霞んでいるのである。

2001年に首相が訪朝したが、それは全身ではなく
『日朝国交正常化』を目的とした2人3脚のマラソン大会の開催を意味するのではないか。
だから、私には、正常化の機会が出来たに過ぎないと思い。
そして、未だに前進してない。それどころか、スタート地点に集まっていない次元である。
 また、中国にしても、韓国にしても、北朝鮮にしても
60年前の戦争の反省と償いを優先的に、強く要求してくるが…

彼等が求める誠意のある謝罪・補償とは、果たしてどんなものなのだろうか。と、ふと思うことがある。
あれだけの残虐な行為をした我々は、どんな謝罪・補償をしても許されないのである。と私は思う。
其れは以前述べたが、殺人犯が死刑又は終身刑を以ってしても遺族の恨みが消えないのと同じである。
そして、教科書問題にしても、靖国問題でもそうだが(特に戦争補償と靖国問題に関して)
軍人慰霊など人道的な問題が、純粋にそうでなくて、政治のカードになっていることが悲しい。

あちらが意識的にそう認識し、意識的に出してきているように、私は感じるのである。
本当に、心から、戦争の犠牲になった方々を追悼するというのは
世界共通で、人間なら誰でも解ることで、加害者被害者は関係ないのではないか。
(まぁ、この意見は、被害者の側の心を知らないから、決して絶対とは言えないが。)

だから、私は、小泉首相の靖国神社参拝は賛成である。
先人を慰霊することを純粋に考えさえすれば、私的とか公的とか気にしないし
また、其れを言っている時点で、政治と考えている証拠である。(が、そう単純にいかないのが現実。)

とにかく、戦争などあらゆる手段によって、他の国をどうこうするということは
それだけの、強くしつこい『しこり』を残す事であり、それを覚悟しなければならない。なるほど。

戦争とは、そういうことである。以上。続きます。(各方面のメディアに触れた上の私論)

ナマイキのススメ

2005-10-25 06:38:29 | Weblog
さて、SPEED談義。

『white love』とか『my grauation』とか
世間では人気で、良い曲とされてる音の影で…あの名音は未だ掠れもせずに、響いている。

『ナマイキ』
名盤『White Love』のカップリング音として、その音は添えられていた。
ここで薦めるくらいだから、勿論良い音である。

まず、【「あの娘最近急におとなびた」って言われる】と
まず第3者の声で始まる。
これは、当時中2の私にとっては画期的であった。冬であった。

というのも私は思うに、歌は、対話だと思う。
歌っている歌手と、聴いている人と…あと時々第3者(友達とか恋人とか)が出てくるのだが。
その第3者はあくまで、伝聞という形でしか出てこないし、出してはいけないと思う。
あくまで、歌う者と聴く者との対話である。聴く聴かすの関係の中には2人が存在するのである。

歌う側が意識してる第3者は、そういう伝聞という形で出すか、又は当事者の場合もある。
…話が逸れた。
まず、上で何であの出だしを引き合いに出したのかというと
それだけで、主人公となる歌い手がそれまでどういう生き方はどうで、でも今はこう…と
主人公のバックグラウンドが分かるからである。

そして…
すぐ【恋の魔力は 絶大なんだね】とある。
これが、この音の最大のメッセージではないだろうか。
へぇ、そうなんだと勉強になったものである。

全体の話としては、5コ上の男を付き合っているのだが…自分の子供っぽさを認め
【背伸びしなきゃついていけない】と、頑張って背伸びして釣り合わそうとしているのだが
それを快感に思う自分も存在している。…まぁ聴くが早いかと。

自分が恋に愛に頑張ってるって描写は、恋愛に燃える自分の姿を冷静に客観視しなければいけない
と思うが、この歌でも勿論されてて、でもそれを全くといって感じさせないのである。

他の歌は【いかにも客観視してる】と感じてしまうのだが…この音、私のオススメです♪

帰還。

2005-10-24 02:56:18 | horse racing
どぉうぅぅもぉぅ~★

ああ、良いのか悪いのか。
私は思い知り、また還って来たのである。

菊花賞。あの、歴史的瞬間と、Deep Impact の強さを十分愉しめたのか?
いいえ。
あのレースに、果たして馬券など必要なのだろうか。

かの太田氏が言われてた通りである。
「勝負事にお金が係ると純粋に愉しめない。」
確かに、その通りである。全くの。
嘗て私は、競馬は、お金を賭けずに、愉しんでいた。

賭け始めたのも、こんなに競馬場の近くに棲むようになってからである。
と言っても、言うほど賭けてないのであるが…
浪漫というか…馬が走るその姿に、そして、彼等が創り出すドラマは、何よりも感動を誘う。

勢力図も、1年間に劇的に変わる。世代交代劇などとても面白い。
秋華賞でちょっといい思いしたからといって…此れからは馬券を控えよう。少なくともGⅠだけは。

これが、私の本当の姿である。私は、嘗ての、本当の、私に還って来たのである。

祝 Deep Impact 様

2005-10-23 22:05:07 | horse racing
安心。

彼は、遂に、果たして、やってくれた。
ほっとした。…何か、改めて書くのも変な心地がするもんだ。現在2005年11月03日。

時は2005年10月23日 日曜日 処 淀。
世紀の瞬間と、大袈裟でもあるが、本当の事でもあろう。
その日、現場に駆けつけていた13万人は、その一瞬を見に来ていたのであろう。

正に、望まれた偉業。
と、後、その大それた業は奇跡なのだけれども
13万人の願いは、確信というレベルまでに達していた。
13万人誰もが、確信した奇跡。だから奇跡なのではないのかもしれぬ。

奇跡とはどういうものなのか。
結局は果たされると分かっている奇跡は、奇跡と呼ばれるのか。
辞書の紐解く。
『奇跡』:常識では理解し難い出来事。とある。
なるほど、奇跡とはそういうことか。

ならば話は早い。
彼の業は、奇跡ではない。
我々人間が、彼の経緯と、それから分析し導き出された力と…
後、まだ底に潜むポンテンシャルと。
これらを照らし合わせて、この業は果たされる。
と、みんなが確信したのだ。

言うならば
あのような英雄が生まれて
存在することが奇跡なのであろう。
あの英雄がもつ、速さと、運と、強さが奇跡なのであって
タイトルなど、後から付いてきたものである。きっと。

21年前に全く同じ偉業をなした皇帝がいるが
どっちが強いかなんて議論がそこら中でなされている。
そんなの、はっきりいって分からない。当たり前である。
だからといって、年代を超えた兵だけの王者決定戦など不要である。分からないからいいのである。

それにしても、社会現象までになってしまった彼。それでも、当日はアクシデントに見舞われたようだ。
2周することが初めてだったらしい彼は、1周目にスパートしてしまったらしい。
あと、比較的小さな体だし、蹄も弱い。彼に一生纏わり付く重いハンデを背負い続け

彼は、これからさき、走り続けていくのだろう。それも、誰にも影を踏ませずに。
私たち人間も、これから先、しばらくは彼に心酔していくのだろう。

悦んで…

複雑快気

2005-10-22 20:00:05 | Weblog
この日、久方ぶりに、家族と会った。

私の部屋に来るという旨を、1週間前に聴かされた。
私の心を表すとすれば、幽かな安心、それのみである。

家族と離れることになった大学入学時は
少しだけだが、ホームシックに陥ることもあった。
そう考えると、少なからず、いやいや。大いに家族に対して愛はあった。

が、自分勝手な、自分だけの生活が3年も続くと
やがて、実家にも帰らず、電話もせず、自分独りの時間が心地良くも感じ始める。
電話でも、実際面と向かっても
将来のことばっかり口うるさく言ってくる親を煙たがり始める。これは言い過ぎか…

「私が一番分かっている。あなた達と同じ又はそれ以上に悩んでいるというのに…」
夢と、現実と後…などと頭を痛めながらも
「ああ、なんて自分勝手な私。両親も、心配してくれているからこそお金を出して くれて
その両親の力の上に今の生活が成り立っているのに…」
改めて両親の在り難さに感謝の気持ちを再確認。

その2つの間を行ったり来たりと葛藤しながら、3年間親と付き合ってきた。
前者など、郷里に居たままでは生まれ得なかった心情である。
明らかに、こっちの風土に慣れ、価値観も大きく違ってきている。完全に。
親の価値観に関して、もの凄く違和感を感じてきている私がここにいるからである。

こんなことを考えながらもこの先も暫くこの関係を続いていくことであろう。
この日、最近では滅多に食べない肉というものをご馳走になった。
親への感謝、依存による安心を感じながらも

その心の底で、倦怠の念が幽かに、でも轟々と動いていた。
かく我の今の心腑がパラレルに出来ているからこそ、より相手の事を深く考えるようになるのであろう。

だから、今のこの状態も別に、厭だとも思わない。

音読から黙読へ

2005-10-21 01:51:10 | Weblog
ああ、そうだったのか。

私が、これまでしてきたのは読書であって読書でない。
「僕は今、これにはまってて…」と、こんなひけらかされた読書など…

例えば
椅子に座り、本を広げて、それを読んでいる私。
が、意識は本に注がれず、外に向かっていた、ようだ。

兎に角
純粋な『読書』ではなく
ファッションとしての『読書』
自分が今何を読んでいるのか、周りの人に知って欲しくてしょうがないと…

所謂、幽かにブランドのロゴが入っている服と一緒である。
何とも可笑しな話である。
読書とは、そういうものか。否。
只、それだけではない。他にも理由がある。
それは、自分の考えの浅さ。焦燥。それに深みを与えるための読書。まだマシか。

その本を始めて開くときに、理由なんていらないはずである。
他の人はどうだろうか。
その本が読んでみたいから。愉しみたいから。当に、本の中に意識がいってる。
勿論、項数が増えていく内に、読書への純心は生まれ、大きくなっていくのであるが…

それに物凄く集中している自分と、外を物凄く意識している自分もいるのである。
自分の中で無意識に、読書することをものすごく言い事として見なし
それを、仲間の間で、自慢したく仄めかしひけらかし…

これは今年の初期の話で、最近では、今述べたことはかなり純化してきた様だけど。
私には、邪念ばかり纏わり憑き悩む。はやく本の虫にならなければ。そんな時期はとうに過ぎた。後悔。

読書とは夢である。私は、それについて暫く口を閉ざすことにする。