なんでもないようなことが、シアワセなんだと思う。

こころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなくかきつけてゆきます。

義父の13回忌に思う・・・

2011-01-05 13:59:48 | Weblog
義父の命日

13回忌となるので、お寺さんにての法要で、娘と3人で出向く。

共に読経をし、ちょっとした御高話をいただく・・・

申し訳ないが、特に心に響くお話でもない・・・

もはや心は上の空で、一生懸命義父が生きていた頃の姿を思い出していた。


去年義母の3回忌を(この時は)自宅で法要したが、ただ只慌しくて、

これも申し訳ない話だが、特に感慨はなかった。

やはり、義母が生きていた頃の姿を思い出す時間でしかなかったように思う。


我が家は、12年前から、春のお彼岸・お盆・秋のお彼岸とお寺さんに出向いている・・・

義父を亡くして数年は、義母と息子と娘を伴っていた。

その時は、先代の住職のお話を、神妙な気持ちで聞いていた覚えがある。

もともと宗教を重んじる人間ではないから、信仰出来ないながらも

自然と心に入ってくるお話であったのだろうと思う。


1999年1月5日の日記

AM.市民の森へ見舞い。迫田義姉さん帰ってきていました。気胸を起こし吸引されており、顔の表情がガックリと精気を失っており、『戻らないかもしれない・・・』という思い強し。PM.○○は雄太君と、○○は不本意ながらもなるみさん・さきちゃん、けんちゃんと遊ぶ。ちびっ子らはず~っと外遊びですが、兄らはず~っと家内遊びです。
一旦帰宅した父さんも表情冴えず、再び「血圧が下がってきた・・・」と、義姉さんの電話で赴く。「遅くなってからでも呼んでいいね」と残して。
ひっそりと夜を過ごしていたら、9時過ぎに電話。「瞳孔が開いているから来て」と。兄妹を促して病院へ向かう。途中、たまらずに涙にむせる。子供らにも伝わり緊張する。
病室に着くと、すでに静かに心拍を刻む音と、規則正しいレスピレーターの音と、すすり泣く声・・・
終わりを迎えた静寂の中で、「みんなそろいましたから、もう・・・レイトを下げてもらっていいですから・・・」と父さん。
わけもわからず、さすがにその時の近づくのを感じ、○○も○○もたまらず涙しています。
静かに・・・静かに・・・見守られる中に、ひっそりとその呼吸を止め・・・心拍を止め・・・て、PM.10:04帰らぬ人となりました。苦しみの時と、その後に待ち受ける運命を思うと、これで幸せだったのかもしれないと思います。
お義父さん、子供らを可愛がってくださってありがとうございました。


故人を思い出すことが一番の供養なのだと思う。
コメント
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