『猫とひなた』は、最高の組み合わせです。
(=^・^=)
(余談)
先日、看護学校時代からの友人の訃報を、携帯電話で伝え聞き・・・
5月の同窓会に、病身をおして参加して、心配させまいと笑顔を浮かべていた姿が偲ばれました。
「決して、楽観できない」と思っていたけれど、現実は本当に切ないものですね。
年に1度会うか合わないか?程度のつきあいなんだけれど、
「関係性」って、会う頻度とか、交わす言葉数とか、年賀状出すか出さないかとかじゃ量りきれなくて、
私は、彼女という人間が大好きだったようです・・・。
電話で「私と〇〇さんは、明日の通夜に行くけど、あなたどうする?一緒に行く?それとも告別式に行く?」
・・・(どれも、行かない。行きたくない。不義理と言われようが、私はひっそりと冥福を祈りたい。)と思いながら、言葉を濁して切りました。
「葬儀」は、逝く人よりも、残った人の為にあるものだと思います。
残るものが、
故人と、きちんとお別れをして、
引かれる思いを断ち切り、
「思い出」に変えて、
明日からの糧にして生きていく。為に・・・
出来れば、そうした方がいいと思います。
しかし、その儀式が心底辛いと感じてしまう「関係性」があって、
その時間を耐えて耐えて、ボロボロになってしまう事があるのです。
人にはわからないと思います。自分でもよくわからないのですから・・・。
二晩悩んだすえに・・・
車を走らせて1時間・・・「告別式」に参列しました。
・・・やはりボロボロになりましたが・・・
彼女の、5月(同窓会)の思いを汲めば、私のセンチメンタリズムなど、どーでも良い事ですもんね。
そこには、私の知らなかった彼女がたくさんいて・・・より近しい存在に感じました。
今日、ここに来たことで、
「さよならだけど、サヨナラじゃない」ような気がして、清々しい気分にさえなれた。
ありがとう岩ちゃん。
あらためて冥福を祈ります。