なんでもないようなことが、シアワセなんだと思う。

こころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなくかきつけてゆきます。

年に1度くらいしか、泣かなくなりましたが・・・

2016-11-10 09:20:45 | Weblog

 

『猫とひなた』は、最高の組み合わせです。

         (=^・^=)

 

(余談)

先日、看護学校時代からの友人の訃報を、携帯電話で伝え聞き・・・

5月の同窓会に、病身をおして参加して、心配させまいと笑顔を浮かべていた姿が偲ばれました。

「決して、楽観できない」と思っていたけれど、現実は本当に切ないものですね。

年に1度会うか合わないか?程度のつきあいなんだけれど、

「関係性」って、会う頻度とか、交わす言葉数とか、年賀状出すか出さないかとかじゃ量りきれなくて、

私は、彼女という人間が大好きだったようです・・・。

電話で「私と〇〇さんは、明日の通夜に行くけど、あなたどうする?一緒に行く?それとも告別式に行く?」

・・・(どれも、行かない。行きたくない。不義理と言われようが、私はひっそりと冥福を祈りたい。)と思いながら、言葉を濁して切りました。

 

「葬儀」は、逝く人よりも、残った人の為にあるものだと思います。

残るものが、

故人と、きちんとお別れをして、

引かれる思いを断ち切り、

「思い出」に変えて、

明日からの糧にして生きていく。為に・・・

 

出来れば、そうした方がいいと思います。

しかし、その儀式が心底辛いと感じてしまう「関係性」があって、

その時間を耐えて耐えて、ボロボロになってしまう事があるのです。

人にはわからないと思います。自分でもよくわからないのですから・・・。

 

二晩悩んだすえに・・・

車を走らせて1時間・・・「告別式」に参列しました。

・・・やはりボロボロになりましたが・・・

彼女の、5月(同窓会)の思いを汲めば、私のセンチメンタリズムなど、どーでも良い事ですもんね。

 

そこには、私の知らなかった彼女がたくさんいて・・・より近しい存在に感じました。

今日、ここに来たことで、

「さよならだけど、サヨナラじゃない」ような気がして、清々しい気分にさえなれた。

ありがとう岩ちゃん。

あらためて冥福を祈ります。

コメント
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