子供達のいる川崎から、1人で住む大阪に戻ってくると、
自宅のガーデニングもいつかまた楽しめるように。。。
大体、翌日は、"つまらないなぁ"という虚しさで、ボーッと過ごして1日が終わります。
家族と過ごしていれば、誰かしら何かしら会話をし、家事も、忙しいながら"生活している感"があって、それが私の日常だったのに。。。
大阪に異動と言われた時は、
一人暮らしの本質をまだわかっておらず、
やったー🙌 あんなに欲しかった自分の自由時間がこんなに早く訪れるなんて!と嬉々としていました。
令和元年5月1日、
ちょうど元号が変わる歴史的な日に、大阪府民となりました。
辞令が出たのはちょうど4年前の春。
早速家族会議です。
その年の4月から次男くん関東の大学進学の為、引越し準備をしていました。
あーちゃんは遠く寮生活を送っていて、
高校2年生になる年でした。
この時点で既に3世帯になる事は、皆認識済みです。
が、そこに加わった私の転勤。
なんとなく、異動の匂いは察知していたので、その年のお正月に、異動になるかもしれないから、その心積りでいてねという話は既に家族には共有していました。
でも、こんなに何もかもいっぺんに来なくても。。。
幸い、次男くんは年内に進学先が決まった事もあり、早々に物件の契約を済ませていた為、住まいは確保済み。
さて、自宅をどうするか。
長男が1人で住むにはコストがかかり過ぎる。。。
長男は大学卒業まで残すところあと1年。
そして、その時既に卒業後東京に行く事が決まっていました。
愛犬達はどうするか。
大阪の住まいはどうするか。
1ヶ月でめちゃくちゃ多くの決断をしなければならない…という事で、
迷う暇なんてないわっとばかりに直感で?バッサンバッサン決めまくりました。
まずは自宅です。
まだこれからガッツリ学費がかかる数年間。
賃貸の為にリフォームする余裕はありません。
離婚の時、あんなに揉めて奪い返した自宅を、
子供達の幼かった頃の思い出がたくさん詰まった自宅を、、
売却する事にしました。
これが買った時より若干高く売却できたので、ローンを返済し、残りは私立大2人の学費に充てる事ができたので、なんともはやです。
愛犬達は、実家の父が可愛がってくれていたので、快く引き受けてくれましたが、
離れる私たち家族の方がなかなか踏ん切りがつかず…
長男には大学近くの物件探しを指示し、
私は家族4人分の家財一式と、
買って1年目の車の駐車場と、
アップライトピアノがおける物件を探す。。。
そして、次男くんの引越しの手配、
長男、私の引越しの手配。キッチン雑貨等、家にある物を3箇所分に分けて、足りない物をリストアップ。どれだけ百均に通ったことか…
1ヶ月でこの準備&実行はなかなかハードでした。
私の引越し先を決めるのに、1番ネックとなった事が、
まさかのアップライトピアノでした。
えー、そうなのー?って感じで、
アップライトピアノがおける物件となると、
極端に数が減り、且つ、築年数の古い物件がほとんどでした。
ピアノとエレクトーン…2台は無理か…
社会人になってやっと手に入れたエレクトーンも泣く泣く手放し、
やっと見つかった物件。
しかし、入居できるのは5月から、、
4月いっぱいはレオパレスの物件にお世話になり、
5月1日、元号が変わるその日から、大阪に引越す事になりました。
4人家族、4府県に4世帯です。
えっと、私シングルマザーです。
4世帯は大変なんだぞと言っていた父と並びました。
かくして、あーちゃんに会いに行こうと思ったら、新幹線で福岡へ。そこから車を借りて300キロ走行。移動距離約800キロの往復を土日で決行。だいたい1回/2ヶ月のペースで2年間。
これ、ほんと私よく頑張ったと思います。
翌年には長男大学卒業し、関東へ。
更にその翌年にはあーちゃんも大学進学で関東へ。
あーちゃんの場合は、親元からの通学ではない場合、2年生までは寮に入る事が部活生の条件となっていました。3年次には退寮せねばならなかったので、
1年間入寮し、2年次に事情を説明して退寮、
川崎に3人とも引越しをして、1箇所に住んでもらうようにしました。
3人で暮らす事、よく子供達が承知したね、と言われる事がありますが、
2011年のアパート暮らしの経験や、私の経済状況を見て、子供達で判断してくれたのだと思います。
世間では、親ガチャなんて言う言葉が生まれ、えっ?親のせいかい?とビックリしましたが、"置かれた場所で咲きなさい"という本もありました。
人生をどう解釈するかは人それぞれですが、
世界にひとつだけの花になれるように、
太陽の方向を向いて頑張るのみです。
自宅のガーデニングもいつかまた楽しめるように。。。