釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:『凡兆について』(芥川龍之介)

2013-07-03 09:34:39 | その他の雑談
『凡兆について』という一頁にも満たない芥川龍之介のエッセーがある。
私は俳句は全くの素人で正直なところ余り関心がない。
しかし、此の芥川のエッセーは面白い。

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『物の音ひとり倒るる案山子(かかし)かな』

これは芥川が此のエッセーで筆頭に紹介している凡兆の句で、彼はこの句を、
『何かピシリと僕らの心を打つものがある。』と評し又『凡兆は非常に鋭い頭を持つてゐたらしい。』とも書いている。

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俳句に全く疎い私も凡兆の此の句のもつ一種の気迫を感じ取ることができる。

実に鋭利な句だと思う。おそらく俳句でなければ表現できない或るモノを私も感じ取れる。或るモノとは?  

私は其れは数学の簡潔な証明に似た鋭利さであると思う。一つの現象を的確に捉えていて、そぎおとすものが一字たりとも無い。

芥川が凡兆を『非常に鋭い頭をもってゐた』と評したのは誠に正鵠を得ていると思う。
なぜなら、此の凡兆の句は、非常に知的に私は感ずるからだ。

まさに芥川好みと言えるかも知れない。




雑談:鬱陶しくてしようがない・・・

2013-07-01 15:02:01 | 釋超空の短歌
何もやる気がしない。何か書きつけて此の鬱陶しさを払しょくしよう。
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私の部屋の窓からスモーク・トリーの『煙』がよく見える。
この珍しい木は数年前だった家内が買ってきて広くもない我が家の庭に植えたら、
家中が薄暗くなるくらい成長し、今やモヤモヤとした『煙』だらけである。
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先日は文学を私はケなしたが、釋超空ほか数人の『文学』は私は好きなのである。釋超空の好きな歌について書こうか。と言っても実は以前書いたものであるが、
今の私の憂鬱さに、カツッを入れてくれる歌なのだ。
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『夕空の さだまるものか。
   ひたぶるに
 霄(は)れゆく峰に、
むかひ 居にけり  』
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座敷の障子を開け、正座して、武士が雨上がり夕空をじっと見ている。

傍らに太刀を置き、正座の姿は微動だにしない。
その凛とした姿。
なにかを覚悟しての夕空の凝視だろう。

あした切腹するのかも知れない。
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与謝蕪村に以下の句がある。

『お手打ちの 夫婦(めをと)なりしを 衣替(ころもがへ)』

この夫婦の仔細な事情はここでは問わない。
ただ、あした夫婦共お手打ちなるのだ。
しかし今日は衣替えの日。

夫婦は今日平然として衣替えをする。
毎年行っているように。
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私はこういう人たちの心構えに憧れる。
非日常を目前としながら日常の中の平常心。
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雨あがり空はやがて夕焼けへと赤く染まっていく。
開け放った障子の外の樹々も静かだ。
武士はやはり正座を崩さず凛として「霄(は)れゆく峰」をみつめている。
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私の鬱は、つまりは平常心の欠如なのだ。
それは自分で分かりすぎるほど分かっている。
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『夕空の さだまるものか。
   ひたぶるに
 霄(は)れゆく峰に、
むかひ 居にけり  』

私も正座して『霄(は)れゆく峰に』向かおう。