ブライダルシーズン到来である。
会社のコが寿退社し、同僚の次男坊が来週ハワイで挙式である。
それぞれの結婚ばなしを聞いていると、なかなか面白い。
かたやお嫁さんの立場から、かたやお姑さんの立場からの話だ。
結婚する当事者の年齢はよく似たものなので、考え方などはそう違わないだろう。
両者の話を、外野席で聞いていての感想は、結局自分の家の考え方を相手方に要求したい、と両者が願っているのだ、ということに尽きる。
結婚は両性の合意に基づき、婚姻届をだせば成立するものなのだが、実際にはそう簡単なものではない。
それぞれが親族をひきずっているから。
また、結婚「式」というものに関しては、それぞれ価値観が多様でそれをひとつに統合した状態の結果を披露する、ということにもあれこれトラブルがついてまわるようだ。
そういったことを平穏無事に終わらせるためには、どちらか一方が言いたいことを飲み込んで、相手方のやりたいようにやらせるのが一番の方策のように思える。
今回、この二組のカップルが結婚するにあたっても、それぞれ小競り合いを起こしつつ突き進むしかない、ということで前進している。
私自身に置き変えて考えたなら、我家は夫の両親が非常に理解のある、こだわりのない人達であったので、これといったトラブルもグチもなく、スムーズに事が運んだ。
ひょっとしたら、義父母の胸の内には、言いたいことがあったかもしれないが、そういうことを私の耳に入れないようにしてくれていたのかもしれない。
私も夫も、冠婚葬祭といったイベントには全くと言っていいほど、価値を見出していないので、特にこんな婚礼にしたいとか、お葬式の地味なのはお金がないみたいで嫌だとか、そういった意識がまるでない。
友人のなかには、もう一度自分で組み立てたブライダルでやり直したい、と思っている人もいるが、私は自分の容姿にまったく自信がないのもあって、ああいうハレの舞台はご勘弁願いたいので結婚式なんて二度と御免だと思っている。
親の意識というのも時代とともに変化するようで、昔なら一度嫁いだら、二度と実家の敷居はまたがせない、と送り出す新婦側の親が多かったが、今は嫌なら別れてさっさと帰っておいで、と見送る親の方が多いらしい。
普段、周りに気を使って、その心労で倒れるほど気働きしている優しい同僚でさえ、姑という立場になるとあれこれこうるさくなるようで、私を相手に日々愚痴っている。
ただ彼女のえらいところは、絶対にその愚痴を他人である私や、自分の友人以外には言わないところだ。お嫁さん1号とは、ちょっとした言葉のやりとりでむくれられてしまった経験があるので、お嫁さん2号とも、どんなにカチンとくることがあったり、イライラすることがあっても嫌味の一つも言わないようにしているらしい。
自分が姑から、色々嫌味を言われたり、意地悪をされたことでつらかったこともあり、けっして自分はそんな姑にはなるまい、と心に誓ったそうなので。
昨日の送別会でも、主役の女のコの愚痴を聞いて、同僚は自分の身に置き換えて反省材料にしていたのがおかしかった。
私にしてもそうだ。
今まで自分が嫁の立場だったが、うちの息子と結婚してもいいよ、という奇特な方が出現してくれたなら、あと10年もしないうちに姑の立場となる。
その時、今の姑が私に接してくれたように自分もできるかどうか、自信はない。
両家の考え方にしても、生活の仕方にしても違ってあたりまえ。
外国人と結婚した、とでも思えばうまくいくのかもしれないな、と昨日の二人の話を傍らで聞いていて考えた。
会社のコが寿退社し、同僚の次男坊が来週ハワイで挙式である。
それぞれの結婚ばなしを聞いていると、なかなか面白い。
かたやお嫁さんの立場から、かたやお姑さんの立場からの話だ。
結婚する当事者の年齢はよく似たものなので、考え方などはそう違わないだろう。
両者の話を、外野席で聞いていての感想は、結局自分の家の考え方を相手方に要求したい、と両者が願っているのだ、ということに尽きる。
結婚は両性の合意に基づき、婚姻届をだせば成立するものなのだが、実際にはそう簡単なものではない。
それぞれが親族をひきずっているから。
また、結婚「式」というものに関しては、それぞれ価値観が多様でそれをひとつに統合した状態の結果を披露する、ということにもあれこれトラブルがついてまわるようだ。
そういったことを平穏無事に終わらせるためには、どちらか一方が言いたいことを飲み込んで、相手方のやりたいようにやらせるのが一番の方策のように思える。
今回、この二組のカップルが結婚するにあたっても、それぞれ小競り合いを起こしつつ突き進むしかない、ということで前進している。
私自身に置き変えて考えたなら、我家は夫の両親が非常に理解のある、こだわりのない人達であったので、これといったトラブルもグチもなく、スムーズに事が運んだ。
ひょっとしたら、義父母の胸の内には、言いたいことがあったかもしれないが、そういうことを私の耳に入れないようにしてくれていたのかもしれない。
私も夫も、冠婚葬祭といったイベントには全くと言っていいほど、価値を見出していないので、特にこんな婚礼にしたいとか、お葬式の地味なのはお金がないみたいで嫌だとか、そういった意識がまるでない。
友人のなかには、もう一度自分で組み立てたブライダルでやり直したい、と思っている人もいるが、私は自分の容姿にまったく自信がないのもあって、ああいうハレの舞台はご勘弁願いたいので結婚式なんて二度と御免だと思っている。
親の意識というのも時代とともに変化するようで、昔なら一度嫁いだら、二度と実家の敷居はまたがせない、と送り出す新婦側の親が多かったが、今は嫌なら別れてさっさと帰っておいで、と見送る親の方が多いらしい。
普段、周りに気を使って、その心労で倒れるほど気働きしている優しい同僚でさえ、姑という立場になるとあれこれこうるさくなるようで、私を相手に日々愚痴っている。
ただ彼女のえらいところは、絶対にその愚痴を他人である私や、自分の友人以外には言わないところだ。お嫁さん1号とは、ちょっとした言葉のやりとりでむくれられてしまった経験があるので、お嫁さん2号とも、どんなにカチンとくることがあったり、イライラすることがあっても嫌味の一つも言わないようにしているらしい。
自分が姑から、色々嫌味を言われたり、意地悪をされたことでつらかったこともあり、けっして自分はそんな姑にはなるまい、と心に誓ったそうなので。
昨日の送別会でも、主役の女のコの愚痴を聞いて、同僚は自分の身に置き換えて反省材料にしていたのがおかしかった。
私にしてもそうだ。
今まで自分が嫁の立場だったが、うちの息子と結婚してもいいよ、という奇特な方が出現してくれたなら、あと10年もしないうちに姑の立場となる。
その時、今の姑が私に接してくれたように自分もできるかどうか、自信はない。
両家の考え方にしても、生活の仕方にしても違ってあたりまえ。
外国人と結婚した、とでも思えばうまくいくのかもしれないな、と昨日の二人の話を傍らで聞いていて考えた。
運動会のお弁当作りから逃避中のmarcoです。
私も出来るならば結婚式自体をやり直したいと思っています。もっとシンプルにしたかった。
あのころは若かったと思います。
ただ好きだけで結婚ができるなんて・・・。
現実はきびしいもんですよね~。
お互いがそれぞれの主張をせずにお互いのことを思って話をすれば自然とうまくいくと思うのです。
「あちらがこうしたからこちらもこう」と張り合うようなことをして、うまく合わないとこんなことではいけない、こうしないと。
となんだか変な文章になっているし、うまく表現できないけど…。
私、同居してます。
なるべく波風を立てないようにしなければいけない事を同居して学びました。
結局は、がまん・辛抱です。息子が三人いてお嫁さんが来る立場にいるのですが…複雑かな~。
「お義母さんが一緒でいいね~」ってよく言われます。「子供が四人もいると助かるでしょ」ってこれってかなりへこむ言葉です。私っていったいなんなの?
って。いろんな環境の中で自分が楽しむことが大事なのでしょうが、素直になれないときが多々あります。
これを救ってくれるのはオットなんですけど、オットの母のことなのでストレートにはいえないのでまたまたへこむんです。
長いね。ごめんなさい。これって私の場合です、ね。
ちょっとスーッとしました。ありがとう。
私みたいに恵まれた姑との関係でも、あの地震のあと1ヶ月位夫の実家に幽閉されたときには、すっごいストレスを感じました。それが何十年にも及ぶとなれば、どんなによくできた姑でも嫁でも、難しい問題がイロイロと浮上してくるでしょうね。marcoさんみたいに自分を抑えたり、気持ちの切り替えを工夫しているお嫁さんって多いのかな?どうなんだろ。
会社の同僚の話を聞いていると、一緒になって熱くなってしまうのですが、お互いの言い分を聞いてみないとわからないことってありますよね。
結局は、互いの思いやり、歩み寄りなんでしょうけど。割り切る事も大事だし。
marcoさん、へこんだらまた、つぶやいて行ってください。人の話聞くの大好きだから、私。
でも、私の弟は長男なのに、二人目という事で親も余分な力が抜けたのか、「親をつれてハワイで挙式」なんて自由なことが許されてしまって私は力が抜けました。{/kaeru_shock2/ズルイよ~。(ハワイに行きたかった訳ではないのですが)
私はとても子連れでハワイはムリなので参列せず。
地元での披露宴はいきましたけど。
それより前に結婚した職場の知人でどうしても旦那の母が当時でも既に見る事がなくなっていた「砂糖で出来た鯛」を引き出物に懇願していると嘆いていました。
鯛の形のビニールに砂糖が詰まったアレですね。
結論は忘れましたが。
私みたいにこだわりのない人間からすれば、「式」と名の付くものに莫大なお金をつぎ込むという発想が理解出来ません。由緒ある家柄とかじゃないから言えることなのかもしれませんが。。
似たような考え方のおうちのお嬢さんが、息子のお嫁さんになってくれることを願うばかりです。
同僚は、ハワイで挙式、お嫁さんの里に近いところで披露宴ということで出費が倍かかって大変だ、と嘆いています。これも、嫁さん側の発案から生じた結果なので余計に腹立たしいのでしょうねなかなか大変ですわ、他人事ながら。