時節柄、あちらこちらの日記にはPTA役員の話題が花盛りである。
その大半は、引き受けてしまった(または、引き受けさせられてしまった)という内容のものだ。
あまり、ならずに済んでラッキー!という日記にはお目にかからない。
おそらく、引き受けてくださった方への配慮があったり、公にそういう正直な気持ちを表現することをはばかる気持ちが働いてのことと思われる。
かく言う私は、過去10年間たったの一度きり、働いただけだ。
息子が小学校に上がると同時に、この地へ引っ越してきて、入学式で見知ったお母さんは誰もいなかった。たまたま、隣に座ったお母さんに話しかけられ、そのお母さんからPTAの役員は、この学校では必ず1度は経験させられる、ということやなるべくなら低学年でなっておくほうが大役を任ぜられることがない、という情報を仕入れることができたので
ま、なったらなったでいいか、と軽く考えていた。
教室には、間髪いれず本部役員さんが入ってきて、
「どんな理由も一切認めません。皆さん公平にジャンケンで決めていただきます。」と
一気にまくしたて、一斉にジャンケンとなった。
ジャンケンなら文句は言えないよね、と比較的和やかなムードの中での役員決めだった。
小学校の教員をしている友人によれば、学校によっては泣き喚くお母さんもいたりして、判事として先生が間に入って苦労するところも多いのだとか。
そんな中、一人しかこどもがいないこともあり、引き受けることにした私。
幸い、てきぱきしたお母さんが一人いて、クラス役員長を引き受けてくださった。
あとは、分科会選び。他のお母さんの情報ではベルマークが一番楽よ、と聞いていたがすごい倍率であえなく玉砕。
比較的空いていて、やってもいいかな、と広報部を選んだ。
お友だちのbbsを読んでいると、広報部というのは人気がないらしい。
だが、広報は年3回の広報誌の発行がメインなので、そんなに仕事がないのだ。
おまけに、過去の踏襲がほとんどで新たにがんばって何かしようとしない限りは特に文章を書く必要もない。
一番メリットがあるのは、運動会や学習発表会である。「広報」の腕章を水戸黄門の印籠がわりに腕にはめ、居並ぶパパママカメラマンの前を堂々と横切り、役得とばかり自分の子どもをこっそり激写(爆)することも可能なのだ。
その意味でも、可愛い間の低学年で広報委員になっておくのは損はないと思うのだけど。
確かに、部長、副部長になった人たちは、なんだか頻繁に本部会議に出席させられるようで大変そうだった。
委員になったからといって、毎回絶対出席しなくてはいけない、というものでもなかったし実際働いているお母さんたちも何名かいて、皆仕事のスケジュールをなんとかやりくりして、出ようと努力はしていたと思う。反対に仕事をもっていないお母さんたちも、気を使って「無理しなくてもいいよ。」と声をかけてあげたりしていた。
私の所属した部が、たまたま善良なお母さんたちだっただけなのかもしれないが、はなっから
「絶対、できませんからっ!」と言い放ち役員を逃げ続けるひとっていうのもどうなんだろう。
私も、正直に言えばああいうお母さん方の集まりは、どっちかといえば苦手である。
人嫌いというのではないけれど、大勢のひとの輪に入っていくのが苦手なのだ。
ただ、じっと黙って聞くことに徹することが出来るタイプかといえば、そうではなくて口を開けば余計なことまで言ってしまうタイプだ。だからこそ、なるべくそういう人の集まる場所への参加は控えていたほうが、身のためであると自重していることもある。
だから、役員と名のつくものを引き受けたがらないお母さんの気持ちが全くわからないでもないのだけれど、同じ人ばかりがさせられるというのも、なんとも気の毒な気にもなる。
だけど、大元に立ち返って考えたなら、本当に必要な役員会なんだろうか、ということ。
私のいた広報部にしても、前年と変わらない内容の広報誌を作り、その会合もだらだらとおしゃべりして、お茶を飲んで過ごすことも少なくなかった。
他にも、文化部というのは年1、2回研修旅行と称して観光旅行を企画していた。
役員でさえ行きたくないのに、わざわざそういうものが慣習としてあるから行われている。そのために、PTA会費が使われてる。
また、昨今の少子化、物騒な世情にあわせて昔なら子どもにさせていたことを、親が代わってさせられている。
そんなことを総じて考えたなら、行政だけではなくPTAだって、もっと簡素化すべきなんじゃないだろうか。
そうした上で、全PTAが参加する、参加できる現実に即したPTAというものを再構築すべきなのじゃないのかな、と泣く泣く引き受けさせられたお母さんたちの日記を読んで今頃になって思ったりするのだった。
その大半は、引き受けてしまった(または、引き受けさせられてしまった)という内容のものだ。
あまり、ならずに済んでラッキー!という日記にはお目にかからない。
おそらく、引き受けてくださった方への配慮があったり、公にそういう正直な気持ちを表現することをはばかる気持ちが働いてのことと思われる。
かく言う私は、過去10年間たったの一度きり、働いただけだ。
息子が小学校に上がると同時に、この地へ引っ越してきて、入学式で見知ったお母さんは誰もいなかった。たまたま、隣に座ったお母さんに話しかけられ、そのお母さんからPTAの役員は、この学校では必ず1度は経験させられる、ということやなるべくなら低学年でなっておくほうが大役を任ぜられることがない、という情報を仕入れることができたので
ま、なったらなったでいいか、と軽く考えていた。
教室には、間髪いれず本部役員さんが入ってきて、
「どんな理由も一切認めません。皆さん公平にジャンケンで決めていただきます。」と
一気にまくしたて、一斉にジャンケンとなった。
ジャンケンなら文句は言えないよね、と比較的和やかなムードの中での役員決めだった。
小学校の教員をしている友人によれば、学校によっては泣き喚くお母さんもいたりして、判事として先生が間に入って苦労するところも多いのだとか。
そんな中、一人しかこどもがいないこともあり、引き受けることにした私。
幸い、てきぱきしたお母さんが一人いて、クラス役員長を引き受けてくださった。
あとは、分科会選び。他のお母さんの情報ではベルマークが一番楽よ、と聞いていたがすごい倍率であえなく玉砕。
比較的空いていて、やってもいいかな、と広報部を選んだ。
お友だちのbbsを読んでいると、広報部というのは人気がないらしい。
だが、広報は年3回の広報誌の発行がメインなので、そんなに仕事がないのだ。
おまけに、過去の踏襲がほとんどで新たにがんばって何かしようとしない限りは特に文章を書く必要もない。
一番メリットがあるのは、運動会や学習発表会である。「広報」の腕章を水戸黄門の印籠がわりに腕にはめ、居並ぶパパママカメラマンの前を堂々と横切り、役得とばかり自分の子どもをこっそり激写(爆)することも可能なのだ。
その意味でも、可愛い間の低学年で広報委員になっておくのは損はないと思うのだけど。
確かに、部長、副部長になった人たちは、なんだか頻繁に本部会議に出席させられるようで大変そうだった。
委員になったからといって、毎回絶対出席しなくてはいけない、というものでもなかったし実際働いているお母さんたちも何名かいて、皆仕事のスケジュールをなんとかやりくりして、出ようと努力はしていたと思う。反対に仕事をもっていないお母さんたちも、気を使って「無理しなくてもいいよ。」と声をかけてあげたりしていた。
私の所属した部が、たまたま善良なお母さんたちだっただけなのかもしれないが、はなっから
「絶対、できませんからっ!」と言い放ち役員を逃げ続けるひとっていうのもどうなんだろう。
私も、正直に言えばああいうお母さん方の集まりは、どっちかといえば苦手である。
人嫌いというのではないけれど、大勢のひとの輪に入っていくのが苦手なのだ。
ただ、じっと黙って聞くことに徹することが出来るタイプかといえば、そうではなくて口を開けば余計なことまで言ってしまうタイプだ。だからこそ、なるべくそういう人の集まる場所への参加は控えていたほうが、身のためであると自重していることもある。
だから、役員と名のつくものを引き受けたがらないお母さんの気持ちが全くわからないでもないのだけれど、同じ人ばかりがさせられるというのも、なんとも気の毒な気にもなる。
だけど、大元に立ち返って考えたなら、本当に必要な役員会なんだろうか、ということ。
私のいた広報部にしても、前年と変わらない内容の広報誌を作り、その会合もだらだらとおしゃべりして、お茶を飲んで過ごすことも少なくなかった。
他にも、文化部というのは年1、2回研修旅行と称して観光旅行を企画していた。
役員でさえ行きたくないのに、わざわざそういうものが慣習としてあるから行われている。そのために、PTA会費が使われてる。
また、昨今の少子化、物騒な世情にあわせて昔なら子どもにさせていたことを、親が代わってさせられている。
そんなことを総じて考えたなら、行政だけではなくPTAだって、もっと簡素化すべきなんじゃないだろうか。
そうした上で、全PTAが参加する、参加できる現実に即したPTAというものを再構築すべきなのじゃないのかな、と泣く泣く引き受けさせられたお母さんたちの日記を読んで今頃になって思ったりするのだった。
そう、自分の仕事は謙虚に引き受け、他の仕事振りには文句を言わない、これって重要なポイントかも。
出来る人に多いのだけど、出来ない部分が目につくようでついつい口出ししたりするんですよね。
そうなると、やってるほうもやりたくてやってるわけじゃないんだから!って怒りたくなったりして、ますます引き受けてがいなくなる、という悪循環を生みますよね。
簡素化の問題は、学校の先生が自分自身の子どものPTAから免除されているから、現実問題として受け止めにくいってこともあるんじゃないか、と思うのです。
たぶん、学校側からこれとこれはもう時代にあっていないから削除してもいいですね、という提案があればPTAも嫌とは言わないと思うのですが。
やっぱりほとんどの保護者の中に、自分たちもPTA組織の一員なのだという意識がなさすぎることが役員きめ問題の根源にあるのでしょうね。
簡素化できたら良いと皆思っていながらなかなか実現するのは難しいのでしょうね。
子供の通う学校や幼稚園のための委員や役員なら自分の時間は惜しいけれど(苦笑)なるべく前向きに受けようという気持ちはあるのですが、会長とか委員長という役にはつきたくないと常々思っている私です。
影でいくらでも下働きします!という気持ちです。
でも今の若いお母さんはそれさえしたくないという人が多いような気がして、皆が少しずつ分担すればどうということのない仕事なのに、限られた人の肩にどーんと重くのしかかるのが一層逆効果となっているのでは?と思います。
語りだすとキリがないのですが、「仕事は(お手伝い)は謙虚に引き受け、他の役の仕事振りについては決して文句を言わない」のが一番かなと思っています。