昨日のRocoさんの日記を読んでいて、思い出した言葉がある。
「吝嗇(りんしょく)」。平たく言えば「ケチ」のことである。
私の知り合いに、とても金銭に細かいひとがいる。
年齢は私よりちょっと上なので、おのずと私や私のまわりにいる人とは違う金銭感覚なのだろう、と思っていた。
どれくらい細かいか、といえば。
袋に入ったお菓子。個別包装された類のお菓子は、1袋の単価を計算して食べる。
たとえ、それが自腹をきったものはなくても、家族の人数分だけを一日に一度だけ食べる。
とても美味しくて、もう少し食べたいな、と思っても翌日まで出さないのだそうだ。
ドライブに出かければ、外食は絶対にしない。
お昼を持って出られる場合は、必ず手弁当。もし、それが無理ならば、途中でコンビニに寄ってコンビニ弁当を買い、途中どこかでクルマを止めて食べるそうだ。
夜遅くなって、食事の支度が出来そうにない時には、スーパーに立ち寄り値引きになったお弁当を買って帰るそうだ。飲み物も、必ず手持ち。空いたペットボトルにお茶を詰めて出かける。
美容院は、よっぽどのビッグイベントがない限りは行くことはない。自分で鏡を見ながら切るそうだ。
シャンプーも薄めて使うし、2日か3日に一度しか洗わない。
洋服も流行り廃りは関係なく、擦り切れるまで着たおす。パジャマは買わない。
子どもたちのお古の体操服を着ている。それは日常着でもあるらしい。
お肉は高いので、ほとんど食することはない。食べても鳥かブタのみ。牛肉は高いので買わないらしい。
合びき肉でさえ、人数の頭割りをして必要最低限のグラム数しか買い求めないので、食べ盛りの子ども達が
ミートソースのおかわりをしたら、その人の食い扶持はなくなる。仕方がないので鍋についているトマトソースに麺をからめて自分のスパゲティにしていたらしい。
イベントの日も凄い。年に一二度、手巻き寿司を「お店」で買うことがあるらしいが、その時は入れ物を持参するらしい。たとえ一皿百円の回転寿司屋であろうと、テイクアウトには容器代がかかるからだそうだ。
もちろん、「時価」と書かれたような鮨屋ではなく回転寿司屋である。
寸暇を惜しんで働いている。それが少しでもお金になるのであれば、休日など関係ない。
今年のうだるような暑さの中でも、自分ひとりの時にはどんなに暑かろうが電気代を節約するためにエアコンをかけることはなかったそうだ。
ほかにも、それこそ目からうろこの節約ぶりである。主婦雑誌の巻頭テーマに推薦したいほどの人である。
そんな人なので、もちろん貯金残高は相当なもののようだ。
市中金利が安いとなれば、証券会社を渡り歩き、一番利率のよいものに預けたり、手堅い株式投資で順調に利殖している。
何が楽しいのか、といえば「貯金」なのかなぁ、と思うほどだ。
そんな人なのだが、冠婚葬祭、なかでも「葬」の部分では気風がいい。
地縁血縁でがんじがらめになって大きくなったせいなのかもしれないが、普段の節約ぶりはみじんも感じさせず、多少でも袖すりあった人の関わりある人がなくなったと聞けば多額のお香典を包んでいる。
地方特有の光景というか、地方の人の特性なのかもしれない。
そういうお金をケチると「格好が悪い」という発想らしい。
その人の中に、お金を自分の楽しみのために使う、という発想はないらしい。
自分がお金を使って愉しんだ後には、罪悪感が残るそうだ。「自分の愉しみのためにお金を使ってしまった。」と。
では、何のための貯金かといえば、それはズバリ老後の安心のためである。
いつか自分の足腰が立たなくなって、働けなくなったときのために蓄えておかねば!その一念で貯蓄に励んでいる。
その人の生活ぶりを聞いた時、「吝嗇」という言葉が浮かんだ。
だが、よく考えてみれば、その人の節約は他人に強いるものではなくて、自分の信念に基づいたものである。だから「吝嗇」というほど意地汚いものではないのかもしれない。
「倹約」という言葉の方が適切なのかもしれない。
朝のニュースでやっていた特集で、いま都会では熟年夫婦の都心への回帰現象がおきているそうだ。
子育ての間、都心を離れ一戸建てを求めて近隣の都市へ移り住んだが子ども達が巣立った後、自分達の時間を有意義に過ごすために、また都心に戻って来ているというのだ。
そこに見えるのは、都会の人と、地方でずっと暮らす人の価値観の違いだろう。
そこそこのお金を持って、自分の愉しみのために投資する都会の人、たっぷりとお金を貯めて人付き合いや、老後の自分、そして子孫のために残そうとする地方の人。
ちょうど童話の「都会のねずみといなかのねずみ」の話のようだ。
どっちがどうだと言えるものではないのだが、私は、限られた収入のなかで、そこそこ倹約し、そこそこ浪費して
そのどちらも楽しめたらいいのにな、と思っている。
きれいなケチを目指そうっと。
「吝嗇(りんしょく)」。平たく言えば「ケチ」のことである。
私の知り合いに、とても金銭に細かいひとがいる。
年齢は私よりちょっと上なので、おのずと私や私のまわりにいる人とは違う金銭感覚なのだろう、と思っていた。
どれくらい細かいか、といえば。
袋に入ったお菓子。個別包装された類のお菓子は、1袋の単価を計算して食べる。
たとえ、それが自腹をきったものはなくても、家族の人数分だけを一日に一度だけ食べる。
とても美味しくて、もう少し食べたいな、と思っても翌日まで出さないのだそうだ。
ドライブに出かければ、外食は絶対にしない。
お昼を持って出られる場合は、必ず手弁当。もし、それが無理ならば、途中でコンビニに寄ってコンビニ弁当を買い、途中どこかでクルマを止めて食べるそうだ。
夜遅くなって、食事の支度が出来そうにない時には、スーパーに立ち寄り値引きになったお弁当を買って帰るそうだ。飲み物も、必ず手持ち。空いたペットボトルにお茶を詰めて出かける。
美容院は、よっぽどのビッグイベントがない限りは行くことはない。自分で鏡を見ながら切るそうだ。
シャンプーも薄めて使うし、2日か3日に一度しか洗わない。
洋服も流行り廃りは関係なく、擦り切れるまで着たおす。パジャマは買わない。
子どもたちのお古の体操服を着ている。それは日常着でもあるらしい。
お肉は高いので、ほとんど食することはない。食べても鳥かブタのみ。牛肉は高いので買わないらしい。
合びき肉でさえ、人数の頭割りをして必要最低限のグラム数しか買い求めないので、食べ盛りの子ども達が
ミートソースのおかわりをしたら、その人の食い扶持はなくなる。仕方がないので鍋についているトマトソースに麺をからめて自分のスパゲティにしていたらしい。
イベントの日も凄い。年に一二度、手巻き寿司を「お店」で買うことがあるらしいが、その時は入れ物を持参するらしい。たとえ一皿百円の回転寿司屋であろうと、テイクアウトには容器代がかかるからだそうだ。
もちろん、「時価」と書かれたような鮨屋ではなく回転寿司屋である。
寸暇を惜しんで働いている。それが少しでもお金になるのであれば、休日など関係ない。
今年のうだるような暑さの中でも、自分ひとりの時にはどんなに暑かろうが電気代を節約するためにエアコンをかけることはなかったそうだ。
ほかにも、それこそ目からうろこの節約ぶりである。主婦雑誌の巻頭テーマに推薦したいほどの人である。
そんな人なので、もちろん貯金残高は相当なもののようだ。
市中金利が安いとなれば、証券会社を渡り歩き、一番利率のよいものに預けたり、手堅い株式投資で順調に利殖している。
何が楽しいのか、といえば「貯金」なのかなぁ、と思うほどだ。
そんな人なのだが、冠婚葬祭、なかでも「葬」の部分では気風がいい。
地縁血縁でがんじがらめになって大きくなったせいなのかもしれないが、普段の節約ぶりはみじんも感じさせず、多少でも袖すりあった人の関わりある人がなくなったと聞けば多額のお香典を包んでいる。
地方特有の光景というか、地方の人の特性なのかもしれない。
そういうお金をケチると「格好が悪い」という発想らしい。
その人の中に、お金を自分の楽しみのために使う、という発想はないらしい。
自分がお金を使って愉しんだ後には、罪悪感が残るそうだ。「自分の愉しみのためにお金を使ってしまった。」と。
では、何のための貯金かといえば、それはズバリ老後の安心のためである。
いつか自分の足腰が立たなくなって、働けなくなったときのために蓄えておかねば!その一念で貯蓄に励んでいる。
その人の生活ぶりを聞いた時、「吝嗇」という言葉が浮かんだ。
だが、よく考えてみれば、その人の節約は他人に強いるものではなくて、自分の信念に基づいたものである。だから「吝嗇」というほど意地汚いものではないのかもしれない。
「倹約」という言葉の方が適切なのかもしれない。
朝のニュースでやっていた特集で、いま都会では熟年夫婦の都心への回帰現象がおきているそうだ。
子育ての間、都心を離れ一戸建てを求めて近隣の都市へ移り住んだが子ども達が巣立った後、自分達の時間を有意義に過ごすために、また都心に戻って来ているというのだ。
そこに見えるのは、都会の人と、地方でずっと暮らす人の価値観の違いだろう。
そこそこのお金を持って、自分の愉しみのために投資する都会の人、たっぷりとお金を貯めて人付き合いや、老後の自分、そして子孫のために残そうとする地方の人。
ちょうど童話の「都会のねずみといなかのねずみ」の話のようだ。
どっちがどうだと言えるものではないのだが、私は、限られた収入のなかで、そこそこ倹約し、そこそこ浪費して
そのどちらも楽しめたらいいのにな、と思っている。
きれいなケチを目指そうっと。
となると、結びは「そういう人に、私はなりたい!!??」
じゃ、なくて、「程度」というものも、ありますよね。もちろん、見習うところもありますが・・・
親戚一懐が暖かい、と思う伯母の作る服は、どこもかしこも縫い代が3~4cmもとってあるそうです。着た人いわく、「母の作る服はもたついてて、格好が悪いの・・」
将来ほどいて、子供服などにリメークする為ですって。う~~ん・・・・
追伸: この度、私は初めてCITROENさんのスタンプを押したものを生でみました!!すぐに「ピン!!」ときました。(蛇足ですが、ピン=針 にかけてます) とっても、感激してます。
シャンプーを薄める、というところまでは許そう!だが!
子供のお古の体操着ぃ~~~~~!?いやだよ~~~~~~!
クサナギ君のドラマの「僕の生きる道」を思い出したよ。
「将来のため、将来のため、と思って生きていると今を生きていることにならない」って言葉。
私も楽しく節約して、楽しく使って、今を生きたい、と思いますわ・・・。
その叔母さんもすごいですね。けど、そのリメイクって誰がするのかな?その叔母さん?でも好みが違うってこともあるだろうし、難しいよね。ま、それくらいの発想をするから親戚一懐が暖かいんじゃないの?
ほんと、そのひとって「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」だよ。ちょっと見ていて悲しくなることがある・・・。
ピン?あのスタンプかな?どこで見たのだろ??
Rocoさん、気になるでしょ、その人の生い立ち。
話せばながーーーーくなるから、またおいおいと。
でも、実家も質素だったみたいだよ。おせち料理にも数の子や、ぶり、海老の類は入っていなかったらしい。三が日は煮しめ中心のおせちに、家で打ったおそばだったらしいよ。話を聞いていたら、涙がでてくるような苦労してるから仕方がないのかもしれないけどね。
その人にとってみれば、呪文のように唱えている「将来のため」ってことが「今を精一杯、充実して生きている」ってことになってるのかも、って思えるよ。
けど、私はオケラだけど、ああまではしたくないよなー、って思っちゃう。たちまち難病になったりしたら、高額医療費は支払えないけど
私の知人も「倹約」好きな方がいまして・・ついカキコミしたくなりました。
やはり水道料金も基本料金で、すごく暑かった今年の夏でも電気代は4000円程度とか、他にもイロイロありましたが・・自分は「モノを大切にして始末している」と言ってました。
その人は小学生の時「アリとキリギリス」を読んで「アリになろう!」と思ったそうです。
で
「お金は掛け算で増える」とも言ってました。ある程度まとまってくると減らないし、たまっていくスピードも速くなっていくらしいです。
私は足し算でもなかなか増えません・・・。
話をしていると、たまーに「ぜいたく」と言われるので・・私は「えぇ??違うよ!?」って内心思います。(笑)
す、すごい。。凄すぎます、その人。
小学生の時に、その決意をするなんて。。
私の知人とその人と、テレビチャンピオンのごとく対決させてみたいです。お互い一歩も譲らぬ白熱戦になること間違いなし!ですよね!!
でも、teeさんに対して「ぜいたく」っていうあたり、「吝嗇」な方かもしれませんよ。
私の知人は、私のささやかな贅沢(その人から見ればかなりの贅沢)に対して、非難めいたことは口にしませんもの。そのひとが偉い、と思うのは他人が自分のことを蔑んで見たりしても気にしない、ってことなんです。
「ぼろは着てても心は錦」ってことなのかもしれません。
それにしても、teeさん、たっくさん縫われていますね。
コメントもさりげなく、さらっと面白くて。
片えくぼの出来るような文章を書かれていますね。ちょこっと駆け足で拝見しましたが、楽しかったです!
またお邪魔させてくださいね!