短い帰省が終わった。
あまりの暑さに、あちこちお買い物ツアーをするガッツもなくて、そそくさと用を済ませてさっさと帰路に着いた。
帰省を済ませた誰もが思うことは、それぞれの親の小さくなってゆく背中のこと。
姑の身体も、一回り小さくなったような。
私は、自分の血肉を分けた親よりも、姑のほうがウマが合う。
だから、彼女と一緒に暮らすことはやぶさかではないのだが、本人がそれを望んではいない。
当然である。
姑にとって、いま住んでいる街が第二のふるさとである。
友だちも大勢いて、光も風もすべて知り尽くして生きている。
いまさら、なんの縁もない土地で暮らしていくことなど無理な話である。
たとえ、坂道が多くて、バス停から遠くても、スーパーへ行くのも一苦労な場所であっても、家が古くなり傷んできていても、である。
夫にしてみれば、いつ何があってもおかしくはない母親をひとりにしておくことは、心配というより、面倒なのだ。
多少、自分たちの生活のペースが乱されるとしても、一緒にいてくれるほうがめんどくさくないから一緒に住んでくれたらどんなに楽か、と思っている。
正直に言うと、私もそうだ。
だが、それは私たち子ども側のわがままなのだ。
おおかたの人は、最後は家で死にたいと願っている。
一昨年病気で亡くなった舅もそうだった。
だが、現実には老いた姑一人で看護をさせることなどとても無理な話で、舅もそのあたりのことはわかっていたから、あきらめて病院で息をひきとった。
姑は今は元気だけれど、やはり最後まで自分の家で過ごしたいと考えているようだ。
自分の夫の望みは拒否しても、自分の望みは望みとして別にある。
私でも同じことを望むだろう。
現実問題、そういう親の願いをかなえられる人は少ないのではないか、と思う。
私の母は、持病の合併症が悪化して、介護無しでは生活できない。
かといって、老老介護を父にさせるわけにもいかず、老人介護施設に入っている。
夫の親類にも、うちの母とは種類の違う老人施設に入っている人がいるが、どちらの施設も本人たちからすれば、満足のいくものではないと思う。
どんなに施設が整っていようと、どれほど手厚い介護補助を受けようと、それは本人が望ましいと感じる状況ではないのじゃないか、と。
話したくもない相手と話し、したくもないお遊戯をさせられる。
幼稚園のこどもたちがするような工作をさせられ、決められたスケジュールに沿った生活を強いられる。
他にしたいことがなくても、そんな枠にはめられた生活を残された時間を使ってしたくはないだろう。
本当は、自分が馴染んだ物に囲まれ、自分の食べたいものを食べ、したいことをし、話したい相手と話をして過ごしたいはずなんじゃないか、と思う。
自分一人で生活できる、と思っていても身体がついていってはくれない。
物忘れが激しくなる。
あちこち身体の動きにがたが来る。
若い頃には何ということがなかった日常生活のひとつひとつが億劫になってくる。
全てが緩慢になり、気持ちがともすれば後ろ向きになってしまう。
そんな親を見ていられずに、子どもは何らかの手段を選ばざるを得なくなるのだ。
親の老いを見つめる、というのは自分の老い方を考える、ということにもつながるのだということにあらためて気づかされるのだ。
朝ドラを一緒に見ていて、姑がふともらした。
「(先が短いとわかっている姑の世話を、進んでする嫁)こんな子、今の時代おれへんわ」
そうですね、お義母さん。私も、そう思います。
あまりの暑さに、あちこちお買い物ツアーをするガッツもなくて、そそくさと用を済ませてさっさと帰路に着いた。
帰省を済ませた誰もが思うことは、それぞれの親の小さくなってゆく背中のこと。
姑の身体も、一回り小さくなったような。
私は、自分の血肉を分けた親よりも、姑のほうがウマが合う。
だから、彼女と一緒に暮らすことはやぶさかではないのだが、本人がそれを望んではいない。
当然である。
姑にとって、いま住んでいる街が第二のふるさとである。
友だちも大勢いて、光も風もすべて知り尽くして生きている。
いまさら、なんの縁もない土地で暮らしていくことなど無理な話である。
たとえ、坂道が多くて、バス停から遠くても、スーパーへ行くのも一苦労な場所であっても、家が古くなり傷んできていても、である。
夫にしてみれば、いつ何があってもおかしくはない母親をひとりにしておくことは、心配というより、面倒なのだ。
多少、自分たちの生活のペースが乱されるとしても、一緒にいてくれるほうがめんどくさくないから一緒に住んでくれたらどんなに楽か、と思っている。
正直に言うと、私もそうだ。
だが、それは私たち子ども側のわがままなのだ。
おおかたの人は、最後は家で死にたいと願っている。
一昨年病気で亡くなった舅もそうだった。
だが、現実には老いた姑一人で看護をさせることなどとても無理な話で、舅もそのあたりのことはわかっていたから、あきらめて病院で息をひきとった。
姑は今は元気だけれど、やはり最後まで自分の家で過ごしたいと考えているようだ。
自分の夫の望みは拒否しても、自分の望みは望みとして別にある。
私でも同じことを望むだろう。
現実問題、そういう親の願いをかなえられる人は少ないのではないか、と思う。
私の母は、持病の合併症が悪化して、介護無しでは生活できない。
かといって、老老介護を父にさせるわけにもいかず、老人介護施設に入っている。
夫の親類にも、うちの母とは種類の違う老人施設に入っている人がいるが、どちらの施設も本人たちからすれば、満足のいくものではないと思う。
どんなに施設が整っていようと、どれほど手厚い介護補助を受けようと、それは本人が望ましいと感じる状況ではないのじゃないか、と。
話したくもない相手と話し、したくもないお遊戯をさせられる。
幼稚園のこどもたちがするような工作をさせられ、決められたスケジュールに沿った生活を強いられる。
他にしたいことがなくても、そんな枠にはめられた生活を残された時間を使ってしたくはないだろう。
本当は、自分が馴染んだ物に囲まれ、自分の食べたいものを食べ、したいことをし、話したい相手と話をして過ごしたいはずなんじゃないか、と思う。
自分一人で生活できる、と思っていても身体がついていってはくれない。
物忘れが激しくなる。
あちこち身体の動きにがたが来る。
若い頃には何ということがなかった日常生活のひとつひとつが億劫になってくる。
全てが緩慢になり、気持ちがともすれば後ろ向きになってしまう。
そんな親を見ていられずに、子どもは何らかの手段を選ばざるを得なくなるのだ。
親の老いを見つめる、というのは自分の老い方を考える、ということにもつながるのだということにあらためて気づかされるのだ。
朝ドラを一緒に見ていて、姑がふともらした。
「(先が短いとわかっている姑の世話を、進んでする嫁)こんな子、今の時代おれへんわ」
そうですね、お義母さん。私も、そう思います。
まだ両方の両親とも元気なのですが いろいろ先を考えると心配です。その時に決めていくしかないのだろうけど。
一昨年 祖母が亡くなった時も病院でした。
帰りたいって言ってたけど やはり無理でした。
入院する前に大好きなドリアンを差し入れして美味しそうに食べていた顔が忘れられません。
少しは孝行できたのかな?
うちは義弟家族が今日帰ってゆきました。優しい甥、姪達なので、帰ってからのリョーマの機嫌の悪いこと、毎度の事なんですがね・・。
姑と同居してこの夏で9年目に入ります。少しづつ姑の老いを感じるのは否めませんが私自身もトンチンカンなことしでかしてたりで以前ほどいらいらすることがなくなったのでは・・と思ったりです。毎日の生活ですからね、いろんな感情がうごめいていますよ。
実家の両親は私と弟が社会人になったのを機に母方の祖母がひとりなので大阪からUターンしました。当時祖母70歳前です。長年一人暮らしに慣れてある種自由気侭にしていた祖母が望んでいたのかは定かでないのですが、父は働き盛りの50歳前。決断をした両親は凄かったですよね。実際帰ってから 父は苦労しましたし・・。親の面倒を見るために両親は帰ったのに今祖母は老人施設に入っています。病気したこともあったのですが、母も未だ仕事をしているし、満足に面倒見れないためです。父の理解も乏しいですし・・。母は祖母の話になるといつも‘大阪から帰ってきたのは本当に祖母の為になったのだろうか?‘というんです。今の施設は本当によくしてくださって私は安心しているのですが、適切に日常生活を補助してくださって、家では寝たままで食事を食べさすのも一苦労だったのが今は自分で食べるところまで回復し、しかも結構食べるの早かったよっていうんです。
意思の疎通が今一つ計れないので祖母の真意はわかりませんが、どうなんだろうって思います。お遊戯はあんまり好きそうじゃないかな?だとしたら可哀想かな?
母とすれば面会に行くたび元気な祖母を見るのは嬉しいけど複雑だとは思います。
先のことを考えると、問題は山積み状態なのでおっしゃるようにその時々で、お互いの状況や気持ちで折り合いをつけていくしかないでしょうね。
おばあさまも、最後は病院でしたか。
今の時代、本人が望むとおりの場所で最後を迎えられるというのは、究極の幸福なのかもしれません。
それにしても、ドリアン!!
なんてハイカラなおばあちゃまなんでしょう!(笑)
私が孫にリクエストするなら、何かな?って考えちゃいました
ゴンタリョーマのママさん、お盆のお勤めご苦労様でした。
同居の大変さは、実際に経験したことのあるひとにしかわからないものですよね。
姑も、そのへんのことがわかるから、お互い気持ちよく感じていられるままの距離でいたいのだと思います。
施設に入ることの鬱陶しさは、元気なひとだから感じることであって、誰かの手助けを必要とするひとには、心地よいものなのかもしれないのですが、もう少し一人、一人の人間の尊厳を尊重した施設のあり方が考えられてもいいのではないか、という気がしてなりません。
ゴンタリョーマのママさんのお母様、おばあちゃまにとって、施設はやはり必要欠くべからざるものであったでしょうしね。
この先、ますます高齢化社会が進めば、もう少し柔軟な考え方で、高齢者をどうサポートしていけば皆がよりベターな状態になれるのかってことに取り組まざるを得なくなるのでしょうね。
わがままな私は、自分にそのときが来る前に、自分のわがままを聞き入れてもらえる社会になっていて欲しいな、って願っています。