「医は仁術なり」という格言があった。
だが、現代においてそれは埃をかぶった過去の遺物となりつつあるようだ。
姑が、近所の医者に通っている。
ここ1年内にオープンしたばかりの内科医である。
姑は、もともとバスに乗って15分ほどの大きな病院にかかっている。
特に内臓のどこが悪い、というのではないが大事をとって、定期的に通っているのである。
だが、ここ最近は腰痛の悪化から、歩行も困難を来し始めて、バスでの通院が面倒になってきた。
そこへオープンしたばかりの近所の医者。
これ幸いに、姑はいそいそと通い始めた。
たぶん、すわ!と何かあればすぐに駆けつけてはこられない一人息子もあてには出来ず、長年通院しているからといって、24時間いつでも診てくれるわけではない大病院も頼りにならず、結果、家から近くて、往診もしてくれそうな医者に顔をつないでおきたい、という安心料を求めてのことだったのだと思う。
しかし。
開院したての医者ほど気をつけなければならない。
開院するためにできた借金を早く返したいがため、無用の検査や治療を施し、高い薬価の新薬をだしたりするからだ。
姑も、きっちりそのパターンにはめこまれ、どこも調子が悪いところはないのに、あれやこれやの検査をさせられた。
血圧が高いようだからと、きつい降下剤をだされ、血圧が急激に下がりすぎてふらふらになったり。
挙げ句の果て、心臓肥大が見つかった、という。
このまま放っておくと、4年以内に大変なことになる、と脅かされたらしい。
安心を得たくて、出かけた姑は、反対にとんでもない大きな不安材料を突きつけられ、夜も眠れぬほど心配している。
夫に電話をかけてきては、
「どうしょうか?あんなん言われたら、うち、どうしたらええかわかれへんわ」
とグチをこぼす。
夫は、正直なところをいえば、
「ここで大手術を施してこの先いったいどれほど長生きしたいねん?」
ということになるのだが、弱気になっている母親にそういうわけにもいかず。
そんなやりとりを聞いていて、ふと思う。
この医者は、バカなんじゃないの?と。
というか、優しさや思いやり、想像力が欠如しているんじゃないのか、と思うのだ。
医者は確かに、病気を早期に見つけ、早期に治療するのが仕事だ。
しかし、それも時と場合によるわけで。
姑の今回の場合などは、余計なことを言わなければ、本人は機嫌良く元気に通院するのである。
なのに、わざわざ「病は気から」となるような病気の種を撒いてどうする。
80にもなる高齢者に、体力的な負担の大きい手術をすすめるあたり、バカじゃないの?と言いたくなってしまう。
姑がその医者に求めていたのは、安心。
彼が学んできた医術は「刃」のじん術だったのだと思う。
だが、現代においてそれは埃をかぶった過去の遺物となりつつあるようだ。
姑が、近所の医者に通っている。
ここ1年内にオープンしたばかりの内科医である。
姑は、もともとバスに乗って15分ほどの大きな病院にかかっている。
特に内臓のどこが悪い、というのではないが大事をとって、定期的に通っているのである。
だが、ここ最近は腰痛の悪化から、歩行も困難を来し始めて、バスでの通院が面倒になってきた。
そこへオープンしたばかりの近所の医者。
これ幸いに、姑はいそいそと通い始めた。
たぶん、すわ!と何かあればすぐに駆けつけてはこられない一人息子もあてには出来ず、長年通院しているからといって、24時間いつでも診てくれるわけではない大病院も頼りにならず、結果、家から近くて、往診もしてくれそうな医者に顔をつないでおきたい、という安心料を求めてのことだったのだと思う。
しかし。
開院したての医者ほど気をつけなければならない。
開院するためにできた借金を早く返したいがため、無用の検査や治療を施し、高い薬価の新薬をだしたりするからだ。
姑も、きっちりそのパターンにはめこまれ、どこも調子が悪いところはないのに、あれやこれやの検査をさせられた。
血圧が高いようだからと、きつい降下剤をだされ、血圧が急激に下がりすぎてふらふらになったり。
挙げ句の果て、心臓肥大が見つかった、という。
このまま放っておくと、4年以内に大変なことになる、と脅かされたらしい。
安心を得たくて、出かけた姑は、反対にとんでもない大きな不安材料を突きつけられ、夜も眠れぬほど心配している。
夫に電話をかけてきては、
「どうしょうか?あんなん言われたら、うち、どうしたらええかわかれへんわ」
とグチをこぼす。
夫は、正直なところをいえば、
「ここで大手術を施してこの先いったいどれほど長生きしたいねん?」
ということになるのだが、弱気になっている母親にそういうわけにもいかず。
そんなやりとりを聞いていて、ふと思う。
この医者は、バカなんじゃないの?と。
というか、優しさや思いやり、想像力が欠如しているんじゃないのか、と思うのだ。
医者は確かに、病気を早期に見つけ、早期に治療するのが仕事だ。
しかし、それも時と場合によるわけで。
姑の今回の場合などは、余計なことを言わなければ、本人は機嫌良く元気に通院するのである。
なのに、わざわざ「病は気から」となるような病気の種を撒いてどうする。
80にもなる高齢者に、体力的な負担の大きい手術をすすめるあたり、バカじゃないの?と言いたくなってしまう。
姑がその医者に求めていたのは、安心。
彼が学んできた医術は「刃」のじん術だったのだと思う。
首が胸に食い込むほどうなずいてしまいました。
私の父もある町のクリニックで狭心症と診断されてから必要以上にビクビクし気弱になりました。
結局セカンド・オピニオンとして訪れた専門病院では丁寧に調べていただき問題ないと言われたのに、です。説明も感じよくわかりやすいものでしたのに。
未だに、最初のクリニックで処方された、本当にそれ必要なの?というような薬も定期的に飲んでいるようです。
私自身が鍼灸治療を初めて一年。
ひとの心は気候に大きく左右されることを知り、ずいぶんと自分の身体の声に耳を傾けられるようになりました。(←ちょっと進歩w)
高齢者への良薬は、案外信頼できる人の優しい言葉だったりするのかもしれませんね。(離れているなら特に)
身体は心で心は身体なのだなあと実感している秋です。うふ。
ひどいですね~。
高齢者になると、なかなか遠出をしてまで病院通いはできない・・・という現状を上手く(?)利用しているのかしら?
誇り高く正義感もって診療されているお医者様もいらっしゃるけど、こういった無駄な処方(強すぎる降圧剤etc.)をする医者も増えているとか。
お薬の組み合わせや、患者の他の臓器(特に肝臓・腎臓)の状態を把握せずに、多種の薬を処方して、結果、代謝機能が低下した高齢者には、本来の薬の作用よりも副作用の方が強く出てしまうケースが問題になっていると聞きます。
医者不足のため、医学部生の定員を増やす方向で進んでいるようですが、「質を落とさず」という点に気を配って欲しいですね。
地域医療に一番必要なのは、適切な処置と思いやりだと思います。。
「身体は心で、心は身体」
そうですね!
姑も、昔なじみの大病院の先生には
「大丈夫だと思うけど・・」と言われたにもかかわらず、悪いことを告げた先生の言葉が重くのしかかっているのです。
一番いいのは、私たちが姑の家で同居することだとはわかっていても、こればっかりはどうしようもありませんからね。
夫には、
「あの先生に余計なことを言わないように、釘を刺しておくべし」と耳打ちしているのですが。
私も、鍼灸したいなぁ。
ホットフラッシュがひどくって、困っているんです~
私も先日「クローズアップ現代」で高齢者医療の問題点というのを見ました。
何種類ものお薬による副作用の怖さは、単純に組み合わせだけの問題ではなくて、患者さんの老化した内臓の働きが大きく作用するって。
姑の住むベッドタウンは、高齢化が進んでいてそのクリニックは流行っているらしいのですが、数値だけに頼った医療行為は慎んでほしいなぁ、と思います。
その人の置かれている環境や、年齢など全人的に診て欲しいなぁ、と。
一対多数で対応するお医者様にそれを期待するのは贅沢なことなのでしょうか?
おっしゃるように、数だけを増やすのではなく
「質の高い」医者を増やしてもらわなくては、ですよね!