11年目を迎えた阪神大震災の日。
何年経とうが、その日、心に深い傷を負ったひとには年数など関係ないだろう。
知り合いの誰をなくしたわけでもなく、大きな何かを犠牲にしたというような経験をしたわけではない我が家だが、幼かった息子の中に、かすかに「トラウマ」とよぶべきものが残っているらしい。
彼は、いまだにテレビにニュース速報が流れるときの「ピリッピリッツ」という警告音が苦手なのだという。震災後すぐの、普段とは違う避難生活の異常体験を思い出すらしい。
けっして、神経質なタイプの子どもではないのに、そういうものは理屈ではなく身体に刻み付けられるものらしい。
私の場合のトラウマ、それはずばり「嘔吐」である。
お食事を終わられたばかりの方がいらっしゃれば、これから先は読むのを控えていただいたほうがいいかもしれない。
幼稚園のころ、私のとなりはいつも同じ「ナカヤマくん」という子がすわっていた。
耳の肉が薄くて大きくて、口も大きく、いつもだらしなく開いていた。開いた口の端からはよだれが垂れていた。
別に、身体のどこかが不自由なわけではなく、ごくごく一般のこどもだった。
漫画でいえば、ちびまるこちゃんに登場する山田くん、みたいな男の子だった。
その子は、身体が弱かったのかなんなのか知らないが、私が幼稚園の自分の席につくなり
いつも嘔吐し、吐しゃ物を私のスモックにひっかけた。
3,4歳の記憶なのであやふやかもしれないが、それが毎日、毎日続いたのだ。
それがとても嫌で、私は登園拒否となり、登園しても保健室へ仮病を使って逃げ込む日々を繰り返した。
それ以来、私は自分が吐くのも嫌なら、人の嘔吐する姿をみるのも、音を聞くのも、汚物を目にすることもが何ものにも耐え難いこととなってしまった。
教育実習で、小学校と養護学校へ行ったとき教生仲間と「こどものウンチを処理するのと、吐いたものを処理するのなら、どっちがより嫌か」ということを議論したことがあった。私は迷わず「ウンチ」を選んだ。
教生仲間のほとんどが、「吐いたもの」を選んだのだ。ウンチは手で受けてはやれないが、吐いたものは受けてやれる、とまで言ったひともいた。
私には、そんなことは狂気の沙汰に思えた。
そんな私が、妊娠を拒否しつづけたのは、「つわり」の存在があったのかもしれない。
テレビドラマで必ずといっていいほどでてくる「うっ…」と口を押さえてトイレに駆け込むシーン。つわり=吐く、とインプットされていたので、それをクリアしなければ子どもが産めないのならそれで結構。と開き直っていた。
が、ある日、冷凍のシーフードにあたってしまい、信じられないことにベッドの横に吐いてしまったのだ。夫は留守で自分で処理するよりほかはなく、不承不承片付けるハメになってしまった。
その経験が幸か不幸か、妊娠することに前向きになれた。もちろん、トラウマを克服したわけではなかったが、「絶対吐くもんか!」という意気込みに気おされたのか、つわりらしいつわりもなく10ヶ月は終わった。
おなかの子どもにも、呪文のように言い続けた。
「おかあさんの前で吐いたらあかんで。」と。
そのおかげか、小さいころからほとんど吐くことなく、吐いても私の前以外で吐いてくれたようで、この点だけは非常に親孝行な子どもだと評価している(笑)。
映画を観ても、嘔吐シーンのあるものはいつまでも脳裏に焼きついて離れない。
「愛と青春の旅立ち」での冒頭のシーン、「アルマゲドン」や「アポロ13」での訓練シーン、「K19」で船員が放射能汚染されたことをあらわすシーン、などなどストーリーは忘れても、そんなシーンだけは忘れたくても忘れられないのだ。
それほどまでに、幼稚園での体験は私のなかでの「トラウマ」となっている。
「トラウマ」とは耐えられないような体験・その痕跡、とある。
ひとそれぞれに、そのトラウマはいろいろあるのだ。
それがある人から見れば、どうってことのないようなことであっても。
何年経とうが、その日、心に深い傷を負ったひとには年数など関係ないだろう。
知り合いの誰をなくしたわけでもなく、大きな何かを犠牲にしたというような経験をしたわけではない我が家だが、幼かった息子の中に、かすかに「トラウマ」とよぶべきものが残っているらしい。
彼は、いまだにテレビにニュース速報が流れるときの「ピリッピリッツ」という警告音が苦手なのだという。震災後すぐの、普段とは違う避難生活の異常体験を思い出すらしい。
けっして、神経質なタイプの子どもではないのに、そういうものは理屈ではなく身体に刻み付けられるものらしい。
私の場合のトラウマ、それはずばり「嘔吐」である。
お食事を終わられたばかりの方がいらっしゃれば、これから先は読むのを控えていただいたほうがいいかもしれない。
幼稚園のころ、私のとなりはいつも同じ「ナカヤマくん」という子がすわっていた。
耳の肉が薄くて大きくて、口も大きく、いつもだらしなく開いていた。開いた口の端からはよだれが垂れていた。
別に、身体のどこかが不自由なわけではなく、ごくごく一般のこどもだった。
漫画でいえば、ちびまるこちゃんに登場する山田くん、みたいな男の子だった。
その子は、身体が弱かったのかなんなのか知らないが、私が幼稚園の自分の席につくなり
いつも嘔吐し、吐しゃ物を私のスモックにひっかけた。
3,4歳の記憶なのであやふやかもしれないが、それが毎日、毎日続いたのだ。
それがとても嫌で、私は登園拒否となり、登園しても保健室へ仮病を使って逃げ込む日々を繰り返した。
それ以来、私は自分が吐くのも嫌なら、人の嘔吐する姿をみるのも、音を聞くのも、汚物を目にすることもが何ものにも耐え難いこととなってしまった。
教育実習で、小学校と養護学校へ行ったとき教生仲間と「こどものウンチを処理するのと、吐いたものを処理するのなら、どっちがより嫌か」ということを議論したことがあった。私は迷わず「ウンチ」を選んだ。
教生仲間のほとんどが、「吐いたもの」を選んだのだ。ウンチは手で受けてはやれないが、吐いたものは受けてやれる、とまで言ったひともいた。
私には、そんなことは狂気の沙汰に思えた。
そんな私が、妊娠を拒否しつづけたのは、「つわり」の存在があったのかもしれない。
テレビドラマで必ずといっていいほどでてくる「うっ…」と口を押さえてトイレに駆け込むシーン。つわり=吐く、とインプットされていたので、それをクリアしなければ子どもが産めないのならそれで結構。と開き直っていた。
が、ある日、冷凍のシーフードにあたってしまい、信じられないことにベッドの横に吐いてしまったのだ。夫は留守で自分で処理するよりほかはなく、不承不承片付けるハメになってしまった。
その経験が幸か不幸か、妊娠することに前向きになれた。もちろん、トラウマを克服したわけではなかったが、「絶対吐くもんか!」という意気込みに気おされたのか、つわりらしいつわりもなく10ヶ月は終わった。
おなかの子どもにも、呪文のように言い続けた。
「おかあさんの前で吐いたらあかんで。」と。
そのおかげか、小さいころからほとんど吐くことなく、吐いても私の前以外で吐いてくれたようで、この点だけは非常に親孝行な子どもだと評価している(笑)。
映画を観ても、嘔吐シーンのあるものはいつまでも脳裏に焼きついて離れない。
「愛と青春の旅立ち」での冒頭のシーン、「アルマゲドン」や「アポロ13」での訓練シーン、「K19」で船員が放射能汚染されたことをあらわすシーン、などなどストーリーは忘れても、そんなシーンだけは忘れたくても忘れられないのだ。
それほどまでに、幼稚園での体験は私のなかでの「トラウマ」となっている。
「トラウマ」とは耐えられないような体験・その痕跡、とある。
ひとそれぞれに、そのトラウマはいろいろあるのだ。
それがある人から見れば、どうってことのないようなことであっても。
私も喜んで「うんち処理班」にまわります!
というのも、私のトラウマもCITROENさんと
全く同じなのです。
幼い頃の記憶と大人になってからもそれらしいことを
何度か目の当たりにして、未だに吐く(吐かれる)という
行為にものすごい嫌悪感を持っています。
夜遅くの酔っ払いの多い電車なんてもう着くまで
動悸と震えが止まらないくらい・・・。涙
歩いてても、水を勢いよくこぼす音なんぞ、
恐ろしくて飛び上がってしまいます。
去年も久しぶりにショッキングな出来事があり、
時々夜思い出しては手に汗握って眠れなくなったりなんてしょっちゅうです。
催眠療法なんぞでこのトラウマを消せるものなら消したい!と
何度思ったことか。
でも今日のCITROENさんの日記を読んで、
私だけではないんだと、ちょっと楽になったかもしれません(笑)
克服できる方法を入手した暁には、一番にご報告に上がりますっ。
特にタクシーの臭いが駄目だし、セダンの後部座席の背もたれの角度がどうも駄目、後ろに傾きすぎです。
そして、私の産んだ第1子の息子は神経性の嘔吐と、幽門狭窄気味だったので、毎日何度も噴水の様に吐く体質だったのです。
(以下、CITROENさん眼をつぶった方が良いかも。)
母乳を飲んでいては突然噴出し、
(もう溺れそうな量が出てくるので、3ヶ月検診だかの時には体重が減っていました~。)
ゲップの時にも吐き(外出時は私の着替えも持参)、
泣いて興奮しては吐き、
楽しく遊んでいても突然吐き、
夜中の「夜驚(夢遊病みたいなもの)」で起きては寝る前に吐き、
少し大きくなっても食べ過ぎると吐き、、、、
でも、母親なので逃げられず、
少しでも被害を押え、片付けを楽にするために、授乳の時には洗面器と大量のタオルををスタンバイし、バスタオルを敷いた上に自分も座ったり、夜寝ぼけて吐きそうになると便器の中に子供の頭を突っ込んだりという、ヘトヘトな日々でした。
息子さん、つわりサインも出さず、「吐いたらあかん」の呪文が効いて良かったですね。
私のトラウマはこれも含めた「育児時代」すごーく手のかかる子だったにもかかわらず亭主不在の長ーい時間。
コレを思い出すと今でも涙が出ます。
なのに、どうしてもう一人産んだかというと、あんまりにも異常だったので「この子は一人っ子で育ったらこのまま更に大変なことになりそうだ、影響を与えてくれるようなライバルを作ろう」と思ったから。
その選択はなかなか成功でした。
気分の悪い話を長々とすみません。最後は自分のトラウマとしてまとめてみました。
↑のCITROENさんの話し、幼稚園児にはきついですよねー。
上のEKOさんの壮絶育児物語も画面に向かって想像しながらついついにやけながら読んでしまいましたが、当時のEKOさんの気持ちを思うと、やはり涙。
CITROENさんの息子さんは相当な親孝行だと言わざるを得ません。
つわりで入院までした私は…今思うと懐かしいほど痩せました(爆)
そんな私のトラウマは、「台所の流し台での歯磨き」です。(つわりが酷かった頃の家には洗面所がありませんでした!涙…)
まさか、貴女が私と同じトラウマをもっていたなんて!
だって、車に弱いって書いてたし、ぶうこちゃんがお腹のカゼでカエルになってたって書いてたし、よもや手に汗握るほどのトラウマを持っていたとは。。。
去年のショッキングな事件、っていうのもなんだか思い当たりました。
ほんと、どうにか克服できる方法があれば知りたいですね。夫なんぞは、飲みすぎた時なんて自分で指を突っ込む、という大胆な行動にでるのですが、私にも荒療治で気分の悪いときにはやってみたら乗り越えられるで、と勧めるの。Oh!No!!ですよね~。
EKOさん、壮絶ですね、それはまた。
それだけのことを乗り越えられたのなら、この先向かうところ敵なし!って感じですね~。
ライバルとして兄弟を、って思いつきもすごい!
荒海を乗り越えた母だからこその発想だとうなってしまいました。
私なら、気が変になってしまったかもしれません。。。
アプリコットさんはつわりがきつかったのですね。
うう、お気の毒に…
私の友人にも、出産後8時間までもつわりが続いた、というひとがいましたが。
うちの息子、戻しそうになっても、それを飲み込んでしまうくらいの食いしん坊なの。おかげで私は助かったのだけど、両国あたりをうろついていたらスカウトされそうな体型になってしまったのは私の胎教のせいかもしれません(爆)
「嫌いなの!これが!」と軽々しくいうようなものじゃなく、皆さん苦しいのですね!
私は、吐瀉物は大丈夫??ですが、
犬のウ○チが気が狂いそうになるくらい嫌いです。
その辺で取りもしないでさせて行ってしまう飼い主を
恨みます。
ふと見かけた日は、一日頭の中によぎるくらい。
それに対してすごい神経質なので、
子供をほしい、と思ったときも、
「でも、子供は踏んづけたりしてしまうかも。
育てられるのか?」とまじめに悩んだくらいでした。
今もやっぱりダメで、子供の靴を洗うと、具合が悪くなって横になりたくなります。(踏んだかも、という疑いから)
Rocoさんの、「踏んだかもしれない」という恐怖心で具合が悪くなるっていうのはわかるよ。
私も、ゲ○のあとが残っていた場所は、絶対半年経っても踏まないように気をつけるもの。
学生時代の新歓コンパは、最悪でした。ゲ○の海状態で、そのあと2週間くらい青い顔してサークルへ行ってたよ、私。
Rocoさんは、なんで犬のウンチがだめになったのかな?
なんにせよ、私Roco家にお邪魔しても、ソファーに座れないかも…(爆)
布オムツだったくらいだし。
半年たっても・・って分かるよ~~。
もうないだろ!って思っていても、視線を落とすこともできないんだよね。
パリってウンコだらけなんだけど、雑誌なんかでパリジェンヌのファッションチェックなんてやっていても、うっかり写ってないか気が気じゃありません。爆。
どうしてダメになったか・・・わかりません・・・。私も屁とも思わぬくらいになりたい、と幾度も思いましたが・・・克服できず。
それは、冗談にしても。
外、っていうのが何かあるのかもしれないね。
Rocoさんが、物心つく前にそういう何かがあって
自分の中で嫌な記憶を打ち消す作用が働いて、記憶には残っていないけどトラウマとして残っているのかも。
私もこどもの、おっぱいを吐いたのや、離乳食を吐いたのはどうにか乗り切れたけど、小学生になってからのは、うまく夫がいるときに吐いてくれて助かったよ。この先、お酒が飲めるようになったら、飲みすぎたときは家に入れないようにしようと思ってる私って鬼母?