長女で、3人兄弟の第一子だった私。
小さいころから、何かにつけ
「お姉ちゃんなんだから。」という言葉が枕詞のようについてまわった。
子供心に、お姉ちゃんなんだからしっかりしなくちゃいけない、お姉ちゃんなんだからいい子でいなくちゃいけない、お姉ちゃんだから、お姉ちゃんだから・・・
と呪文のように思い続けていた。
それは、私の行動をとる指針にも時としてなった。
だが、それは本当は私の本心でも、本質でもなかった。
だから、今から思うとかなり無理をしていて、ちょっとひねくれた人格形成がなされてしまったのかもしれない。
先日の息子の進路相談会でも、先生から
「協調性のある子、人の立場を思いやれる子、額に汗することをいとわない子、そういう人間になって欲しいのです。」と全体に向かって説かれたとき、正直言って私の息子、ひいては私の子育てを批判されているようで、つらかった。
そんなことはわかってるよ。
誰だって、自分の子どもが成績もよくて、素直で、何事にも前向きで、清廉潔白で、人にも優しくて、人の嫌がることを率先してやって、まじめで
わがままではなくて、ってそんな非の打ち所のない人間だったらどんなにか楽だろう。
小さいころから優等生たるものに価値をおいた親に育てられた私は、そうなれなかった自分を、だめな人間だと思ったり、まわりにいる優秀なひとと自分を見比べて卑屈になったりしてしまうちっぽけな自分がある。
私の卑小な部分を指摘されると、どこんと落ち込んだり。
そういうふうに感じてしまう自分にさらに嫌気がさしたり。
正しいこととか、美しいこととかを面と向かってぶつけられると、それは私にとって刃となってつきささってしまう。それは、きっと自分がどこかで、その正しいこと、美しいことを納得していても素直に認められない自分が嫌なのだからだと思う。
天に向かって吐いたつばは、やっぱり自分に降りかかってくる。
私はやっぱり、いくつになっても優等生にはなれないのだ。
小さいころから、何かにつけ
「お姉ちゃんなんだから。」という言葉が枕詞のようについてまわった。
子供心に、お姉ちゃんなんだからしっかりしなくちゃいけない、お姉ちゃんなんだからいい子でいなくちゃいけない、お姉ちゃんだから、お姉ちゃんだから・・・
と呪文のように思い続けていた。
それは、私の行動をとる指針にも時としてなった。
だが、それは本当は私の本心でも、本質でもなかった。
だから、今から思うとかなり無理をしていて、ちょっとひねくれた人格形成がなされてしまったのかもしれない。
先日の息子の進路相談会でも、先生から
「協調性のある子、人の立場を思いやれる子、額に汗することをいとわない子、そういう人間になって欲しいのです。」と全体に向かって説かれたとき、正直言って私の息子、ひいては私の子育てを批判されているようで、つらかった。
そんなことはわかってるよ。
誰だって、自分の子どもが成績もよくて、素直で、何事にも前向きで、清廉潔白で、人にも優しくて、人の嫌がることを率先してやって、まじめで
わがままではなくて、ってそんな非の打ち所のない人間だったらどんなにか楽だろう。
小さいころから優等生たるものに価値をおいた親に育てられた私は、そうなれなかった自分を、だめな人間だと思ったり、まわりにいる優秀なひとと自分を見比べて卑屈になったりしてしまうちっぽけな自分がある。
私の卑小な部分を指摘されると、どこんと落ち込んだり。
そういうふうに感じてしまう自分にさらに嫌気がさしたり。
正しいこととか、美しいこととかを面と向かってぶつけられると、それは私にとって刃となってつきささってしまう。それは、きっと自分がどこかで、その正しいこと、美しいことを納得していても素直に認められない自分が嫌なのだからだと思う。
天に向かって吐いたつばは、やっぱり自分に降りかかってくる。
私はやっぱり、いくつになっても優等生にはなれないのだ。
不器用、という点。そうなのかもしれません。
私の場合、それをいっちゃぁおしまいよ、ってわかっていても黙っていることができなかったり、毒を吐きつつ自分も自分の毒にやられる、ってことを繰り返していて、ほんと馬鹿だなぁと情けなくなります。
学校の先生なんてものも、建前と本音の使い分けで生きているような人種ですから、そういう人から言われたことは別にかまわないのですが、自分と変わらない歳のひとから、理想論をぶつけられるとなんか凹みます。はいはい、どーせ私はそうですよ、みたいな捨て鉢な気持ちになって、むくれてしまって、さらにそういう自分が嫌で、醜くって、底なし沼に陥っていきますね。
ごめんなさい。ちょっと、私おかしいのです。
POKOさん、やんちゃな長女だったのですね(笑)
私も、教室のうしろで立たされたことありますよ。濡れ衣で。でも、濡れ衣だってことが言えなくて、歯を食いしばって、その先生をにらんでました(爆)
私は、きっとうぬぼれが強くて、自分が思っていたほど親も期待していたわけでもなかっただろうし、周りの評価も低かったのかもしれません。
ただ、いつもどこかで、いいこにしていなくてはいけない、というブレーキがかけられて、それがプレッシャーで、それをはねのけられない自分に嫌悪して。
ややこしい性格で、やんなっちゃう。。
今はかなり不良中年かもしれないです。
幼稚園児のときに家出騒ぎでお巡りさんのお世話になり、怒られたことは数知れず、廊下に立たされたり、机ごと廊下に出されたこと、立たされても遊んでまた怒られたり、ちゃんと勉強していた記憶がほとんどないです。(笑)
CITROENさんは職員室や校庭で正座したことありますか?
ってな子だったのでいい子なんてことあんまり期待されたことがない。
(それもちょっとねえ。)
今さらですが、もうちょっとまじめになっても良かったかなとは思ってます。(反省)
私も必要以上に「良い子ちゃん」を演じている時期がありました。ある時それが嫌になって親への反抗という形で現れた時期もありましたが・・・
結局は正義を曲げられない不器用な大人になりました。
それも今は受け入れられますが・・・。
先生がおっしゃったような人間は確かに人として「悪くはない」と思います。でもそれゆえに不器用になります。CITROENさんの仰るような非の打ち所の無い人間にはならないものです。