夫の実家は、山を切り開いたニュータウンに位置している。
夏は涼しい分、冬の寒さといったら、サムガリーナな私には耐え難い寒さである。
マンションならまだしも、一戸建てなので床からあがる冷気は相当なものだ。
一人暮らしを続けている姑が、近所のヤブ医者から
「リウマチだ。」と断定されたこともあり、かなりブルーになっている。
電話で様子を尋ねると
「もう、何もする気がおきへんねん。食欲もないし、したいこともないねん。寒いし。」
と切々と一人暮らしのわびしさを訴える。
せめて寒さだけでもしのいだら気分的にあったかくなるかな、と夫と話し合って姑が寝起きする部屋に敷くホットカーペットと、古くなって効きが悪くなったらしい電気毛布を新調して送ることにした。
週末、さっそくに送り、お礼の電話が入った。
「お尻も、部屋もあったこうて気持ちええわ。これやったら家でおとなしぃしとくのも苦やのうてええなぁ。ほんまにありがとう。」と。
昼間出向いた別の病院の医師から、リウマチである可能性が低い、と診断されたことも手伝って声が明るい。
そんなに寒かったのなら、さっさと買えばいいのに、と思い出したことがある。
会社で使っているプレゼント用の商品券を調達している近所のスーパーで。
お昼に出向くと、高齢者がその日の食事の買い物に大勢来ている。
私が用を足すサービスカウンターには、たいてい一人か二人60代くらいの人がカートに食料品をいっぱい買って立っている。
何をしているのか、といえば宅急便で今買ったものをダンボールに詰め合わせてもらってどこかに送ろうとしているのだ。
何気なく送り状のあて先を見ると、県外の高齢者っぽい名前が書かれている。
送る荷物は、日用品から果物、野菜、お菓子などなど生もの以外の食料品である。
場所によっては、送料のほうが高くついてしまうかもしれない。
なんで、そんな無駄なことをするのかな、お金を送ってあげればいいじゃない、と私なんかは合理的なのはこっちでしょ、と思ってしまう。
そんな話を同僚の節子さんにしたら
「それは、きっと子どもから送られたお金を親は使わないからやと思うで。」とずばっと言われたことがある。
子どもにしてみれば、親にちょっとでも美味しいものを食べて欲しくてお金を送っても、
親は子どもから送られたお金が、もったいなくて使えないのだという。
だから、お金ではなくて、あれこれ見繕って詰め合わせて送るのだ、と。
また、買い物にでかけて持って帰るのも重いものは大変だから、という理由もあるかもしれない。
送っているひとたちも、そうされてもおかしくないような高齢者がほとんどなのに、いくつになっても誰かの親であり、誰かの子どもなんだなぁ、と当たり前のことにも気づく。
かくして我が家の義母も、モノとして送ることでようやく使ってくれたようだ。
自己中で生きてきた私は、このままだといつか子どもから送られたお金を平気で使ってしまうかもしれないな。
自分で稼いだ一万円と、子どもが稼いだ一万円は同じもの、と割り切って考えるような親にはなりたくないなと思う。
夏は涼しい分、冬の寒さといったら、サムガリーナな私には耐え難い寒さである。
マンションならまだしも、一戸建てなので床からあがる冷気は相当なものだ。
一人暮らしを続けている姑が、近所のヤブ医者から
「リウマチだ。」と断定されたこともあり、かなりブルーになっている。
電話で様子を尋ねると
「もう、何もする気がおきへんねん。食欲もないし、したいこともないねん。寒いし。」
と切々と一人暮らしのわびしさを訴える。
せめて寒さだけでもしのいだら気分的にあったかくなるかな、と夫と話し合って姑が寝起きする部屋に敷くホットカーペットと、古くなって効きが悪くなったらしい電気毛布を新調して送ることにした。
週末、さっそくに送り、お礼の電話が入った。
「お尻も、部屋もあったこうて気持ちええわ。これやったら家でおとなしぃしとくのも苦やのうてええなぁ。ほんまにありがとう。」と。
昼間出向いた別の病院の医師から、リウマチである可能性が低い、と診断されたことも手伝って声が明るい。
そんなに寒かったのなら、さっさと買えばいいのに、と思い出したことがある。
会社で使っているプレゼント用の商品券を調達している近所のスーパーで。
お昼に出向くと、高齢者がその日の食事の買い物に大勢来ている。
私が用を足すサービスカウンターには、たいてい一人か二人60代くらいの人がカートに食料品をいっぱい買って立っている。
何をしているのか、といえば宅急便で今買ったものをダンボールに詰め合わせてもらってどこかに送ろうとしているのだ。
何気なく送り状のあて先を見ると、県外の高齢者っぽい名前が書かれている。
送る荷物は、日用品から果物、野菜、お菓子などなど生もの以外の食料品である。
場所によっては、送料のほうが高くついてしまうかもしれない。
なんで、そんな無駄なことをするのかな、お金を送ってあげればいいじゃない、と私なんかは合理的なのはこっちでしょ、と思ってしまう。
そんな話を同僚の節子さんにしたら
「それは、きっと子どもから送られたお金を親は使わないからやと思うで。」とずばっと言われたことがある。
子どもにしてみれば、親にちょっとでも美味しいものを食べて欲しくてお金を送っても、
親は子どもから送られたお金が、もったいなくて使えないのだという。
だから、お金ではなくて、あれこれ見繕って詰め合わせて送るのだ、と。
また、買い物にでかけて持って帰るのも重いものは大変だから、という理由もあるかもしれない。
送っているひとたちも、そうされてもおかしくないような高齢者がほとんどなのに、いくつになっても誰かの親であり、誰かの子どもなんだなぁ、と当たり前のことにも気づく。
かくして我が家の義母も、モノとして送ることでようやく使ってくれたようだ。
自己中で生きてきた私は、このままだといつか子どもから送られたお金を平気で使ってしまうかもしれないな。
自分で稼いだ一万円と、子どもが稼いだ一万円は同じもの、と割り切って考えるような親にはなりたくないなと思う。
それこそスーパーでも買えるカップラーメンとか、お米、缶詰などなど。
仕送り前などは、現物支給はかなり助かりました。
しかも各地のグルメをあてに酒盛りなどもしましたね。同じ下宿の子と・・・。
これも今考えれば現金を送れば何に使うか分からないから食料を送るという親心だったのでしょうね。
そんな私も最近は親に荷物を送っています。
お金には不自由していないだろうけど昭和ひとケタの親ですからなかなか思い切って買えそうにない物などを・・・。
来春からはかつての母の様に娘に荷物を送る様になるのでしょうかね?
親心を果たして現代っ子の娘は分かってくれるのか?疑問ですが。
試験はもう、終わったかな?
なんかね、親ってちょっとでも多くのものを子どもに残してやらにゃ、って思うんだろうね。
自分でさっさと色々買って、快適に過ごせばいいのに、って思うのに、もったいない、が先にたっちゃうみたい。
さらさのははさんも、きっと宅急便のラベルを束にして引き出しに置くと思いますよ。
上のお嬢さんも、いよいよ佳境ね。
来年の春が楽しみだね!