ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

想いはさまざま

2006-09-14 | 砂時計
同僚せっちーのお姑さん。
おんとし83歳の元気なおばあちゃんだ。
火事で自分の家を全焼してしまったあと、自力で自分の住む家を再建したのが去年のこと。
いまもせっちーの住む家の横で、ひとりで暮らしている。
自分で自転車に乗り、買い物に出かける。
嫁のせっちーの食事を作ることを生きがいに、暇なときには図書館へも出向く。
歴史が好きで、大河ドラマを毎週楽しみに観ていて、史実と違う部分をせっちーに講釈してくれるそうだ。
そんな元気なおばあちゃんなので、自分が年寄り扱いされることをとても嫌う。
先日も、せっちーにブツブツ文句を言ったそうだ。
「あのxxスーパーは、本当に失礼なスーパーだ。私がレジに行くと、ちょこっとした買い物しかしていないのを不満に思うのか、さっさと袋詰めの台に持っていってしまって、早く帰れ、と言わんばかりだ。」と憤慨していたらしい。

あちこちのスーパーで最近増えてきたサービスだ。
高齢者、小さな子供づれ、妊婦さんなどの買い物カゴを、袋詰めの台へ運んであげる、というスーパーの「思いやり」。
しかし、元気なせっちーのお姑さんは、それを「自分を邪魔者扱いにする失礼な態度」として怒っているのだ。
「私は、あんなことをされてだまっちゃいられない。今度文句を言ってやる」といきまく
お姑さんを、せっちーがなだめたそうだが、本当に人の心はわからない。
同じ行為を、してもらってありがたいと思う人もいれば、それが迷惑なお節介と受け取る人もいる。
どう受け止めるかわからないから、最初から何もしない、というひともいる。
よく言われるのは、バスや電車で席を譲られて怒る人がいる。だから、むやみやたらと席を譲らないほうがいいのだ、と。
これだけ元気な高齢者が増えれば、高齢者とおぼしきひとであっても、自分の意識では高齢者ではない、と思っていたりする。
また、老けて見えても案外自分と変わらない年齢の人だったりすると、本当に失礼な話になってしまう。

親切とお節介、その境界線を知るのは本当に難しい。

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6 コメント

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うわ (のぴ)
2006-09-15 20:01:54
そ、そんな風に思う人がいるのか~(笑)

特に年配者や明らかに力がなさそうな方、妊婦さん、赤ちゃん連れのお客さんで、

どーにも重そうな時はレジかご運びますよ。

ちょっとだったら袋に入れちゃうし。

まぁ、高齢者に限らず、重そうだったり持ちにくいものだったり、

かごが2つも3つもある時は運ぶかなぁ。

あれを嫌がらせと思われるんじゃ~チェッカー辛いでございますわ。
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かわいくねー (CITROEN)
2006-09-15 22:22:28
って、せっちーも言ってた。

親切を親切と受け取れないおばあちゃんに。

なんかさ、そういうのって心が硬いのかな、って思っちゃうわけよ。

元気で若い、っていうのと周りのいたわりを素直に受けるっていうのは別のもんじゃないかな、ってね。

まあ、逆手にとって、してもらってトーゼンっていう態度の高齢者にも腹は立つけど(笑)



人の心ってフクザツだよね。本当に。
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そうだね (のぴ)
2006-09-16 07:44:19
うんうん、ココロが硬いのかもな。ちょっと淋しいねぇ。

そこで内心「アタシはまだ年寄りじゃないわ」と思っても、笑顔で「ありがと」と言えば

お互いに気持ちよくなるんじゃないか、という気もするけどね。



してもらってトーゼンといえば、嫌なオッサンがいるのよ。

たぶん定年退職した位の年。

カートにかごを乗せず直接商品を入れてきて、チェッカー台(レジの台)の向こう側で知らん顔。

しょうがないから店員が必死で手を伸ばしてカートの中の商品を出してるのに、1つとして手伝おうとしない。

重たい油やペットボトルなんぞあった日にゃ、心の中で毒づきます。「横着もたいがいにしろーっ!」
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うっへ~! (CITROEN)
2006-09-16 15:48:39
あったまくるね、そのオヤジ。

結構、団塊の世代に多そうだけど。

亭主関白とかいう言葉にどっかと胡坐かいて座ってるの。

せっちーのダンナも、そんなひとだったらしいよ。奥さんがぶりぶり汗かいて走り回っていても、自分ひとりクーラーのかかった部屋で悠然と座って、先にご飯を食べてたり、買い物に行っても自分の軽いおやつだけ持って、さっさと車に乗り込んでいたり。



お客だからトーゼンだろ?という態度、人格的にどうなの?って思っちゃうよ。

のぴさん、お疲れさんです
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マナー (EKO)
2006-09-16 22:13:27
「席を譲る」とか、「手を貸す」ってある人にとっちゃどきどきしながら勇気を出して、立ったりするものです。

前にある障害者の方がテレビで言っていましたが、その方もこれ位は自分で出来るんだけどなと思う時でも嬉しい顔して「ありがとう」って言ってやってもらっているそうです。

例えばその若者なりは勇気を出して声を掛けたのかもしれない。

それを自分が断ってしまうとその若者もバツが悪くなり、次からはそんな声賭けをしなくなってしまうかもしれないけど、「ありがとう」と言われて気持ちよくなってくれたらその若者はまたそんな親切を他人にしてくれるだろうから。

その障害者の人はその申し出てくれた介助が必要の無いものであっても、それが必要な障害者もいる。

だからだそうなのです。

すごい心の余裕!と尊敬しました。

譲るのもマナーだけど、その行為に報いるのも大人のマナーなのですね。

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まさに! (CITROEN)
2006-09-16 22:30:41
EKOさんのおっしゃる通り、「心の余裕」ですね。

そして、行為に報いることがマナーだということも。

そう、自分の立場の主張以上に、その状況を理解して、ゆとりある気持ちで受け入れるってことが大切なんでしょうね。

ひねくれたり、いじけたり、すねたり、うがって物事を捉えることは、マイナスになることはあってもプラスの何かをうみだすことはありませんもの。

自分の心もしなやかにしておかなければ、と思った一件でした。
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