今回のことで、思い出した祖母の言葉。
昔、祖母から何かの折りに
「あんたは、木の股から生まれたんやないで。人間は、みな人との関わりあいをもって、人の情に助けられて生きてるねんから。そんなそっけないことゆうたらあかん。」
と言われたことがある。
若い頃には、「ふん、そんなこと言ったって、所詮他人は他人やんか。」と思っていた私である。
が、今回の舅のことに関しては、本当に多くの人の助けを借り、多くの人に支えられて見送ることができた。
私が、姑の傍について舅の看病をするなり、姑をサポートするなりしなければならないのに、それもままならず、姑が普段ご近所で築いてきた人間関係に支えられた。
両親を励ましたり、看病に疲れた姑のもとに夕飯のおかずを届けてくださったり。長引く看病にくじけそうになる姑のグチをきいてくださったり。
また、臨終の報せを受けても、タクシーが夜中のことでつかまらず、途方にくれていた姑に車を出して、病院から舅の亡骸を連れ帰り、葬儀社の手配から何から何まで引き受けてくれた親類の人。
初めてのことで、右往左往する私達夫婦にてきぱきと指示してくれた姑の従姉弟たち。
家族ぐるみでつきあってきた友人達。
そして、ブログを更新しない私を心配してくださっていたネットでのおつきあいの方達。
「互助」という言葉があるが、本当にそうだと思う。
今度なにかで、私が力添えできることがあれば、またお返しできればいいな、と思っている。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。
昔、祖母から何かの折りに
「あんたは、木の股から生まれたんやないで。人間は、みな人との関わりあいをもって、人の情に助けられて生きてるねんから。そんなそっけないことゆうたらあかん。」
と言われたことがある。
若い頃には、「ふん、そんなこと言ったって、所詮他人は他人やんか。」と思っていた私である。
が、今回の舅のことに関しては、本当に多くの人の助けを借り、多くの人に支えられて見送ることができた。
私が、姑の傍について舅の看病をするなり、姑をサポートするなりしなければならないのに、それもままならず、姑が普段ご近所で築いてきた人間関係に支えられた。
両親を励ましたり、看病に疲れた姑のもとに夕飯のおかずを届けてくださったり。長引く看病にくじけそうになる姑のグチをきいてくださったり。
また、臨終の報せを受けても、タクシーが夜中のことでつかまらず、途方にくれていた姑に車を出して、病院から舅の亡骸を連れ帰り、葬儀社の手配から何から何まで引き受けてくれた親類の人。
初めてのことで、右往左往する私達夫婦にてきぱきと指示してくれた姑の従姉弟たち。
家族ぐるみでつきあってきた友人達。
そして、ブログを更新しない私を心配してくださっていたネットでのおつきあいの方達。
「互助」という言葉があるが、本当にそうだと思う。
今度なにかで、私が力添えできることがあれば、またお返しできればいいな、と思っている。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。
やっぱり距離を隔てたつながりのもどかしさを感じました。
予告なく更新がない、ということがないCITROENさんだから、
空白が続いた時に皆さん同様「もしや…」と。
いつも、そこにいた人がいない、という事実は、
日を追うごとに重きを持っていくのかもしれませんね。
ううん、やっぱり難しい、うまいこと書けないや。
CITROENさんご一家も、お姑様も、くれぐれも御身お大事に。
皆さん同様、毎日「もしかして。。。」と思いながら数日を過ごしていました。
コメントを書こうと思いつつ、なかなか言葉になりません。
こうやって物理的な距離はありますが、少しでも力添えが出来ればなぁ・・・と考えたりしていますが。。。
「人の死」というのは月日がたつにつれ
その人のいない寂しさが増すような気がしますが、
それと同時にその人が自分の中に「存在」していることを
感じずにいられません。
きっとお父様は心の中でお父様でありつづけると思います。
あぁ・・・
支離滅裂。うまく言葉になりません。ごめんなさい。
お母様のことやまだまだいろいろと大変なことがあると思います。
くれぐれも無理をなさらずに。
心よりお悔やみ申し上げます。
何度も訪れてはみたものの、上手く文章を書くことのできないまま、時間がすぎてしまいました。
ちょっと私事になってしまい申し訳ありませんが、私の両親は共にあわてんぼう(?)で、父は45歳、母は56歳という若さでさっさと橋を渡って行ってしまいました。
周りの人たちの優しくしてくれて本当に救われた事が何度もあり、これも生前の両親の人柄のおかげかな・・・と、実感していました。
CITROENさんや、ご家族の皆さんが素敵な方たちだからこそ、皆さんが優しく接してくださったんだと思います。
お舅様も、最後に言いたかった言葉を残して旅立つことができて何よりです。残されたお姑様は辛かったことと思いますが、旅立つご主人様の意志を尊重してあげて、とても素晴らしい方だと思いました。
非日常的な日々が一段落した時に疲れが出てしまうので、どうかお身体大切になさってください。
やっぱり支離滅裂な文章になってしまって申し訳ありませんでした。
さぞ心身ともにお疲れだと思います。
寒さも厳しくなってきましたがお風邪などひかれていませんか?
私も更新がないことに不安を感じていたのですが、なかなか
こういうときにうまく言葉にできなくて・・
自分の気持ちを伝え、日記に残されていたお舅様は立派な最期を過ごされたと思います。
これからしばらくの間は法事が続いたりして、慌しく過ごされると思うのですが、
半年、一年・・と経つ内に本当に寂しさや虚無感に襲われるとよく耳にします。
そんなときこそ、お姑様とお互いに話を聞いたり、顔を見せ合ったり・・というのが
大切なのかもしれないですね。いつまでも忘れずにいるのも供養になると思いますし。。
お姑様もCITROENさんも、どうかお身体を大事になさってください。
のぴさん、ありがとう。
ブログを書き続けるってことは、自分自身の反省みたいなものもあったり、タイトルどおり忘れっぽくなってきている毎日のことを書きとめておく意味もあったりなのですが、こうして心配してくださる方がいるってことは自分が生きている証でもあるのかな、と思ったりしています。
ゆきゆきちゃん、おひさしぶりです。
コメントのしようがないことに、書き込んでくれてありがとう。私も、他の方がこういう場合、なんといえばよいのか、どんな言葉が適切なのかがわからなくて、書き込まずに閉じてしまうことがよくあります。
ほとんどの方が、活字の上でだけでしかお付き合いがない方なので、下手に言葉をかけるというのが軽くなってしまわないかとか色々考えてしまってね、うまく書けなくなってしまうのですよね。
そういうみなさんのお気持ちがわかるだけに、あえて書き込んでくださったことを本当に嬉しく思っています。
Rokuさん、そんなにお若くしてご両親は旅立たれたのですか…。
本当に、情けはひとの為ならず、といいますが全く今回身に染みてそれを感じました。Rokuさんのご両親の生前の行いが、残されたお子さんを見守る温かい手となったわけですよね。姑もそうだと思います。姑の日ごろのつきあいのみならず、舅の交友関係が彼女を支えてくれたのだと。
我家も一人っ子なので、私達夫婦がもし何かで早世してしまったら残される息子は、果たしてどうなるのか、などと考えると普段の私達の行いが問われることになるのかなと思ったり。Rokuさんのご両親のように、善行を積まなければ。
mika*さんも、ご心配くださってありがとうございます。
ほんとうに、こんな場合の書き込みは難しいのにありがたいです。でも書き込んでいただけると、なんかほっこりするものが湧いてくるっていうのか…。
そうですね、姑もきっと半年、一年と日が経つにつれ、余計に寂しさが増してくるのだと思います。
夫は優しいけれど、やはり男なので、女のグチには辟易とするみたいなので、そんなときこそ私の出番かな、とは思っていますが。いかんせん、どっちかっていうと男っぽい性格なので、「もう、いつまでもぐちぐち言ってもしゃーないやん。」って言ってしまいそうでそんな自分がコワイです。