舅が78年の人生の幕を閉じた。
覚悟はしてはいたものの、やはり肉親である夫の動揺は隠せなかった。
涙を見せたわけではないが、姑からかかってきた電話に絶句し、受話器を置いた後、やみくもにタバコを吸っていた。
実家までの3時間近くの道のりを運転する夫の胸に去来したものがどんなものであったのかはわからない。
口では強がって
「俺の中で、親父のことはこの前連れて帰ったときに終わってる。しゃーないことや。誰もがいつかは迎える時なんや。俺にとっては、さっさと死んでくれてよかったと思ってる。毎週見るたびにやつれていく親父を見るほうがよっぽどつらかったわ。しんどい時間を長いこと過ごさせるのがほんまに可哀想やった。」と言ってはいたが、私達家族のいないところで一人しんみりしていたようだった。
姑は、それなりにつらくはあったのだろうが、看病に疲れていたこともあり、案外さばさばしている。
なにより、可哀想だったのは舅の危篤の知らせと、臨終の知らせをほぼ同時刻にたった一人で受けたということ。そして、夜中のことでタクシーもつかまらずに、遠く離れた息子一家も頼りにはならず、駆けつけたくとも駆けつけられないもどかしさと、寂しさ、一人残されたという孤独感などと闘いながら迎えの車を待ったということ。
いざというときに本当にささえにならなかった私達。
霊安室で自分の夫に対面したときの姑の心情は想像に難くない。
そんな時こそ、そばに家族のぬくもりがどれほど欲しかったであろうか。
一人残されたという現実をつきつけられ、それを一人で受け入れ、一人で消化させなければならなかった姑にかける言葉などみつからなかった。
魂のぬけた舅の亡骸とともに一晩家で過ごし、仰々しく飾られた祭壇の前での何十時間かを過ごし、ようやく狭いけれど気のおけない我家に帰ってきた。
これからしばらくは、姑のフォローが欠かせない日課となるだろう。
家族の歴史のなかでの一幕が終わり、あらたな幕があげられた。
覚悟はしてはいたものの、やはり肉親である夫の動揺は隠せなかった。
涙を見せたわけではないが、姑からかかってきた電話に絶句し、受話器を置いた後、やみくもにタバコを吸っていた。
実家までの3時間近くの道のりを運転する夫の胸に去来したものがどんなものであったのかはわからない。
口では強がって
「俺の中で、親父のことはこの前連れて帰ったときに終わってる。しゃーないことや。誰もがいつかは迎える時なんや。俺にとっては、さっさと死んでくれてよかったと思ってる。毎週見るたびにやつれていく親父を見るほうがよっぽどつらかったわ。しんどい時間を長いこと過ごさせるのがほんまに可哀想やった。」と言ってはいたが、私達家族のいないところで一人しんみりしていたようだった。
姑は、それなりにつらくはあったのだろうが、看病に疲れていたこともあり、案外さばさばしている。
なにより、可哀想だったのは舅の危篤の知らせと、臨終の知らせをほぼ同時刻にたった一人で受けたということ。そして、夜中のことでタクシーもつかまらずに、遠く離れた息子一家も頼りにはならず、駆けつけたくとも駆けつけられないもどかしさと、寂しさ、一人残されたという孤独感などと闘いながら迎えの車を待ったということ。
いざというときに本当にささえにならなかった私達。
霊安室で自分の夫に対面したときの姑の心情は想像に難くない。
そんな時こそ、そばに家族のぬくもりがどれほど欲しかったであろうか。
一人残されたという現実をつきつけられ、それを一人で受け入れ、一人で消化させなければならなかった姑にかける言葉などみつからなかった。
魂のぬけた舅の亡骸とともに一晩家で過ごし、仰々しく飾られた祭壇の前での何十時間かを過ごし、ようやく狭いけれど気のおけない我家に帰ってきた。
これからしばらくは、姑のフォローが欠かせない日課となるだろう。
家族の歴史のなかでの一幕が終わり、あらたな幕があげられた。
ほぼ毎日 更新があるのに 先週は空白の日が多く
もしや?と思っておりました。
なんといったらいいのか さっきから入力しては消すを繰り返しております。
この前 コメントさせていただきましたが お義父さんは
自分の言葉で 家族の前で思いを告げ 満足して旅立っていかれたことと思うんです。
お葬式等 非日常的な日々から 以前の生活に戻るまで
でも 戻るんじゃなくて 新しい生活が始まるわけですよね。お姑さんのこと 心底労わってらっしゃる気持ち 言葉にせずとも きっとわかってらっしゃると思います。
疲れも出る時期です。 気をつけてくださいね。
(この前 コメントのお返事に いろんな出来事があって本当の家族になっていくと頂いてました。
同居して6年 その言葉にすべてが集約されていると唸りましたです。)
一人の人間の死を受け入れる気持ちはそれぞれの立場や環境によって全く異なると思います。
誰もが避けて通れない経験ではあるけれど経験した当事者にしか分らない感情が渦巻いているに違いありません。
CITROENさんもこれからしばらくは色々な意味でお忙しいと思います。体調に気をつけてご無理をされませんように。
今週末は夫だけが舅に携帯を届けに日帰りで行っています。少しずつ新しい生活を整えています。
本当に最後の帰宅だったのですね、でも家族と過ごし伝えたい事と伝え、安心して旅立たれたと思います。
長い事、看病を続けていたお義母様の精神的ケアが大切ですね。CITROENさんもあまり無理をされませんように。
ゴンタリョーマのママさん、そうなんです。舅は自分の胸の内を家族に打ち明け、自分の死を待つ形で最期を迎えました。看護士さんによれば、最期はすぅ~っと息をひきとったそうです。表情も非常に穏やかで、死化粧などする必要はないと思えたほどでした。
ほんと、これからが新しい生活の始まりだと思います。先日もお願いしたように、これからは色々と相談にのっていただくことも多くなると思います。よろしくお願いしますね!
アプリコットさん、携帯を届けに行かれましたか、ご主人。うちもそうなんです、もう姑も私達も持たないわけにはいかないな、ってことで色々パンフを集めています。
ほんとに、それぞれ感情は内に封じ込められてはいるものの、さまざまな思いが渦巻いている、おっしゃるとおりです。この先、奇麗事だけでは済まされないことも多々でてくるのではないかとは思うのですが、とりあえず出来ることを少しずつ、無理せずにやって行きたいと思っています。
cooさんも毎日来てくださっていたのですね。ありがとうございます。
舅の最後の希望をかなえてあげられたことは、夫にとっても姑にとっても、そして私と息子にとっても本当によかったと思えます。
友人がね、「お義父さんは、身体は病に負けたかもしれないけれど、心は病に勝ったのよ。強い精神力だと思う。」と言ってくれたのですが、本当にそうだなぁ、と思います。やっぱり男の人なんだと。姑には我儘で、勝手で、カンシャク玉をぶつけるような人だったのだけど、病床で綴られた日記には、姑のことばかりが書かれていました。そして、夫に宛てた遺言めいたものには「おかあさんの好きなようにさせてやって欲しい。」と。
心の中で感謝し旅立った舅と、丁寧な看護で見送った姑、なんだかあらためて、夫婦の深い絆を感じた私です。
私も母も、父が亡くなったとき、看病もあったし、最後に苦しまなくてよかった!なんて思いがあって、はじめはサバサバしていたの。けど、だんだん時がたつとあとからドッとくる、という感じでした。だってそんなに長く父に会えない、なんてことなかったんだもの。
ご主人も、お母さんも、支えてあげてね。
でも、最後まで正気で、お母さんのことも頼んで、息を引き取られて、うらやましいような、理想的な最期、だと思いました。
結婚したばかりで仕事も子供も無かった頃、祖母の最後の数ヶ月を病室で一緒に過ごしました。
抗がん剤の副作用で朦朧として幻覚さえ見るようになった祖母と一緒にいる時間は辛く長く感じました。同時に、やがて迎えるであろう自分の最後のことも深く考えました。
お義父さんの最後はとても潔く安らかに迎えられたようですね。私の理想です。
家族の結びつきの強さってこういうときこそ実感できるものですね。お義父さんが残されたものは大きいと思います。お義母さんを支えるのもやはりご家族の優しさが一番でしょうね。がんばってください。
Roco家の星一徹父上も、ガンで亡くなられたのでしたね。たぶん、姑も日を追うごとに、舅の存在の大きさを認識することになり、つらさがこみあげてくるんじゃないかな、と思います。
安らかな最期、と言えるのでしょうね。でも、もう少し楽に逝けたらよかったのにな、と思うところもあります。
chiyononちゃん、ではなかったgabiさん、こんばんは。
心配してくださってありがとうございます。
gabiさんは、そんな若い頃に数ヶ月もおばあさまの看病をされたのですか?読んでいて、絶句してしまいました。
口で言うのはたやすいことだけど、それを実践するのは並大抵のことではないと思います。ましてや、そんな若い頃に…。それだけに、gabiさんの言葉は、一言一言が胸に深く落ちてきました。
舅は、最期までええかっこしぃだったと思います。そう、潔かったでしょうね。安らかだったのは最期くらいで、あとはしんどい毎日だったと思います。ただ、抗がん剤も使わず、ガンの疼痛もなかったという意味においては、ある意味比較的安らかな死ではあったのかもしれませんね。
距離として離れているだけに、支えていくのは難しいものがありますね。どうするのがベストなのか、じっくりと考えなければならないと思っています。