ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

妖しげなにおい

2012-07-13 | 砂時計
あの後、青い爪は除光液で落とし、別の色に塗り替えた。
今年のマイブームのオレンジである。
その毒々しい派手な色に塗られた足の爪を見ていて思い出したことがある。

時は昭和44年。
私が大阪市内のど真ん中で小4生だったときのこと。
転校したばかりの学校ですぐに仲良くなったのは、おうちが喫茶店経営の女のコ。
今の時代、喫茶店はカフェと名前を変え、単なるお茶のみ処でしかないが、その時代、子供同士で行くような場所ではなかったし、完全に大人の世界だった。
紫煙にまみれ、大人に囲まれた生活をしていたNちゃんは、ちょっとおませな女の子だった。
私もどっちかといえばおませだったのですぐに意気投合。
担任だったおばあちゃん先生は、私がその子とつきあうことは良くない、と不親切なご注進をうちの母にしてくれたのだったけど・・

ある日のこと
小学校の校庭にいつもお散歩に来る小さな女の子とお母さんの親子連れと、私たち二人は仲良くなった。
正しくは、おおよそお母さんぽくない、まだ娘さんのような清純さを残したその若いお母さんと仲良くなった。
私もNちゃんも、おそらくその綺麗な若いお母さんに惹かれたのだと思う。
何度か一緒に遊んだりするうち、誘われるままに、その親子が住む小学校近くのマンションに遊びに行くと・・
その女の子の祖母と思われる女性が、親子の帰りを待っていた。
茶髪にしたちょっと派手な感じのするそのおばあちゃんと、その若いお母さんとの会話から、何となく、なんとなく、その若い母親の旦那様は「普通の」旦那様ではない気がした。

大阪の中心地梅田よりほど遠くないその地では、いろんなひとが住んでいた。
老舗の商店主、裁判所が近かったので弁護士、北新地にもそう遠くないので、夜のお商売のひとも。
子供心に、その若いお母さんは「お妾さん」?と、直感したのだった。
Nちゃんもそれは同じ。
おませな二人は、なんとなく、なんとなく、隠微なニオイを感じ取っていたのだった。
それ以降、その親子の姿を見かけなくなったし、私たちはその親子に近づかなくなった。
そのとき、最後に目に焼き付いているのは、若い母親がしていた赤いペディキュア。
私の中で派手な色のペディキュアが、妖しげなにおいを放つのはそのときの思い出のせいかもしれない。

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