ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

貧乏性くらべ

2007-05-30 | 砂時計
私と友人も、負けず劣らずのもったいながりかもしれない。

先日、友人と会ったときにひとつ頼まれごとを預かった。
彼女がずーーーっと愛用しているヤカンと同じタイプものをどこかで見かけたら教えてほしい、というのだ。
形は、最近のコーヒードリッパータイプのものに近いが、注ぎ口は太く短くヤカンタイプである。
ぱっと見てヤカンぽくない形である。
ネットでも検索してみるが、なかなか見つからない。
街中にある、大きな金物屋さんならば見つかるかも知れない、と尋ねてみるがやはりない。
友人は針金を使って留め付けてまで使っている。
人から見れば、「なんて貧乏くさい」と思われるかも知れない。
だが、彼女にとってはとても使い勝手の良いヤカンなのだと思う。

我が家にも同様のものがある。
「ハンドミキサー」である。
私が小学五年生の時に、西洋かぶれの母がどこかの輸入雑貨店で買ってきた。
それ以来ずっと私と共に生きてきた。
いつだったか忘れてしまったが、息子が小さかった頃、調理台から落として本体が少し割れてしまった。
もう、使えないかなぁ?と思いつつゴムバンドで留めてスイッチを入れたら、ごく自然な音をたてて動き出した。
「あ、使える。ほんじゃ、このまま使っちゃえ!」
と、使い続けている。
ビーターを取り外す、Ejectボタンが壊れているようで、ワンタッチでははずれないが、それもキッチンばさみを使って簡単にはずせる。
たかが、ハンドミキサー。
母が買った40年近く前のころならいざ知らず、今なら千円台で売っている。
だが、まだ動く物を捨てるのはなんだか忍びないのと、私のお菓子作りの片腕として働き続けてくれているその頑張りを簡単に切り捨てることが私にはできないのだ。

二人とも、貧乏性だよね、と笑いながらお互いの貧乏性比べ。
街にはあらゆる形のヤカンがあふれているけれど、彼女の暮らしになじむヤカンはなかなかみつかりそうにない。


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