ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

生と死の狭間

2005-07-14 | 砂時計
今日は朝から終業まで、ずっと軽作業。
また、という言葉が適切かどうかはわからないが、業務委託で仕事をお願いしている方が急死した。
65歳、大動脈破裂である。
職場で同僚と歓談中、頭が痛いとしゃがみこむと同時に倒れて救急車で運ばれた。
病院へ運ばれた時点で、すでに脳死状態だったそうだ。

子どもさん達は、もう既に独立しており、ご夫婦の二人暮し。
我が社がお願いしている仕事もご夫婦でされていたようだった。
妻のあまりの突然の死に、さぞかし混乱されたのではないか、と思われたが、冷静に今週の仕事が出来なくなった旨をグループのリーダーに連絡し、うちの会社があたふたしないようにてきぱきとした指示をくださった。さすがに男の人だなぁ、と変なところに感心した。

さて、この方。我が社の仕事の他にも、いくつかガスの検針員や、スーパーの裏方の仕事などをかけ持ちされていたようで、その働きぶりにも感心する。
だが、会社で仕事をお願いしている方の殆どが、そんな方々ばかりで、いつの時代かに流行った「エコノミック・アニマル」という言葉が浮かぶ。
もちろん、生活の糧のために働いている人もいれば、十分な蓄えがあるにも関わらず働くことが好きで働いている人もいる。
私なんて、ちょっとでも時間があれば働くよりも、遊ぶことに頭が働いてしまう人間なので、こういった働き者の人の前に出ると恐縮してしまったりする。

事故や、テロ、そして病気などあっけない死の前であらためて思うのは、子どもの頃には考えもしなかった
「あたりまえ」の生きていること、というものがけっしてあたりまえのものではなく、稀有なものであるのかもしれない、ということだ。
自分の時計がいつ止まっても、悔いが残らないような時を刻んでゆけたなら、それは本当に幸せなことなのだと改めて感じた出来事であった。

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4 コメント

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生きてるだけで (UTTA)
2005-07-14 11:17:55
お久しぶりです~。

生きてるだけでまるもうけ、さんまさんの名言ですよね。



先日、私の母(60歳)が倒れたり吐いたりしたので、脳神経外科に検査してもらいに連れていきました。

幸い脳には異常はなくて、原因はほかのところ(三半規管とか)にあるのだろうという話でした。

母は検査が終わるまで、かなりのストレスと闘ったようですが、結果がわかったとたんにケロッと(笑)

でも、「だからって死ぬのは病気とは限らないよね」と話し合ったばかりでした。

そしてその母も、こまごまとした仕事をかけもちでやってます。

だんだん体に無理がきかない年齢になってきているのだなあ、と思う反面、まるごと受け入れられるような甲斐性がない自分のことも情けなく……。

CITROENさんの記事を読んでいて、「今、このとき」って本当に大切だと思いました。

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ああほんと (Roco)
2005-07-14 20:31:41
人ごとじゃないっすよねえ・・

しかも、突然、っていうのは家族はたまらないだろうなあ。



私、父は闘病8ヶ月あったから心の準備もできたけど、急死しちゃった叔父の方が今も

思い出すと胸が苦しいよ。



友人でもごく最近、お母さんが急死した人がいて、あまりの悲しみように、なんといってあげてよいか、ほんとにわかりません。



自分も、長患いは嫌だけど、急死もやだなあ。やっぱりなにか親しい人に言い残して死にたいなあ。選べないけどね・・・

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心配です (アプリコット)
2005-07-14 22:11:38
数年前急なめまいで倒れた時にもしや脳に・・・と思い恐怖を感じたことがあります。

会社の方のように本当にそのままこの世を去ってしまわなければならないというのは本人にも周囲の人にとっても、どんなにか心残りだろうかと思います。

もし自分に急に何かあったら・・・と想像するたびに「もう布を買うのは止めよう」と思ってしまいます。

誰に見られても恥ずかしくないようもう少し片付けておこう・・・
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選択の余地無し (CITROEN)
2005-07-14 23:35:33
ですよね、死、というのは。



UTTAさん、お久しぶりです。

その言葉、さんまさんの言葉だったのですか?

私は朝ドラの「わかば」のときに、南田洋子さんの言葉で知りました。

お母様、ご心配なことでしたね。三半規管の不調って、メニエールかなにかでしょうか?

強いストレスや、疲労でなることもあるって、聞いたことがあります。「病は気から」というのも本当だと思います。私も不調で病院にかかる時、結果を聞くまではずっと悪いことばかりを考えるのに、何でもないと聞いた途端にケロっとなおっちゃったりしますもん。

UTTAさんがまるごと受け入れてあげられなくても、そばにいてくれている、という心強さがお母様にとっては何よりもの支えとなっているのでは?



Rocoさん、お友だちにもそういう悲しみを経験された方がいるの?

生を受けるのが選択できないように、死ぬこともまた、自殺以外では選択できないよね。

選べるものなら、スケジュール表を作っていついつまでにこれとコレをしておかなくっちゃ。ってできるのだけどね。

急死というのは、まわりのダメージが大きいのかもしれないね。なんか、突然にぽっかりと大きな風穴ができたようで。



アプリコットさん、笑ってしまいました。

私も同じことを考えたから。。



前に、labさんが日記で

「入金が遅れているお客様に連絡をとると、事故にあって亡くなられていたことがわかった。

ご主人が、妻が大切にしていたものだから、と使われることのない布ではあったけれど、支払ってくださった。」というようなことを書かれていたことがあったように(若干違うかもしれませんが)記憶しています。

それを読んだ時に、「ああ、日常がいきなり断ち切られるというのはこういうことなんだなぁ。」と感じたように思います。

予約のページをみるたび、そのことが頭をよぎるのです。

それとは別に、押入れからあふれ出そうな布山も頭によぎるのですが、ついクリックしますねぇ・・・。
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