リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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障害者管理法?

2006年08月15日 | Weblog
 10月から本格施行される、障害者自立支援法は「障害者管理法」だという人がいます。とすると「介護保険法」は「高齢障害者管理法」でしょうか。

 なんというか、障害者をランクわけして、利用金額上限を決め、一律に決まったサービスメニューの中から(しかも過疎地にはそのサービス自体ないことも多い。)選べという介護保険や自立支援法はとてもケチで寒々しい制度に思えます。・・・。 共育や環境と同じ社会共通資本である医療や福祉をサービスととらえてしまったと ころがそもそもの誤りなのでしょうが・・。

 必要な人に必要なだけ、生きるための最低限のスタートラインにたてるよようにするため、言い換えれば生存権を保障するためなら無制限の現金給付でもいいはずですが、結局、国民を信用していないんですね。 障害を抱えて退院する方々、地域で暮らしていらっしゃる方々のお手伝いを微力ながらさせていただくなかで本当にそう思うようになりました。
 
 町内の人が同じ町にある病院に電動車いすで通えないほどまだ町はバリアだらけ。 それなのに、山奥の高速道路の建設がはじまっています。 山奥のリゾート開発(まだこんなことを!)や、道路の建設よりも重要なことがある のではないでしょうか。 (ピークオイルも過ぎ、石油が使えなくなる時代が確実に控えているのに!!)

 STS(Special Transportation Survice)や福祉移送サービス、デマンド交通などもでてきはしましたが、公共交通機関、地域の商店の衰退で車を運転できなくなった人には本当に不便な地域になってし まいました。 佐久~八千穂~長坂の山の中に新たに高速道路の建設が始まりまるようですが、そのお金の使い方は本当にみんなが納得しているのでしょうか?みんなが望んだお金の使い方なのでしょうか?

 公共交通は人権です。 A地点からB地点に1分1秒でも早く移動することが重要なことだとはとても思えません。もっと大事なことがあるのではないですか?

 障害者は家へ幽閉、あるいは施設へ軟禁されており、これは生存権を脅かさしているといわれてもしかたがないとおもいます。 明らかな憲法違反です。

 泰阜村で一部実現していましたが、必要な人に必要なだけ、困っているなら、みんなで負担して支えるでどうしていけないのでしょう。

  ただ、福祉のフリーライダー(それも含めて社会なのだとは思いますが)を排し、福祉を食い物にしようとする業者を排して行くためには、目の届くコミュニティごとの小さな単位で福祉を考えていくしかありません。

  昨年、リハビリのスタッフとともに気管切開で日常生活のすべてにわたって介助が必要な方と佐渡まで旅行にいきました。主として介護者である妻のQOLのためでしたが、「在宅生活の延長にこういう旅行があればいいねぇ」とみんな思いました。

 同行した仲間たちとは「ノウハウを蓄積すれば、そういった旅行会社もつくれるね。」 と冗談でいっていたのですが(結構本気です。)、それは、きっと介護保険サービスの適応にはならないんでしょうね。 ボランティアや家族の援助にたよらなくても、障がい者が地域で自分らしい生活をおくれるようになるにはまだまだ道遠しです。

 さて、リハの仲間たちは障害者とチームでスイスアルプスのブライトホルンに行きました。(登山隊のHP) 当事者たちの熱い思いで実現したことですが、「地域の人の協力で彼らがチャレンジすることができたことが重要」と同行したメンバーは語っておりました。 ささやかながら病院の職員とともに募金にも協力させていただきました。
 
 制度に関しては、厚生労働省や財務省が悪いというよりは、これが今の日本の国民のレベルなのでしょう。

 ただ、弱まったとはいえ、この国は選挙という民主主義のシステムは残されています。日常生活に密着した、身近な範囲で、ケアのシステムを組みなおしていけば、違う展開もえられるかなぁと思うのですが・・・・。それだと以前の措置制度と変わらないんでしょうか。

 障がいとともに生きるひとたちは、自分たちには持ち得ない視点をもっています。彼らと友人としてお付き合いさせていただくのは本当に勉強になります。 彼らがTV電話とかで議会(村議、県議、国会)に参加したりできないものかと思います。

澤村誠志先生のいう「Society for All」には、まだまだ道遠しです。
仕事は山積みなのですよ。

パニック野郎

2006年08月15日 | Weblog
かつて、尊敬する指導医の先生に「おまえの問題はパニクることだ。」と指摘されたことがある。

いまになってなるほどと思う。
パニックこそ自閉系の特徴なのだ。

いまでも、さまざまなことがこなしきれずに情報や仕事がオーバーフローするとしょっちゅうパニクっている。
特に構造化(わかりやすく、間違いにくい環境にすること。)が遅れている医療現場では間違えないように仕事を行うために注意力をもとめられるから辛い。

なにか判断をするには十分な情報に基づいてやらないと不安なたちなのだが、情報技術が活用されておらずカルテや資料がバラバラな病院では、情報はあちこちに四散しており集めるだけで一苦労。

そんな不十分な情報のまま瞬間的な判断を求められることも多い。

理不尽な要求も多い。
感情を揺さぶられるような出来事も多い。
患者さんや家族の心情にも配慮しなくてはならない。
アリバイ的な書類、保険の書類など書類も山のよう。
そんななかで優先度をつけて、一つ一つこなしていくのみなのだが、どうしてみんなそんなことができるの?と思ってしまう。


外来、病棟と数多くの患者さんを少ない人数でみて、不平や不満も言わず淡々と日常業務をこなす先輩たち。
すばや医学的にも最善の対応を、疲れを知らぬタフネスさで行い、キビキビ動き的確な指示をテキパキだすことのできる同僚。
さまざまな手技や知識を次々とものにし、患者さんのところにもこまめに足を運び、信頼を得ている後輩。

劣等感の嵐が吹き荒れる。

自分でも精一杯、理想と現実のギャップに悩みながらつねにベストエフォートで頑張るのみなのだが。

あるキャパ(限界)を超えると、オーバーフローし頭はフリーズして(凍りつき)パニックになる。
たとえば、さまざまなことに追い立てられながら患者さんと深刻な話をしているとき、緊急の対応をしているときなどに限って電話がかかってきて判断をもとめられる。
こういった状況では容易にパニックになる。

電話(PHS)はかけるのも受けるのも嫌いだ。
気を使うし、気を使わせる。
こっちの都合などお構いなしに飛び込んでくる。

秘書でもおいていったんバッファーとするか、緊急度別に判断できるような仕組みがあればいいのだが・・・。

電話が鳴り、電話を受けて、
「いま電話いいですか?」
といわれても、電話をうけた時点でやっていたことの流れが中断されてしまう。
(心の中で「イライライラ、もういいよ、で?」)
そして電話をきると、今までしていたことを忘れてしまう。
集中力がチャージされるまでしばらく時間がかかる。
能率はあがあずイライラは増幅される。

対応としては

朝、夕のミーティングで必ず顔をあわせるなど、コミュニケーションをよくする。
スタッフの緊急度判断の域値、対応能力を上げる。
あいまいな支持を出さない。
自分の予定を明示する。

これらのことで電話の使用を減らすことはできそうだ。

さて、パニックにとは「恐怖や混乱による一時的なコミュニケーションレベルの低下、さらにそれによる不適切な行動」と定義してみる。

だからパニックのときは人と話さずに、引きこもる。
うっかりそんなときに余計なことを言わないほうがいい。
怒ったり、泣いたり、周りの人からみると何をしているのかわからないだろう。
わけのわからないことを口走ってしまうかもしれないし
逆ギレして無用の怒りを買って傷口をひろげてしまうかもしれない。

じっと嵐が過ぎ去るのをまつ。

そんなとき泣きつらに蜂で、例のアレルギーバーストもおこりやすい。
すると目はかゆくて涙はでるは、胸とおなかはワサワサするわ、体は湿っぽくなって痒く、血が出るまでかきむしるわ、気分はわるくなっておきていられないわで大変である。(アナフィラキシー)
あわてて頓服の薬をのんでなだめる。
冷たい缶ジュースを買って、火照った体にあて冷やす。
落ち着くまで、しばらくはコミュニケーションも低下し、体の具合も悪く血だらけなので人のいないところに引きこもる。

しかしそうもいっていられないこともある。
そんなときは深呼吸する。
「スーハ、スーハー」

荒れ狂う自律神経をなだめ、こころを落ち着かせる。

つくづく自分をコントロールするのは難しい。
まわりをコントロールするのはもっと難しい。

自分を操縦法を身につけるとともに、環境の構造化をすすめていきたい。

当直の夢

2006年08月15日 | Weblog
当直でもないのに当直の夢をみるなんてもったいないことをしたもんだもんだ。
退院して地域で暮らす患者さんが、地域で幸せに暮らすためにはまだまだたりないものばかり。
自分のことだけで精一杯、今の自分にはどうすることもできないことも多いけど、なんとかやっていくしかない。