人はいろんなものを捨てながら成長し生きていく。
しかし得ることよりも捨てることのほうが難しい時代だ。
引越しは身軽になるチャンスであるので、不要になった捨てるべきものは捨てるということで大量のモノ、本や紙くず、不要なものを処分している。
しかし、処分に困るのはやはり本だ。
フローとして割り切れればよいのだろうが、ついストックしてしまうのだ。
ハイパーレクシア(読字過剰)という症状なのかもしれないが、小学の頃から図書館に通いつめ中学、高校、大学と、返却期限までに次の本を借りるという行為を繰り返してきて興味のままに2週間で平均5冊を意識に通過させてきた。
(ただし、借りて読まずに返却する場合も多かった。)
就職してからは図書館には行かなくなったが、新書店やBookoffなどでお金の心配なく買えるようになった。
お金は本くらいにしか使わないから本に関してはリミットをかけていない。
あまり大規模書店にいけなくなったのでアマゾンなどのネット書店も利用するようになり、気に入った著者の著書をまとめ買いするなど歯止めがかからなくなった。
書評でちょっと気になった本はすぐにアマゾンのカートに入れるし、たまに都会に行くと大量に買い込み、宅急便で発送というようになる。
軽躁状態のときなどは箱で本が何箱も届く。
そういったこともあって、ここ数年は1日1冊以上のペースで本が増え続けているため全く収集がつかない。
本を読んでいないと落ち着かない、ご飯のようなものである。
興味のある分野の軽い新書、マンガなどは寝る前の5分~30分で読む。
一方でエネルギーと時間不足、ブチブチと中断されるため古典や小説などにはなかなかじっくりあたれない。
これらは休日にたまに読むくらい。
自分の習性として買った本は折り曲げながら読む。線を引いたり突込みを書き込んだりしながら読む。
フロで読む。トイレで読む。食事をしながら読む、など汚すことをあまり気にしない。
むしろ折り曲げたり線を引いたりしないと読んだ気がしない。
野口悠紀夫氏がいうように他人のコメントや線が書き込まれた本など面白いと思うのだがBookOffなどの古書店では買取不可になってしまう。
もし自分が図書館や古書店をつくるなら、もとのテキストが見えなくならない範囲で書き込み自由に許可した図書館または古書店をつくるのだが・・・。
所蔵する本は数千冊あり、病院前の小さな書店よりはたくさん所蔵していると思う。
医学関係の一般向けの本、医者が書いた本、闘病記、地域づくり関係の本、地域医療関係の本、なども多い。
ただ処分するより役立てられるだろうと病院患者図書館の設置を提案し企画書まで出したが、計画はとまったままだ。
しかし将来的には、そういう野望もあるというのも本が捨てられない理由の一つである。
(次の病院で再チャレンジしよう。)
さて、知識人のあいだで本は処分しない派と処分する派に分かれるようだ。
★本は処分しない派・・・本というモノ自体に価値を置く。
・井上ひさし
生涯で16万冊の本を所蔵。それで図書館ができた。
『本の運命』など。
・立花隆
本だけは捨てられないと文芸春秋上で辰巳渚の『捨てる技術』に反論。
・林望
いったん手放すと再入手できる保障がないから基本的にはとっておく。
★本は処分する派・・・・フロー情報として割り切る。
・辰巳渚
『捨てる!技術』
・本田 直之
『レバレッジリーディング』
・勝間和代
『自分をGoogle化する方法』
・野口悠紀雄
『超整理法』
自分は基本的には自分の思考の足跡として本をため続け、将来的に図書館かブックカフェ、セレクトブックショップみたいなのをつくりたいという気持ちがあるから本は捨てない派である。
そういえば鳥取の野の花診療所にも図書室があった。
装丁や、本の雰囲気、配置なども含めて本の語りに耳を傾けるのが好きなのだ。
しかしいかんせん所蔵する場所がない。
死蔵していても仕方がないし・・・。
仕方ない、自分のテーマから外れてきたものは徐々に捨てるようにして、どんどん身軽になっていこう。
どうせ本も大量出版される本の中で後世にのこるものなどそのうち一部だろうし、実用書などでは雑誌のようにフロー情報として処分してもいいだろう。
今後は、たいていの本はアマゾンで手に入るだろうし、あらゆる本の内容はWEB上で検索可能な状態で公開されるようになりオンデマンドで手に入るような時代になるだろうから・・・。
(Googleがそういうことをやろうとしているようだ。)
しかし得ることよりも捨てることのほうが難しい時代だ。
引越しは身軽になるチャンスであるので、不要になった捨てるべきものは捨てるということで大量のモノ、本や紙くず、不要なものを処分している。
しかし、処分に困るのはやはり本だ。
フローとして割り切れればよいのだろうが、ついストックしてしまうのだ。
ハイパーレクシア(読字過剰)という症状なのかもしれないが、小学の頃から図書館に通いつめ中学、高校、大学と、返却期限までに次の本を借りるという行為を繰り返してきて興味のままに2週間で平均5冊を意識に通過させてきた。
(ただし、借りて読まずに返却する場合も多かった。)
就職してからは図書館には行かなくなったが、新書店やBookoffなどでお金の心配なく買えるようになった。
お金は本くらいにしか使わないから本に関してはリミットをかけていない。
あまり大規模書店にいけなくなったのでアマゾンなどのネット書店も利用するようになり、気に入った著者の著書をまとめ買いするなど歯止めがかからなくなった。
書評でちょっと気になった本はすぐにアマゾンのカートに入れるし、たまに都会に行くと大量に買い込み、宅急便で発送というようになる。
軽躁状態のときなどは箱で本が何箱も届く。
そういったこともあって、ここ数年は1日1冊以上のペースで本が増え続けているため全く収集がつかない。
本を読んでいないと落ち着かない、ご飯のようなものである。
興味のある分野の軽い新書、マンガなどは寝る前の5分~30分で読む。
一方でエネルギーと時間不足、ブチブチと中断されるため古典や小説などにはなかなかじっくりあたれない。
これらは休日にたまに読むくらい。
自分の習性として買った本は折り曲げながら読む。線を引いたり突込みを書き込んだりしながら読む。
フロで読む。トイレで読む。食事をしながら読む、など汚すことをあまり気にしない。
むしろ折り曲げたり線を引いたりしないと読んだ気がしない。
野口悠紀夫氏がいうように他人のコメントや線が書き込まれた本など面白いと思うのだがBookOffなどの古書店では買取不可になってしまう。
もし自分が図書館や古書店をつくるなら、もとのテキストが見えなくならない範囲で書き込み自由に許可した図書館または古書店をつくるのだが・・・。
所蔵する本は数千冊あり、病院前の小さな書店よりはたくさん所蔵していると思う。
医学関係の一般向けの本、医者が書いた本、闘病記、地域づくり関係の本、地域医療関係の本、なども多い。
ただ処分するより役立てられるだろうと病院患者図書館の設置を提案し企画書まで出したが、計画はとまったままだ。
しかし将来的には、そういう野望もあるというのも本が捨てられない理由の一つである。
(次の病院で再チャレンジしよう。)
さて、知識人のあいだで本は処分しない派と処分する派に分かれるようだ。
★本は処分しない派・・・本というモノ自体に価値を置く。
・井上ひさし
生涯で16万冊の本を所蔵。それで図書館ができた。
『本の運命』など。
・立花隆
本だけは捨てられないと文芸春秋上で辰巳渚の『捨てる技術』に反論。
・林望
いったん手放すと再入手できる保障がないから基本的にはとっておく。
★本は処分する派・・・・フロー情報として割り切る。
・辰巳渚
『捨てる!技術』
・本田 直之
『レバレッジリーディング』
・勝間和代
『自分をGoogle化する方法』
・野口悠紀雄
『超整理法』
自分は基本的には自分の思考の足跡として本をため続け、将来的に図書館かブックカフェ、セレクトブックショップみたいなのをつくりたいという気持ちがあるから本は捨てない派である。
そういえば鳥取の野の花診療所にも図書室があった。
装丁や、本の雰囲気、配置なども含めて本の語りに耳を傾けるのが好きなのだ。
しかしいかんせん所蔵する場所がない。
死蔵していても仕方がないし・・・。
仕方ない、自分のテーマから外れてきたものは徐々に捨てるようにして、どんどん身軽になっていこう。
どうせ本も大量出版される本の中で後世にのこるものなどそのうち一部だろうし、実用書などでは雑誌のようにフロー情報として処分してもいいだろう。
今後は、たいていの本はアマゾンで手に入るだろうし、あらゆる本の内容はWEB上で検索可能な状態で公開されるようになりオンデマンドで手に入るような時代になるだろうから・・・。
(Googleがそういうことをやろうとしているようだ。)