日本の戦後医療史を語る上でかかせない佐久総合病院についてまとめられた一般にも手に入りやすい本は何冊かある。
まず佐久病院を育てた外科医・若月俊一氏自らの著作である「村で病気とたたかう」(岩波新書)ははずせない。
この本、実は一度絶版になったため自分は大学時代に古本屋を何軒か回ってやっと手に入れたものだが最近復刊されて手に入りやすくなった。
さすがに迫力のある筆致で今読んでも古びておらず、中であげられるテーマはいまだに新しく何度でも読み返す価値のある本である。
そして若月俊一と佐久病院の実践の歴史について、佐久総合病院に勤務する内科医で芥川賞作家の南木佳士氏が書いた「信州に上医あり」(岩波新書)という本がある。
これも若月俊一という人物と佐久病院を内部にいながら、すこし離れた視点で追っているところに特徴がある。
村で病気とたたかうで語られて以後の佐久病院についても述べられており、「村で病気とたたかう」とあわせてよむと理解が深まると思う。
その後も佐久病院をについて触れられた本は何冊か出版されてはいるが近年の佐久総合病院についてまとめられたよい本がなかった。
そこに最近、「医療のこと、もっと知ってほしい」(岩波ジュニア新書、山岡淳一郎著)という本が上梓された。
この本は、社会派のノンフィクションライターである著者が医療に関心をもつ若い読者に「職業」を考える手がかりを手にしてほしいと願いながら書き下ろした本である。
もちろん若者に限らず誰が読んでも良いクオリティとボリュームがある。
最近の医療をめぐる問題についてコンパクトかつリアリティをもった筆致でドキュメントされており良質のドキュメンタリー番組を見たような気分になった。
その中で最近の佐久総合病院をめぐることが大きく取り上げられていた。
第1章は救急医療をめぐる状況についてのドキュメントである。
信州ドクターヘリについてフライトドクターとフライトナースを中心とした活動の模様のドキュメントとインタビューを中心にまとめられていた。
救命救急は一にサーポート、二にサポート、分厚いサポート体制が「主」でドクターヘリであり、患者優先の医療文化が根付いている佐久病院では救急医療にかかる重圧を大勢の医師やスタッフが「お互いさま」と受け止め和らげていることで救急医療が成り立っているという。
フライトナースのリーダーがインタビューで「精神科病棟の勤務は貴重だった。」「物ごとの見方が広がった」「人と人とのコミュニケーションの根本を考えるいい機会になった。」と述べているがこれにはうなずけるものがある。また燃え尽きることなく仕事を続けていくために「適当」と「分担」を心がけていると言っているの共感できた。
また救急救命士のモチベーションの高さに触れ、救命士の点滴や薬剤投与、AEDによる除細動などのいわゆる特定医療行為についてその使用が「心肺停止状態の傷病者」に対してのみであると法律で定められている悲しい現状について指摘。救急救命士が医師と連携しながらもっと医療行為をしても良いのではないかと言う議論について述べている。
「医療は誰のため、何のため。」と考えたときに、この辺りは本当に早く解決しなくてはならない問題であろう。
第2章はさまざまな職種が連携し暮らしを支える医療である地域密着医療の地域ケアについてのレポート。
地域で一次医療から三次医療まで一手に引き受ける佐久病院ならではの地域ケア(在宅医療・福祉)の今を描くドキュメントだ。
老化や癌、認知症、脳卒中の後遺症など治る見込みのない病気であっても医療への切実なニーズはある。そこでは「患者に寄り添って支える医療」が求められる。
また在宅ケアの現場では「時間」はとても貴重で余命を宣告された患者と患者の家族にとって、一分一秒がかけがえのない価値を持っている。
日野原重明先生の言葉を借りると「時間=いのち」である。このことはキュアを目指す病院医療では忘れさられがちになるのだが・・・。
医療、介護の職種だけではなく、チームの一員としての介護機材や酸素を供給する機械の業者の役割についても言及されていたのはさすがだと思った。
自分も何例か経験したが、佐久総合病院で終末期の患者で在宅医療への移行が決まってからの動きは本当に素早い。
帰って最短3時間で亡くなった例もあったが、そのときは家族、訪問看護師さんとともに一生懸命動いてくれたケースワーカーさんも一緒にご遺体の処置をさせていただいた。
そして、最期に医療制度に翻弄されてきた佐久総合病院の再構築をめぐる問題について述べられている。
「地域全体の医療をどう継続していくか。」
仕組みだけではなく医療に関わる多くの人々の「志」が目に見えない礎なのであるとしめくくられていた。
第3章は佐久病院からは離れるが、医学生と研修医の生活をおったドキュメント。
そこで述べられているような経験は日本の医学生・医師にとってまぁ一般的なものだろう。
それからフィリピンの国立大学医学部レイテ分校(SHS)での医師養成について述べられている。
SHSの階段式・保健医学修学システムでは生まれ育った町や村の推薦を受けて、フィリピン全土から集まった学生たちは、コミュニティ・ヘルス・ワーカーから地域で活動をしながら住民との接点で学びを繰り返し、まずニーズのある助産師の資格をとる。
そして地域活動を経て推薦を受け評価されれば次のコースにすすみ段階的に看護師、医師を目指すという。
そして医師のほとんどが地域にのこって働く(ウータンナローブ(恩に報いる))そうだ。
職種ごとに養成されで、一般入試の受験で選別し、徹底的に医学知識を叩き込み、専門分化していく日本の医学教育とは対極のシステムが紹介されていた。
この発想を日本の医学教育にどう取り入れていくかが課題であろう。
第4章は、医療の土台である「国民皆保険」について。
明治期に疾病保険を立法化しようとした後藤新平の志と苦労をかなり詳しく記載されている。
そして今の健康保険制度のありがたさを、過去の「医者どろぼう」という言葉に込めた無保険者の悔しさとあきらめを紹介し、そしてアメリカの医療の現状と対比して説明。また注目されるているキューバの医療についても触れている。
さらに、つぎはぎだらけで破綻しつつある我が国の医療保険制度の現状について言及。
「地域」から「職場」へ重心を移して5000以上に増えた保険者を、今度は逆に都道府県を中心とした「地域」へ戻そうとしている動きについて述べ、これがうまくいくかどうかは私たちの国民皆保険を守ろうとする意志によって決まると述べている。
この本はコンパクトにまとまっているが取材も丁寧で内容は非常に濃く様々な問題提起がなされている。
キュアからケアのパラダイムチェンジが感じられ、医療をめぐる論点についての視点が得られる一冊であると思う。
是非、多くの人に読んでもらいたい本であると感じた。
(書評)
まず佐久病院を育てた外科医・若月俊一氏自らの著作である「村で病気とたたかう」(岩波新書)ははずせない。
この本、実は一度絶版になったため自分は大学時代に古本屋を何軒か回ってやっと手に入れたものだが最近復刊されて手に入りやすくなった。
さすがに迫力のある筆致で今読んでも古びておらず、中であげられるテーマはいまだに新しく何度でも読み返す価値のある本である。
村で病気とたたかう (岩波新書 青版) 若月 俊一 岩波書店 このアイテムの詳細を見る |
信州に上医あり―若月俊一と佐久病院 (岩波新書)南木 佳士岩波書店 このアイテムの詳細を見る |
そして若月俊一と佐久病院の実践の歴史について、佐久総合病院に勤務する内科医で芥川賞作家の南木佳士氏が書いた「信州に上医あり」(岩波新書)という本がある。
これも若月俊一という人物と佐久病院を内部にいながら、すこし離れた視点で追っているところに特徴がある。
村で病気とたたかうで語られて以後の佐久病院についても述べられており、「村で病気とたたかう」とあわせてよむと理解が深まると思う。
その後も佐久病院をについて触れられた本は何冊か出版されてはいるが近年の佐久総合病院についてまとめられたよい本がなかった。
そこに最近、「医療のこと、もっと知ってほしい」(岩波ジュニア新書、山岡淳一郎著)という本が上梓された。
この本は、社会派のノンフィクションライターである著者が医療に関心をもつ若い読者に「職業」を考える手がかりを手にしてほしいと願いながら書き下ろした本である。
もちろん若者に限らず誰が読んでも良いクオリティとボリュームがある。
最近の医療をめぐる問題についてコンパクトかつリアリティをもった筆致でドキュメントされており良質のドキュメンタリー番組を見たような気分になった。
その中で最近の佐久総合病院をめぐることが大きく取り上げられていた。
医療のこと、もっと知ってほしい (岩波ジュニア新書) 山岡 淳一郎 岩波書店 このアイテムの詳細を見る |
第1章は救急医療をめぐる状況についてのドキュメントである。
信州ドクターヘリについてフライトドクターとフライトナースを中心とした活動の模様のドキュメントとインタビューを中心にまとめられていた。
救命救急は一にサーポート、二にサポート、分厚いサポート体制が「主」でドクターヘリであり、患者優先の医療文化が根付いている佐久病院では救急医療にかかる重圧を大勢の医師やスタッフが「お互いさま」と受け止め和らげていることで救急医療が成り立っているという。
フライトナースのリーダーがインタビューで「精神科病棟の勤務は貴重だった。」「物ごとの見方が広がった」「人と人とのコミュニケーションの根本を考えるいい機会になった。」と述べているがこれにはうなずけるものがある。また燃え尽きることなく仕事を続けていくために「適当」と「分担」を心がけていると言っているの共感できた。
また救急救命士のモチベーションの高さに触れ、救命士の点滴や薬剤投与、AEDによる除細動などのいわゆる特定医療行為についてその使用が「心肺停止状態の傷病者」に対してのみであると法律で定められている悲しい現状について指摘。救急救命士が医師と連携しながらもっと医療行為をしても良いのではないかと言う議論について述べている。
「医療は誰のため、何のため。」と考えたときに、この辺りは本当に早く解決しなくてはならない問題であろう。
第2章はさまざまな職種が連携し暮らしを支える医療である地域密着医療の地域ケアについてのレポート。
地域で一次医療から三次医療まで一手に引き受ける佐久病院ならではの地域ケア(在宅医療・福祉)の今を描くドキュメントだ。
老化や癌、認知症、脳卒中の後遺症など治る見込みのない病気であっても医療への切実なニーズはある。そこでは「患者に寄り添って支える医療」が求められる。
また在宅ケアの現場では「時間」はとても貴重で余命を宣告された患者と患者の家族にとって、一分一秒がかけがえのない価値を持っている。
日野原重明先生の言葉を借りると「時間=いのち」である。このことはキュアを目指す病院医療では忘れさられがちになるのだが・・・。
医療、介護の職種だけではなく、チームの一員としての介護機材や酸素を供給する機械の業者の役割についても言及されていたのはさすがだと思った。
自分も何例か経験したが、佐久総合病院で終末期の患者で在宅医療への移行が決まってからの動きは本当に素早い。
帰って最短3時間で亡くなった例もあったが、そのときは家族、訪問看護師さんとともに一生懸命動いてくれたケースワーカーさんも一緒にご遺体の処置をさせていただいた。
そして、最期に医療制度に翻弄されてきた佐久総合病院の再構築をめぐる問題について述べられている。
「地域全体の医療をどう継続していくか。」
仕組みだけではなく医療に関わる多くの人々の「志」が目に見えない礎なのであるとしめくくられていた。
第3章は佐久病院からは離れるが、医学生と研修医の生活をおったドキュメント。
そこで述べられているような経験は日本の医学生・医師にとってまぁ一般的なものだろう。
それからフィリピンの国立大学医学部レイテ分校(SHS)での医師養成について述べられている。
SHSの階段式・保健医学修学システムでは生まれ育った町や村の推薦を受けて、フィリピン全土から集まった学生たちは、コミュニティ・ヘルス・ワーカーから地域で活動をしながら住民との接点で学びを繰り返し、まずニーズのある助産師の資格をとる。
そして地域活動を経て推薦を受け評価されれば次のコースにすすみ段階的に看護師、医師を目指すという。
そして医師のほとんどが地域にのこって働く(ウータンナローブ(恩に報いる))そうだ。
職種ごとに養成されで、一般入試の受験で選別し、徹底的に医学知識を叩き込み、専門分化していく日本の医学教育とは対極のシステムが紹介されていた。
この発想を日本の医学教育にどう取り入れていくかが課題であろう。
第4章は、医療の土台である「国民皆保険」について。
明治期に疾病保険を立法化しようとした後藤新平の志と苦労をかなり詳しく記載されている。
そして今の健康保険制度のありがたさを、過去の「医者どろぼう」という言葉に込めた無保険者の悔しさとあきらめを紹介し、そしてアメリカの医療の現状と対比して説明。また注目されるているキューバの医療についても触れている。
さらに、つぎはぎだらけで破綻しつつある我が国の医療保険制度の現状について言及。
「地域」から「職場」へ重心を移して5000以上に増えた保険者を、今度は逆に都道府県を中心とした「地域」へ戻そうとしている動きについて述べ、これがうまくいくかどうかは私たちの国民皆保険を守ろうとする意志によって決まると述べている。
この本はコンパクトにまとまっているが取材も丁寧で内容は非常に濃く様々な問題提起がなされている。
キュアからケアのパラダイムチェンジが感じられ、医療をめぐる論点についての視点が得られる一冊であると思う。
是非、多くの人に読んでもらいたい本であると感じた。
(書評)