リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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長野県知事選挙

2006年08月06日 | Weblog
長野県知事選の結果が出たようだ。

弱者を置き去りにて、将来の世代に借金を残しながら、田んぼをつぶし、山を削り、川をせきとめ・・・。といった高度経済成長よもう一度、一分、一秒でも速い移動をというような石油文明の前時代的な政策に舞い戻らぬことを祈ります。

未来は予測するものではない選び取るものである

2006年08月06日 | Weblog
「未来は予測するものではない、選び取るものである」
 ヨアン・ノルゴー

かつては先進的なことをやってきたはずの病院も巨大化し、動きは鈍くなり、進歩発展を止めた。
変化しつづける地域社会において病院が果たすべき役割を適切に自覚し、地域のニーズにも応えることが困難になってきている。

病院も医者も変わらなくてはいけない。

しかし、大きく打ち明けた移転再構築のプランは、ここ何年も中座したまま。
ハードはともかく、ソフトはどんどん変わっていいとよさそうなものだが、ますます忙しくなる日常の業務をこなすことで精一杯。

そんな地域の、病院の現状を敏感に感じ取ったある研修医から
「この病院は一体どうなっていくのでしょうか?」
と聞かれた。そういったとき
「どうしてそんな他人事みたいなことを言うの?
自分はどういう病院にしていきたいのかじゃないの?」
と聞き返す。


「自分はどうなるのでしょうか?これからどうしていけばいいのでしょう?」
と患者さんから聞かれる。
(死戦をさまよったり、意識が無い状態がつづいている患者さんからも、そう問いかけられているような気がする。)

医療の現場では、時間や技術が勝負の、救急での対応や手術室、治療薬の選択などパターナリスティック(※1)な対応が求められていることもあるだろう。
自分がそう感じたときはモードを切り替え全力を尽くすだけだなのだが・・。

それ以外の場面ではできるだけ、患者さんや家族、地域社会etc.に愛情をもって納得をつくりながら一緒にできることを探し、コンコルジュ、サポーター、コーディネーターとしての役割を自覚し、医療に出来ることを専門家(※2)として探し、紹介し、つなげていく。そんな自律(※3)を支援し、看護る母のような対応をしていきたいと思っている。

地域の未来にしても、地球の未来にしても同じことだろう・・・。

ただ、医療や健康、生や死は遠くて身近な、だれもが避けて通ることの出来ない問題であるから、自分と周りの人たち、暮らし、街づくり、環境、人間と他の生き物・・・つながりを考え、気づきを得る最初のきっかけとしてはいいテーマだと思う。

創っていかなくてはいけないのは、地域の触媒のような病院(あるいは診療所)。
そして地域や患者の人生において触媒のような働きを果たさなくてはならない。

病院とは、診療所とは、医者とは、社会においてそういう役割をもった装置だと思う。

ただ、化学における触媒は変わらないが、この触媒は、地域から、患者から(そして他の地域や、他の地域の患者、歴史、科学技術の発展の成果から)学び続け、相手に応じて、時代や地域のニーズに応じて変わっていくことができなくてはならない。

これが自分なりの医療の定義。
そして、やっていきたいのはそういうこと。

※1 パターリズム:父権的、親が子を愛し慈しむように相手の面倒を見るということ。医療の現場では医療者がイニシアチブを取って良いと思った技術を利用すること。
※2 専門家:技術の利用に対して社会に対して責任をおう覚悟のある人のこと。

※3 自律:自立と自律との違いは難しい概念。どうがんばっても自立できない人もいる。しかし自立できないひとも適切な支援があれば自律することはできるだろう。

真夏の地域ケア

2006年08月05日 | Weblog
 これも人類の活動のともなう気候変動の影響かと思われるが、各地で熱波が猛威をふるっているようだ。米国では高齢者や家畜の死亡等、被害は甚大でカルフォルニアのシュワルツネッガー知事からは住民用の冷房センターの設置等も指示され、非常事態宣言をだすといううわさもある。
 ここ長野でもここ数日、真夏日(日中最高気温30℃以上、夜間、朝夕は涼しいのだが・・。)が続いている。高原地帯でありクーラーはない家が多い。病院でも3年前にやっと全館にクーラーが設置されたところで、それまでは夏季の日中の体温37度台は誤差の範囲であった。
 本日は、在宅当番である。この熱さで在宅の高齢者はみなぐったりしている。食欲が落ち脱水になると、尿量が減り、尿路に感染を起こしやすくなる。皮膚は汗で清潔が保てなくなる・・などなど悪循環のサイクルが回り始める。虚弱な在宅の高齢者にはつらい。悪循環を断ち切るために点滴などを試みるが、入院も致し方ない場合もある。命を持っていかれることもある。訪問看護ステーションの看護師は呼ばれて走り回っている。
 この週末、在宅の当番で何度も患者宅に行き、入院が必要か、点滴で様子をみられるのか看取りの選択肢もあるのか、判断に迫られる。自分も熱さでバテ気味なのでつらい。(エアコンの効いた病院図書室に避難している。)老人保健施設などへの越冬入所というのはこの地域では一般的だが、今後は避暑入所というのも出てくるかもしれない。またかつての一部屋暖房運動のように一部屋冷房運動などというのも必要になるのかもしれない。
 行き過ぎた人類活動のゆり戻しであろう、人口増大、自然災害の頻発、凶悪化、気候変化に伴う疫病の流行(HIVなどその序曲にしか過ぎないのだろう。)、環境悪化に伴う食料不足等が日常的に問題となる時代は確実に迫ってきている予感がする。そのときに日本は、人類は冷静に振舞えるだろうか?どのようにカタストロフィを回避しながら人類活動を縮小していけるのだろうか?その際にわれわれ医療者はどのようなことに役に立てるのだろうか?そのような時代に高度医療はどこまで出来るのか?悲惨な時代に備え、Food、Energy、Careの地域圏内自給を目指さなくてはならないし、社会関係資本の蓄積も必要だ。さらには死への免疫をつけておく必要がありそうだ。

成人のADHD

2006年08月04日 | Weblog
成人のADHD人口の2-10%いるとされる。
(Hallowell&Ratey's Diagonostic Criteria 15項目以上でADHDの可能性大 )

○1)実力を発揮できていない感覚
○2)秩序だった行動が取れない
○3)物事を先延ばしにする。取っ掛かりが遅れる
○4)多くの計画を同時にすすめ最期までやり遂げられない
○5)タイミングや状況を考えずに思ったことを口にする
○6)頻繁に強い刺激を求める
△7)退屈さに耐えられない
○8)すぐに気が散る。集中できない
○9)しばしば想像力や、直感、高い知性を示す
○10)決められたやり方、適切な手順を守るのが困難
○11)気が短い、ストレスや欲求不満に耐えられない
○12)言葉と行動の両面での衝動性
○13)不必要な心配をあれこれする。心配の種を自分からあれこれ探す傾向
○14)心許ない不安感
○15)気分が揺れやすい、変わりやすい
○16)心が落ち着かない感じ
△17)嗜好の傾向(アルコール、薬物などの物質、ギャンブル、ショッピング、食事、仕事等の活動の場合)
○18)慢性的な自尊心の低さ
○19)不適切な自己認識
○20)ADD、躁うつ病、物質乱用、その他の衝動抑制の障害、または気分障害の家族歴。

⇒完璧です。

医局に代わるもの

2006年08月03日 | Weblog
 かつて勤務医の多くは大学医局というところに所属し、自分の身柄を預ける代わりに、教育システムを利用させてもらったり、能力に応じた人材派遣をうけていた。またヘッドクォーターとしての医局を自分の後ろ盾として利用して、病院に対抗するためのよりどころとしていた。しかし新臨床制度以降、医師、病院の医局離れが加速し、医師の派遣や養成は医局に頼らないシステムへと変化しつつあり医局にもかつてのような力をうしないつつある。しかし研修指定病院や、厚生連や日赤といった組織が、医局のように医師を守り育てる役割を果たせせるかというと非常に心もとない。(ただ民医連はその歴史と母体の特殊性からそれなりに成功しているようだ。)
 これらには医師を教育しマネジメントする力量やノウハウに欠けるし、これらからは最期まで守ってくれるという基本的な信頼感が得られないためだ。医師に能力がなければただ切り捨てられ、中途半端に能力があればただ使い捨てられてしまう危険性がある。
 医師それぞれが自ら立ち、能力や適正に応じて、道をみつけていかなくてはいけない厳しいが面白い時代となった。厳しい旅をサポートしナビゲートする、医局、病院を統合した形での、医師を組織化し、養成する、あたたかく大きなシステムが切に求められているといえよう。

医療現場のカナリア

2006年08月03日 | Weblog
 社会の矛盾や混乱は弱者にまず影響し、弱者は駆け込み寺である医療に集まる。そういった意味で病院はあらゆる社会矛盾ののバッファー、安全装置といえる。 医療は教育や環境と同じく社会共通資本なのである。みんなで大切にまもり育てなくてはいけない。  しかし、その医療を資本主義経済におけるサービス業の一つであるという認識でとらえる人が増えてきたことにより危機に瀕している。

 現在、日本の医療機関は二つの強い圧力にさらされている。医療費抑制と安全要求である。この二つは相矛盾する。相矛盾する圧力のために、労働環境が悪化し医師が病院から離れ始めた。現状はきわめて深刻である。医療機関の外から思われているよりはるかに危機的である。(「医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か?」小松 秀樹 より)  

 医療システムや制度の不備は、病院内のささいなルールや手続き(煩雑化したアリバイ的な書類等)などミクロのことであれ、医療行政や社会制度などのマクロのことであれ、いったんは医師に降りかかる。悪い結果となればたとえ不可避のことであっても訴訟の被告や犯罪者にされる危険性すらある。  医師自ら状況を変化させるような手立てとれるのならよいのだが、状況を変化させることが出来ず、ひずみの状態が続くと医師たちの疲弊を引き起こし、医療ミスを誘発したり、医師の離職(立ち去り型サボタージュ)、転職につながり医療崩壊を引き起こす。そして最終的には患者や地域住民の不利益となるのだが、その構造はなかなか気づかれないようだ。  

 炭鉱で有毒ガスがでていると、カゴのカナリアがさえずるのをやめて死んでいき、鉱夫に危険を知らせる。医師はさしずめ医療現場におけるカナリアだ。医師は患者の命や生活に責任をおうという役割を負っており、それはつまり患者や住民の生活を人質にとられていることに他ならず、どんなに自分がつらくても体調が悪くても逃げることは許されず良心的な医師であればあるほどまず自らを疲弊させ燃え尽きていくからだ。   

 周りを見ると医師たちには余裕がなく、みな疲れた顔をしているのが気にかかる。しかしカナリアたちが弱っていることを、鉱夫は気づいていないか無視しているようだ。悲しいかなカナリアたちは団結することも、戦略的にシステムに対するアプローチすることも知らず、またその余裕もなく、状況の悪化に打つ手を見出せずただただ疲弊しているように思われる。  

 カナリアよ!逃げ出す前に、あるいは倒れて死ぬ前に最期の力を振り絞って鳴き、鉱夫たちに危機を伝えよう。鉱夫たちの団結を引き起こし、炭鉱(やま)の外にも危機をつたえ、状況を改善させる以外にカナリアたち(そして鉱夫たち)の生き残る道は無いのだから。

スタートです。

2006年08月02日 | Weblog
いよいよ変化に対応するための病棟の再構築がはじまった。ちょっと無理やりなところもあるが、はじまりははじまり。10月の回復期リハスタートに向け回復期を名乗るのにふさわしい内容に少しずつ変えていかなくては。そして回復期リハに来る前の、急性期からのリハ(ADLという視点)、退院してからの維持期(~終末期)のリハ(QOLという視点)へも目をむけ、地域を変える、病院を変える拠点となれればと思う。仕事は3P(Passion,Philosophy,Practice)、S(Standard,Simple,Special),3V(Vivid、Venture、Victory)で。