はじめに、これは私の父井手次郎が太平洋戦争でサイパンに於ける壮絶な体験と数多くの戦友の御霊に捧げる手記である。
終戦後、何とかして書き残したいと思っていた矢先、戦記物を扱っていた ”丸”(潮書房)より依頼があった。
1982年(昭和57年)3月頃に書き上げた物を改めて私のブログで書きとどめたいと思い父の原稿を元に記していく。
執筆に当たっては母も父の語りを書き留めたりしては、二人で深夜まで作成していた。
母としては、前夫のフィリピン沖での戦死のこともあり、少しでも現地の事を知りたかったのではないかと思う。
二人共、お互いに辛い思いで作成していたと思う。
しかし父は上官、戦友の死を執念にも似た思いで書き上げた。
私もこのブログで書いているうちに、何か戦地にいるような感覚に陥っていた。
書けば書くほど、二度と二度と戦争は繰り返してはいけないと思う気持ちが募った。
この時期に戦争の悲劇も知らない若手国会議員の、(勿論私も戦後生まれではあるのだが)安易に戦争を煽るような発言には、抑えても抑えきれない怒りを覚えた。
そんな事は早く忘れて、父の遺作ともいえるこの戦記を残したい。
世界大戦のごくごく一部ではあるが、是非とも一読頂ければ幸いである。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
終戦後、何とかして書き残したいと思っていた矢先、戦記物を扱っていた ”丸”(潮書房)より依頼があった。
1982年(昭和57年)3月頃に書き上げた物を改めて私のブログで書きとどめたいと思い父の原稿を元に記していく。
執筆に当たっては母も父の語りを書き留めたりしては、二人で深夜まで作成していた。
母としては、前夫のフィリピン沖での戦死のこともあり、少しでも現地の事を知りたかったのではないかと思う。
二人共、お互いに辛い思いで作成していたと思う。
しかし父は上官、戦友の死を執念にも似た思いで書き上げた。
私もこのブログで書いているうちに、何か戦地にいるような感覚に陥っていた。
書けば書くほど、二度と二度と戦争は繰り返してはいけないと思う気持ちが募った。
この時期に戦争の悲劇も知らない若手国会議員の、(勿論私も戦後生まれではあるのだが)安易に戦争を煽るような発言には、抑えても抑えきれない怒りを覚えた。
そんな事は早く忘れて、父の遺作ともいえるこの戦記を残したい。
世界大戦のごくごく一部ではあるが、是非とも一読頂ければ幸いである。
徳川おてんば姫(東京キララ社)