私(父井手次郎の手記を基にしているので、以下私の記載は父井手次郎を指す。)が築地(東京)の海軍軍医学校の二か月余りにわたる教育を終了し、実施部隊に配属されることになったのは、昭和19年4月中旬の事である。
私自身は昭和17年9月に名古屋大学医学部を卒業し、丸一年間、母校の桐原外科教室で、教授はじめ諸先輩より応急処置、臨床、手術などをみっちり教え込まれる機会をえられたので第一線部隊に出ても外科的治療には、それほど当惑することはないだろうと自負していた。
その日、私は第八分隊監事、和田武雄軍医大尉の室に呼ばれた。
そして「貴様のこれから赴任する実施部隊は、第261航空隊(以下261空と略す)である。4月20日横須賀軍港に停泊中の病院船氷川丸に乗船すべし。なお航空隊所在地については、出港後に指示されるからそのつもりでいるように・・・・」と伝えられた。
ちょうど二週間前に、希望任地については≪南方第一線航空基地勤務≫として、書類を提出していたので私は大いに満足をおぼえた。
だが、当時すでに米海兵隊の上陸進攻により、ギルバート諸島のマキン、タワラ両島は玉砕し、勢いに乗る米機動隊、海兵隊は、ついでマーシャル群島のクェゼリン、ルオット島を攻略しさらに昭和19年2月中旬、カロリン群島内のトラック環礁は米機動隊による強烈な空襲をあび、大打撃を受けたことを分隊監事より知らされていたので、これから赴任する261空はどこにあるのか・・・ひょっとしたらトラックか、パラオ、またはマリアナ諸島ではないか、と一抹の不安がないでもなかった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
私自身は昭和17年9月に名古屋大学医学部を卒業し、丸一年間、母校の桐原外科教室で、教授はじめ諸先輩より応急処置、臨床、手術などをみっちり教え込まれる機会をえられたので第一線部隊に出ても外科的治療には、それほど当惑することはないだろうと自負していた。
その日、私は第八分隊監事、和田武雄軍医大尉の室に呼ばれた。
そして「貴様のこれから赴任する実施部隊は、第261航空隊(以下261空と略す)である。4月20日横須賀軍港に停泊中の病院船氷川丸に乗船すべし。なお航空隊所在地については、出港後に指示されるからそのつもりでいるように・・・・」と伝えられた。
ちょうど二週間前に、希望任地については≪南方第一線航空基地勤務≫として、書類を提出していたので私は大いに満足をおぼえた。
だが、当時すでに米海兵隊の上陸進攻により、ギルバート諸島のマキン、タワラ両島は玉砕し、勢いに乗る米機動隊、海兵隊は、ついでマーシャル群島のクェゼリン、ルオット島を攻略しさらに昭和19年2月中旬、カロリン群島内のトラック環礁は米機動隊による強烈な空襲をあび、大打撃を受けたことを分隊監事より知らされていたので、これから赴任する261空はどこにあるのか・・・ひょっとしたらトラックか、パラオ、またはマリアナ諸島ではないか、と一抹の不安がないでもなかった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)