徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑥・決戦の前夜3~

2019-07-30 05:00:00 | 日記
その日の夕刻、さらに彗星偵察機によりサイパン島東南、約300海里付近に北西に進路をとった敵機動部隊と多数の艦艇を発見せり、との報告に接した。
ここに至って、敵のマリアナ諸島への来襲は決定的となったのである。

わがアスリート飛行場周辺でも、目前に迫った空襲に備え、修理中の航空機および燃料などを迷彩網によって隠蔽し、対空砲、機銃の整備、爆弾、爆薬の分散をはかるなど、昼夜をわかたぬ対戦準備に忙殺された。

あけて10日、わが医務隊では空襲、および艦砲射撃を受けた際の負傷者の処置、戦死者が出た場合はいかに処理するかなどについて、岡本軍医長を中心として私(父井手次郎の手記を基にしているので、以下「私」の記載は父井手次郎を指す。)、北川歯科中尉、川添衛生少尉らが協議し、その分担任務についても具体的な割り当てがとりきめられた。

戦死、重傷、軽傷者にたいする処置としては、まず戦死者が出たときは、ただちに氏名、階級、場所を庶務主任の浜野主計中尉に報告すること、重傷者は応急処置後速やかに、ガラパンの第五海軍病院に転送する。
軽傷者は戦時治療所において応急治療をおこなうこと、などがとりきめられたのである。

徳川おてんば姫(東京キララ社)