徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも②・猛虎の俊翼1~

2019-07-12 05:00:00 | 日記
4月24日の朝、船はようやくサイパン島ガラパンに入港した。私(父井手次郎の手記を基にしているので、以下「私」の記載は父井手次郎を指す。)は同期生10名とともに内火艇に乗り移り、港の岸壁に接岸し島に上陸した。

亜熱帯ではあるが、空は一点の雲もなくすみわたり、海底の珊瑚礁は緑翠色の透明な水をとうしてきらめいている。
半袖、半ズボンの防暑服を着用している私に、微風が実に心地よかった。
島の上空では、零戦、彗星、銀河、月光などの最新鋭機がさかんに訓練飛行を行っている。

私は港の岸壁で、261空の軍医長である岡本新一軍医大尉に迎えられ、乗用車で島の南端にあるアスリート飛行場近くの宿舎に入った。
岡本新一軍医長は、身長170センチ、体重70キロ位の恰幅のいい人で、濃いモダンなサングラスをかけ、鼻下にコールマン髭をたくわえられ、戦闘帽はうしろに布をたらし、一見したところフランス映画で見た外人部隊の指揮官のような感じを受けた。

ただちに三種軍装に着替えた私は、その日の午前中に着任していた北川歯科医中尉とともに、アスリート飛行場の戦闘指揮所に261空司令、上田猛虎中佐を尋ね、着任の挨拶と報告をすませると、ついで生まれて初めて壇上にのぼり、集合した261空隊員約150名に着任の挨拶をした。
さすがに私も興奮を覚え、カチカチに硬くなっていたようだ。

徳川おてんば姫(東京キララ社)