徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも②・猛虎の俊翼2~

2019-07-16 05:00:00 | 日記
私(父井手次郎の手記を基にしているので、以下「私」の記載は父井手次郎を指す。)と同じ日の午前に着任した北川歯科中尉は、私より一期前の昭和17年卒の元山組で現役の海軍士官であった。
やや小柄ながら、言動がはっきりした活発な人だった。
歯科医といえども、応急の場合の負傷者にたいする救急医療は心得ておくべきであるとの信念で、彼は応急処置の本をよく読んでいた。

当日飛行場には、機種様々の最新鋭機数十機が翼をつらね、激しい訓練を重ねていた。
次から次へと発進離陸する機体と、遠くの空から編隊をといて一機また一機と着陸するものとが相重なり、目まぐるしいまでであった。

以前からサイパン島には、海軍航空隊の基地があり、また陸軍も、堅固なる要塞、陣地をきずき、関東軍より選抜された強力なる守備隊が、配属されていることはしっていた。
また、それ故こそ、近い将来に、内南洋群島付近が一大決戦海域となり、それは同時に米陸海軍上陸部隊と、機動部隊の補給線ののびきった所で、日本軍が大反撃する絶好の機会になるであろうと、自分なりに希望的戦略を描いていたものだが、現実にこの力強い航空隊を目の当たりにして見ると、誠に心はずむ思いであった。

徳川おてんば姫(東京キララ社)