徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑤・米機現る1~

2019-07-23 05:00:00 | 日記
5月29日の午前10時頃、私(父井手次郎の手記を基にしているので、以下「私」の記載は父井手次郎を指す。)はいつものように医務室で診療中であった。
と、突然、ズシンズシンと腹にこたえるような地響きがすると同時に、十数発の落雷のような連続爆発音を聞いた。
実戦の経験のある軍医長は、とっさに、「空襲だ、患者全員をつれて防空壕に入れ!」と矢継ぎ早に命令する。

患者と医務隊員は大慌てで鉄カブトをかぶり、近くの防空壕へとむかう。
上空を見ると、高高度に十数機からなる4発の米軍の重爆撃機B24の編隊が銀翼をつらね、南より北に向かっていた。

飛行場ではすでに、戦闘機十数機が迎撃のために空中に舞い上がっていた。
あとで司令より聞いたこの時の戦果は、2機撃墜、2機撃破とのこと。
撃破された2機は海上に不時着したらしい。

その日の夕刻、ゴムボートで漂う米軍機搭乗員6名が捕虜として収容された。
彼らは第5根拠地隊での取り調べののち、ただちに2式大艇により内地に送られて行った。
この頃グアム、テニアン両島も同時に空襲されたというが、いずれも損害は軽微であったとの事である。
とにかく、私としてはこれが、最初の”実戦”となったのである。

徳川おてんば姫(東京キララ社)