徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑥・決戦の前夜5~

2019-08-01 05:00:00 | 日記
夕刻ごろ、彗星偵察機が敵機動部隊がグアム島東南200海里に接近し、攻撃陣型で北上しつつあり、と報告してくる。
そこで明朝は空襲必至と判断した医務隊は、岡本軍医総指揮のもとに、さきに決定した戦時治療所の設営に汗みどろで取り組んだのである。

はたせるかな翌6月11日午前3時、アスリート飛行場付近に数発の白色信号弾が打ち上げられた。
これは以前より打ち合わせてあった信号で、白色信号弾は警戒警報、赤色信号弾は空襲警報であった。
警戒警報発令と同時に、ただちに医務隊全員は戦時治療所に移動し、待機する。
アスリート飛行場では、可動の戦闘機、偵察機、爆撃機その他が次々に発進、離陸してゆく。

徳川おてんば姫(東京キララ社)