明けて6月18日、この日も相変わらず敵機が飛来するが、きのうより機数がかなり減少している。
ガラパン、チャランカノア、タポーチョ山麓の日本陸軍部隊の陣地方面には、おそらく米陸軍の重砲の爆撃音であろうか、いんいんと砲声が聞こえてくる。
午後をまわったころ、私は外に出て、飛行場付近の戦況を見てまわった。
なぜか、このころになると、急に空襲もなくなり、激しい艦砲砲撃もなくなってきた。
あと一日頑張れば、6月19日になれば、わが連合艦隊がやってきて、米陸海軍に壊滅的打撃を与えてくれるものと、部隊の者は全員そう信じていた。
ふと気ずくと、いつの間にか上空には一機の敵機も見えなくなっていた。
それは全く一週間ぶりの6月11日の空襲以来はじめての平静な午後であった。
そして夕刻になると、今まで島の周辺をうずめていた数百隻の米艦船がいずこかに姿を消し、数隻の駆逐艦と、小艦艇が遊よくしているにすぎなかった。
その夜、アスリート飛行場近くに迫っている敵の地上部隊、とくに戦車隊に夜襲を試みることとなった。
それには飛行場東側地区を守備していた陸軍部隊が主力となり、わが航空隊員は陸戦隊を編成してこれに協力することに決し、ただちに攻撃区域、時間などの打ち合わせが行われた。
そして、次のような攻撃要領がたてられた。
夜8時を期して、陸戦の山砲、野砲隊が飛行場西側の米軍部隊にたいして砲撃を開始する。
その間、陸軍部隊を中央にして、両翼に海軍部隊である陸戦隊が位置して待機する。
わが砲兵隊が射撃を開始した15分のちに、射程を敵の後方に延長する。
その間に、まず陸軍の中央部隊が突入、左右から海軍部隊が続いて突入する、という作戦であった。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)
ガラパン、チャランカノア、タポーチョ山麓の日本陸軍部隊の陣地方面には、おそらく米陸軍の重砲の爆撃音であろうか、いんいんと砲声が聞こえてくる。
午後をまわったころ、私は外に出て、飛行場付近の戦況を見てまわった。
なぜか、このころになると、急に空襲もなくなり、激しい艦砲砲撃もなくなってきた。
あと一日頑張れば、6月19日になれば、わが連合艦隊がやってきて、米陸海軍に壊滅的打撃を与えてくれるものと、部隊の者は全員そう信じていた。
ふと気ずくと、いつの間にか上空には一機の敵機も見えなくなっていた。
それは全く一週間ぶりの6月11日の空襲以来はじめての平静な午後であった。
そして夕刻になると、今まで島の周辺をうずめていた数百隻の米艦船がいずこかに姿を消し、数隻の駆逐艦と、小艦艇が遊よくしているにすぎなかった。
その夜、アスリート飛行場近くに迫っている敵の地上部隊、とくに戦車隊に夜襲を試みることとなった。
それには飛行場東側地区を守備していた陸軍部隊が主力となり、わが航空隊員は陸戦隊を編成してこれに協力することに決し、ただちに攻撃区域、時間などの打ち合わせが行われた。
そして、次のような攻撃要領がたてられた。
夜8時を期して、陸戦の山砲、野砲隊が飛行場西側の米軍部隊にたいして砲撃を開始する。
その間、陸軍部隊を中央にして、両翼に海軍部隊である陸戦隊が位置して待機する。
わが砲兵隊が射撃を開始した15分のちに、射程を敵の後方に延長する。
その間に、まず陸軍の中央部隊が突入、左右から海軍部隊が続いて突入する、という作戦であった。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)