6月14日の朝は、サイパン島南東沖に接近した数十隻の敵艦隊による、前日にもましての激しい艦砲射撃で始まった。
ガラパン市街、チャランカノアのわが陸軍の守備隊陣地に対し、空襲を加えると同時に、敵観測機が上空を旋回し始め、そのためか艦砲の着弾はますます正確になってきた。
その様な艦砲の狙い撃ちにあって私たちは、午前中はほとんど防空壕から一歩も出ることが出来なかった。
この時まで私たちは主計隊より、砲爆撃の間隙をぬって握り飯が配られ、副食は予め用意していた大和煮、サケ、福神漬けなどの缶詰で腹ごしらえをしていたのだが、ここにいたっては、握り飯のかわりに乾パンと缶詰と、水だけで空腹を凌ぐほかはなくなった。
壕のある丘の上に登って東南の海上を見渡すと、テニアン島も艦砲射撃をうけているのか、数か所より中天高く黒煙を噴き上げているのが見られた。
午後2時頃になって、全島に鉄量を撃ち込んだ凄まじい艦砲射撃は終わった。
このころ、西海岸のチャランカノアの沖合数百メートルまで接近した米駆逐艦や掃海艇など二十数隻による、機雷除去の掃海作業が始まったことが報告された。
軍医長をはじめ私たちは、何やら不吉な予感がして再び丘の上に登っていった。
チャランカノアの沖合に目を走らせると、まさしく掃海作業のための小艦艇が、忙しく往復しているのが望見できた。
これで、いよいよ米軍のサイパン島上陸は決定的になってきた。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)
ガラパン市街、チャランカノアのわが陸軍の守備隊陣地に対し、空襲を加えると同時に、敵観測機が上空を旋回し始め、そのためか艦砲の着弾はますます正確になってきた。
その様な艦砲の狙い撃ちにあって私たちは、午前中はほとんど防空壕から一歩も出ることが出来なかった。
この時まで私たちは主計隊より、砲爆撃の間隙をぬって握り飯が配られ、副食は予め用意していた大和煮、サケ、福神漬けなどの缶詰で腹ごしらえをしていたのだが、ここにいたっては、握り飯のかわりに乾パンと缶詰と、水だけで空腹を凌ぐほかはなくなった。
壕のある丘の上に登って東南の海上を見渡すと、テニアン島も艦砲射撃をうけているのか、数か所より中天高く黒煙を噴き上げているのが見られた。
午後2時頃になって、全島に鉄量を撃ち込んだ凄まじい艦砲射撃は終わった。
このころ、西海岸のチャランカノアの沖合数百メートルまで接近した米駆逐艦や掃海艇など二十数隻による、機雷除去の掃海作業が始まったことが報告された。
軍医長をはじめ私たちは、何やら不吉な予感がして再び丘の上に登っていった。
チャランカノアの沖合に目を走らせると、まさしく掃海作業のための小艦艇が、忙しく往復しているのが望見できた。
これで、いよいよ米軍のサイパン島上陸は決定的になってきた。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)