小一時間がたったころ、ようやく全員が集合地点に集まることができ、早速行動にうつる。
まず負傷者数名をコンクリート防空壕内で手当てをし、重傷者一名は、応急処置をほどこして担架に乗せ、夕刻近くになって戦時治療所へ引き返し収容したのであった。
その夜、入った艦隊司令部の連絡によると、昨6月15日に「あ号作戦」は発動され、わが連合艦隊(第一機動艦隊)はすでに、フィリピン海域を離れ、マリアナ海域へ向かったといい、いよいよ米機動部隊と洋上大決戦が行われるとのことであった。
また、同時に味方艦上機群の着陸に備えて、アスリート飛行場を整備、死守すべしとの命令が下った。
この時飛行場には数日以来の艦砲砲撃下にあり、40、36センチ級の戦艦の主砲弾が、不発のまま多数転がっており、また滑走路には直径4・5メートルの穴があいていた。
そこで、陸海軍の守備隊は文字どおりの徹夜で、滑走路の修復に全力を傾注したのであった。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)
まず負傷者数名をコンクリート防空壕内で手当てをし、重傷者一名は、応急処置をほどこして担架に乗せ、夕刻近くになって戦時治療所へ引き返し収容したのであった。
その夜、入った艦隊司令部の連絡によると、昨6月15日に「あ号作戦」は発動され、わが連合艦隊(第一機動艦隊)はすでに、フィリピン海域を離れ、マリアナ海域へ向かったといい、いよいよ米機動部隊と洋上大決戦が行われるとのことであった。
また、同時に味方艦上機群の着陸に備えて、アスリート飛行場を整備、死守すべしとの命令が下った。
この時飛行場には数日以来の艦砲砲撃下にあり、40、36センチ級の戦艦の主砲弾が、不発のまま多数転がっており、また滑走路には直径4・5メートルの穴があいていた。
そこで、陸海軍の守備隊は文字どおりの徹夜で、滑走路の修復に全力を傾注したのであった。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)